特別インタビュー

高校野球の名匠が名将となった日。

2020.10.13

柳川悠二

写真・図版

王者と王者の負けられぬ対決

「甲子園交流試合」が開幕した8月10日、第1試合を見届けた私は甲子園球場を離れ、大阪市此花区の舞洲(まいしま)スポーツアイランドに向かった。

同日、同地にある大阪シティ信用金庫スタジアムでは、大阪府高等学校野球連盟が主催する独自大会の準決勝、大阪桐蔭対履正社が行われることになっていた。

コロナ禍に見舞われた今年、東京五輪が1年延期となり、インターハイなど多くの高校生の大会が中止となるなか、高校野球も例外ではなかった。春の選抜高校野球に続き、夏の選手権大会も中止に。そこで急遽(きゅうきょ)、選抜に出場が決まっていた32校を聖地に招待し、各校が1試合ずつ戦うのが交流試合だった。

高校球児なら誰もが夢見る甲子園に立つ権利を得ながら、泣く泣く夢舞台を奪われた球児にとっては最後に用意された晴れ舞台には違いなかった。だが、無観客で、アルプス応援もない交流試合はどこか親善試合のムードが漂い、「負けたらそこで高校野球が終わる」という特有の緊迫感はなく、やはり例年の夏とは色合いがまるで違っていた。

一方で、舞洲で行われる決戦は、誤解を恐れずにいえば〝真剣勝負〞の場だった。負けられない戦い――つまり、いつもの夏が広がっていた。自然と興味はこちらに向いた。

大阪桐蔭は2年前、根尾 昂(あきら)(現中日)や藤原恭大(きょうた)(千葉ロッテ)らを擁し、春夏連覇を達成した。履正社も昨年、夏の甲子園決勝で星稜(石川)を破り、同校史上、初めて甲子園を制した。甲子園切符こそ懸かっていないものの、両校が対峙するとなれば、大阪の高校野球だけでなく日本の〝覇〞を争う一戦となる。

2010年代に入ってから全国の高校野球をリードしてきたのが両校であるが、意外なことに夏の大会に限っては、履正社は13対12で勝利した99

年夏を最後に大阪桐蔭に11連敗中であった。

ライバル心はない

87年から履正社を率いてきた監督の岡田龍生(たつお)(59)にとっては、8歳下の敵将・西谷浩一(51)に苦汁をなめされつづけてきた20年といえる。両校が初戦の2回戦で対決した15年夏は、大観衆が舞洲に駆けつけるなか、1対5と惜敗。履正社が最も勝利に近づいたのは一昨年だ。9回二死まで大阪桐蔭を追い詰めながら同点、そして逆転を許し、敗れた。のちに春夏連覇を達成した大阪桐蔭の〝最強世代〞が最も苦しめられた一戦だった。

しかし、岡田自身はいつも、連敗記録を気にとめてもいない様子だった。

「プロ野球のように同じ選手が何年も続けて試合に出て、そのたびに負けていては連敗を気にするでしょう。でもね、高校野球は毎年選手が入れ替わって、毎年チームが異なるわけです。たまたま、大阪桐蔭さんがいつも夏にチームを仕上げてきて、それにうちが勝てていない。相手が一枚も二枚も上手。ただそれだけのことやと思います。もちろん、子どもたちは、大阪桐蔭に対するライバル心はあるでしょうが、個人的にそういう感情はないです」

岡田はそう言って、気丈を装っていた。だが、私には岡田のこの言葉がとても本心とは思えなかった。大阪桐蔭に対する連敗記録は、甲子園出場を厳命された私立学校の指揮官として、誰より勝負師として、最も不名誉な記録に違いなく、忸怩(じくじ)たる思いを抱えて当然だろう。

近年の高校野球は、中学生のスカウティングの成功が、そのまま甲子園での勝利に結びつく傾向が強くなっている。大阪桐蔭の選手の中学時代の経歴を見れば、ほとんどの選手が何かしらの日本代表歴を持つ。夏の連敗記録は、そうした大阪桐蔭と履正社を天秤にかけるような有望中学生にとって、大阪桐蔭を選ぶ決定打ともなっていた。

