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小物
挑戦し続ける男たちの、美しき「定番」のカタチ。
ストーリー 02:大田有輝(杜氏)
2020.03.09

いつの時代でも輝きを放つ「定番」。固定ではなく、時流に合わせてスタイルを変えつつ、常に先端であり続けるもの。まさにパーカーの「ソネット」がこれにあたる。「矢羽クリップ」は可能性を追い求めるチャレンジスピリットの象徴。手にする人の“いま”に寄り添う。続いては、世界的に評価の高い「大田酒造」の杜氏、大田有輝さんのストーリー。
サミットで選ばれた伊賀の酒、その未来を育む若き匠の「定番」とは?
まだ若々しい指がペンを握り、酒の元になる酒母(麹米、仕込み水、蒸米を混ぜたものに酵母を加えて培養したもの)に、さらに加えられた米や仕込み水の数値を経過簿に書き加えていく。書かれた字は整然、かつ自信にあふれている。三重県伊賀市にある大田酒造の弱冠25歳の杜氏、大田有輝さんの日課だ。現代的なシステムを採り入れつつも、数値化しづらい酒造りには手書きの記録が欠かせない。

日本酒は唯一無二、酒造りは一期一会。大地が生み出す酒米と水が土地ごとの味をつくる。酵母がタンクの中で発酵を続け、酒蔵ならではの酒へと変える。品質を維持しながら、時代に合わせて進化も求められる。その重責を担うのが杜氏だ。同じ米、水、酵母を使っていても、「杜氏が替わると酒の味が変わる」というほど個性と技術がものをいう。もともとは酒造りに適している冬場は農閑期であることから、蔵元が雇用する季節杜氏が通例で、蔵人(くらびと)と呼ばれる職人たちを束ねながら、春まで製造の采配を振るっていた。だが、産業構造の変化や蔵人の高齢化により、そうした仕組みが変化してきている。


有輝さんは、三重県伊賀市にある明治25年(1892年)創業の大田酒造の七代目。長く活躍してきた岩手県の南部杜氏の退任に伴い、2019年秋、同酒造では初めて蔵元が酒造りを担うオーナーマイスターとなった。酒造の後継者としてはかなり若いが、それゆえに挑戦者としての強い意志を感じさせる。
「短大で微生物の研究をして、日本酒は面白いなと思いました」と有輝さんは語る。卒業後に同じ三重県のほかの蔵元でノウハウを覚えた。修業時代の経験に持ち前の研究熱心な姿勢と静かなバイタリティを重ね合わせる。とはいえ、酒造りは奥が深い。「米の質は毎年異なります。さらに気候の変化もありますから、常に考えながら酒造りを行うようにしています」
古代、伊賀エリアには古琵琶湖があった。400万年前の地殻変動により隆起し、肥沃な土壌が生まれた。さらに盆地ならではの昼と夜の激しい寒暖差が良質な酒米を育み、四方の山々から流れ出た清水が軟水の伏流水として湧き出し、酒造りの礎を支えている。特に水は適度にミネラル分を含んでいるため、酒の元となる酒母の発酵に理想的。

2016年のG7伊勢志摩サミットで、「半蔵」はディナー乾杯酒に選ばれた。その栄誉を踏まえながら、有輝さんはさらに日本酒の進化に全力で取り組む。
「酒づくりにとって『定番』とは米と酵母。それを軸としながら、時代、消費者の趣向の変化に合わせて変えていくことが大切ですね。その担い手となりたいと思います」
伝統を踏まえながらも、常に刷新していかなければ、たちまち時代に取り残されてしまう。これはパーカーも同様。大田酒造より数年早い1888年、ジョージ・サッフォード・パーカーによるインク漏れを防ぐペン芯の機構「ラッキー・カーブ」の開発からブランドはスタートした。それから130年以上の歴史は、デザイン、機能とも妥協を許さない革新の連続だった。1962年にはエリザベス女王、90年にはチャールス皇太子から王室御用達として「ロイヤルワラント」の認定を受けた。ちなみにこのワラントは5年ごとに見直しがされるが、パーカーはどちらも保持し続けている。常により良いものを求めるブランドの姿勢とペンづくりへの情熱が評価されたからといえるだろう。
英国のペンと伊賀の酒。国もジャンルも異なれど、そこに込められた哲学は通底している。絶え間ない進化に取り組む若い世代の手に、これからも美しい「矢羽クリップ」の筆記具が寄り添ってゆく。
大田有輝(おおた・ゆうき)
1994年、三重県出身。大田酒造の七代目で、同蔵の杜氏を務める。サミットで乾杯酒に選ばれた「半蔵」のほか、「半蔵&(アンド)」なども手掛ける。
大田酒造
三重県伊賀市上之庄1365-1
0595-21-4709

問/ニューウェルブランズ・ジャパン 0120-673-152
www.parkerpen.com
Photograph: Satoru Tada(Rooster)
Text: Mitsuhide Sako(KATANA)