岡田の本心を聞くことができるのか。いつしか私は、夏にこの直接対決が実現すれば、必ず足を運んできた。そして、試合が終われば、真っ先に敗軍の将のもとへ向かっていた。

日本初の女子プロ野球選手の息子に生まれて

98年に大阪桐蔭の監督に就任して以来、これまで甲子園に春夏通算17度出場し、歴代最多となる7度の全国制覇を遂げている西谷と比べれば、岡田は日蔭の野球人生を歩んできた。

61年に大阪府に生まれた岡田は、母親とキャッチボールをしたことが白球を初めて握った日の思い出だ。女性としてはやけに強いボールを投げ返してきた記憶があるが、岡田は後年、母親が戦後間もない時期に2年間だけ行われた女子プロ野球の選手だったことを知る。

甲子園出場を夢見て、高校は兵庫の東洋大姫路に進学した。当時は同校と報徳学園が2強をなしていて、報徳に勝てば監督の機嫌が良く、負ければ地獄が待っていた。

現役時代の甲子園出場は、79年の選抜の一度きり。日本体育大学に進学し、引退後は桜宮高校のコーチを経て、福島商業から校名を変更して4年目の87年、決して野球強豪校ではなかった履正社の監督に就任した。

当時は、PL学園の全盛期の時期で、「打倒 PL」で選手には厳しい指導を続けた。そして、97年夏に初めて甲子園にたどり着く。まだまだ強豪と呼ぶには遠く、そこからしばらく甲子園とは縁がなかった。そして02年、岡田が生徒に手を上げ、日本高等学校野球連盟より6カ月の謹慎処分を受けたことが指導者人生の転機となった。

「結局、やらされる練習では、生徒も野球を楽しめず、上達しない。自主性を重んじ、練習の質を求めた。毎日のテーマを決め、選手自らが自分の課題と向き合い、考えさせるような形に変えました」

履正社には寮がなく、ほとんどの選手は自宅から通う。練習時間は一日、3時間から4時間ほど。全寮生で長時間にわたって練習をする大阪桐蔭とは対照的だ。

今年ぐらい勝っておかないと(笑)

話を大阪独自大会の準決勝に戻そう。昨夏の胴上げ投手である岩崎峻典(しゅんすけ)が先発した履正社は、1点の先制を許すもすぐに逆転し、プロ注目のスラッガー・小深田大地や元阪神の関本賢太郎氏を父に持つ関本勇輔らが活躍し、9対3という大差で、大阪桐蔭から21年ぶりとなる夏の勝利を挙げた。この大会は雨による順延が続き、準決勝で打ち切りが決まっており、ライバルに勝利したことで履正社のナインと、誰より岡田の表情はまるで優勝したように晴れやかだった。

「このコロナ禍で大変な一年の最後に、大阪桐蔭さんとやるのも何かの巡り合わせでしょう」

連敗が「11」で止まった――その話題を向けると、赤黒く日焼けした岡田の口元がほんわかと緩んだ。

「私自身は、本当に気にしていないんですよ。今年は独自大会ですから、記録ストップと言っていいのかわかりませんが、今年ぐらい勝っておかないと、またとうぶん勝てんでしょう(笑)」

11連敗するなかで、岡田は大阪桐蔭にはない履正社のカラーを色濃く打ち出してきた。野球漬けの日々は送れなくとも、選手の意欲をかき立て、選手の考えを尊重し、限られた時間の中で効率を重視して、派手さよりも基本に忠実な野球をたたき込んできた。

「どの学年も大阪桐蔭を倒さなければ夏の甲子園はないと思って、野球に取り組んできた。それが実を結んだのが今日だとは思いますね」

最後まで11連敗中の悔恨の思いや憎まれ口は聞かれなかった。しかし、これが岡田龍生という野球人の矜持(きょうじ)なのだろう。

これまで春9回、夏4回の甲子園出場を誇り、山田哲人や寺島成輝(共に東京ヤクルト)らを輩出してきた岡田は、高校野球界でも職人気質な名匠だった。そして、昨年夏、深紅の大優勝旗を手にし、この夏、大阪における不名誉な不勝ジンクスを打ち破ったことで、岡田は晴れて日本一の名将となった。

柳川悠二(やながわ・ゆうじ)
ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中よりスポーツの取材を開始し、出版社勤務を経て、2003年に独立。以来、夏季五輪の取材と高校野球の取材をライフワークとする。著書に、第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『永遠のPL学園』や『投げない怪物』(共に小学館刊)などがある。

Illustration: Michihiro Hori

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