特別インタビュー

五輪で流す涙は
2種類しかない。

2021.05.18

柳川悠二

五輪で流す涙は<br>2種類しかない。

日本中の誰もが新型コロナウイルスをさほど脅威には感じていなかった昨年2月、私は母校の中学校で、立志式を迎えた後輩たちを前に講演をする機会があった。人前で発言することがとにかく不得手で、テレビやラジオへの生出演を極力、避けてきた私がこうした依頼を受けたのは、中学時代の原体験が私のライター人生に大きな影響を与えているからだ。

宮崎県第2の都市にある公立の中学校で、私は柔道部に属していた。教室を改造した小さな道場で練習するその柔道部は県下一の強さを誇り、中量級、重量級の県内王者がそろっていた(私はとても弱い柔道家で補欠でもなかった)。

そして、団体戦を争うライバル校に「井上」という強い柔道家がいた。のちに、100㎏級の日本王者になった選手だが、その3歳下の小学6年になる弟も、当時、既に兄より強いと県の柔道界ではうわさされていた。

あるとき、どこかの武道館で行われた合同練習会で、私はその小学生と乱取り(実戦練習のようなもの)をする機会があった。組んだ刹那(せつな)、中学2年生だった私の身体は回転していた。とにかく、畳にたたきつけられた痛みよりも、宙を舞った爽快感が残ったことを覚えている。少年の強さというより、猛烈な存在感に圧倒された。

ある日訪れた 人生を変える出会い

小学生の名は、井上康生といった。数年後、私は1年の浪人期間を挟んで東京の大学に進んだが、康生の動向は常に追っていた。小学生にして「山下(泰裕。現JOC会長)2世」と呼ばれた彼は、小・中学生のタイトルを総なめにし、高校は神奈川の東海大相模に進学する。

康生は瞬く間に柔道界の頂点を目指して駆け上がっていった。その時期が、私の大学卒業と重なり、オリンピック(五輪)の舞台に立とうという康生を追うべく、ライター稼業を始めたのだ。

中学生活におけるちょっとした出会いが、その後の人生を決めることもあるーー、母校で学ぶ中学生にそれを伝えたかった。

2000年9月21日。康生はシドニー五輪の決勝の舞台に上がり、カナダのニコラス・ギルを内股「一本」で破り、金メダルに輝く。表彰式で康生は、前年に亡くなった母・かず子さんの遺影を掲げ、その様子を私は感涙に暮れる井上家の人々と一緒に見守った。

もし当時の映像を観る機会があるなら、ぜひ観客席を注目していただきたい。内股が決まった瞬間、応援席で世界中の誰よりも早く、真っ先に立ち上がるオレンジ色のTシャツを着た日本人がいる。それが康生の長兄にあたる将明氏だ(前述した康生の兄は次男の智和氏)。将明氏は所属会社もないもぐりのライターの同行取材を受け入れてくれて、その日の夜に開催された金メダル祝勝会にも同席を許してくれた大恩人である。将明さんがいなければ、私はシドニーまで行きながら、なんの成果もなく帰国の途に就くことになっていたはずだ。

シドニーの日の康生の内股は柔道史に残る最も美しい「一本」であり、あの日の映像がテレビなどで流れるたびに、アテネ五輪の翌05年に亡くなった将明氏を偲(しの)び、恩に報いる仕事ができているかを自問自答する私がいる。シドニー五輪後、雑誌の仕事を受けるようになった私が記者席に座っていると、「偉くなったな!」と茶化してきた将明氏の笑顔も忘れられない大切な思い出だ。

フリーランスは 荒業で挑むしかない

とにかく、ライター人生のスタートにして、至高の瞬間に立ち会うことができたことで、私は取り憑(つ)かれたように五輪取材をライフワークとしていく。04年アテネ、08年北京、12年ロンドン、そして16年リオデジャネイロと、5大会連続で取材をしてきた。

出版社に与えられる五輪の取材パスというのは、とりわけ私のようなフリーランスの立場の人間にとってはプラチナパスで、すべての会場に出入りできるパスがもらえる日本人は、おそらく1大会で10人にも満たないのではないだろうか。実績のないライターに出版社がパスを与えるはずがない。私はロンドンまでの4大会は、すべてチケットを購入して会場に入り、大きな顔をした大手新聞社やテレビ局の記者に紛れ込んで取材をするという荒業をやってのけていた。

決して褒められた取材の手法ではない。それでもメダリストやその家族の手記などを現地で交渉して手がけたり、競技団体トップの暴挙を報じて、結果的に辞任することになるなど、私なりの取材を続けてきた結果、5度目のリオでようやくパスを手にできたのだった。

忘れられない 女性アスリートの涙

シドニー以来、日本人が金メダルを獲得する瞬間を幾度も目の当たりにしてきたが、不思議と記憶に残るのは女性アスリートが涙を流した瞬間だ。

夕焼けのアテネで、トップでゴールテープを切った女子マラソンの野口みずき。北京ではソフトボールの絶対的エース・上野由岐子が2日間で3試合・413球を投げ抜いて初の五輪金メダルを手にした。ロンドンでは松本 薫が惨敗した柔道界を救った。また、リオでは4大会連続金メダルを目指したレスリングの吉田沙保里が決勝で敗れ、ミックスゾーンで待ち構えていた私の眼前で顔をくしゃくしゃにしながらむせび泣いた姿も忘れられない。

五輪で流す涙は2種類しかない 歓喜か、悔恨かーー。どちらの涙も崇高で尊く、その涙の意味を伝えるのが私のような立場の人間だと思う。

東京五輪で最も輝く女性アスリートは誰かーー。そう考えたとき、真っ先に名前が挙がるのは渋野日向子だった。19年に全英女子オープンを制した彼女も、順当に行けば昨年の8月、霞ヶ関カンツリー倶楽部でメダルを目指す戦いに臨み、米ツアー参戦への足掛かりとしていたはずだ。それを見据えて私も、女子ゴルフの取材には力を注いでいたが、新型コロナウイルスの感染拡大がすべてを狂わせてしまった。せめてもの救いは、20年末に行われた全米女子オープンで優勝争いを演じ、4位に終わったものの、21年に向けて再び上昇気流に乗っていることだ。

開催が危ぶまれる東京五輪

「五輪には魔物がいる」 五輪という夢舞台に立ちながら、力を発揮できずに敗れたアスリートはついそんな言葉を口にする。本来なら昨夏に開催予定だった東京五輪も、準備段階から魔物に憑かれたように、問題が噴出した。

国立競技場の問題や、エンブレムの盗作騒動。そしてコロナ禍による1年延期ーー。挙げ句の果てに、組織委員会トップであった森 喜朗氏の女性蔑視発言だ。

多くの国民が東京五輪の強行開催に否定的になるのも無理はない。既に東京五輪出場が決まっているアスリートの多くは開催を願ってやまない一方で、万が一の決定が下されたときの落胆に備えて、中止も覚悟しているのが現状だ。

人災続きの東京五輪にコロナ禍という厄災まで重なり、開会式まで間もなく100日というのに、開催が危ぶまれている。コロナの感染状況によっては、この雑誌が発売されるころに、大きな決定が下されていてもおかしくない。

あの日、小学生だった康生も、いまや柔道全日本男子の監督である。任期満了となる東京五輪後は、師である山下氏のような人生を歩むのだろうか。

シドニーから続いた柔道家・井上康生の雄姿を見届けることになる東京五輪は私にとって最初で最後の自国開催五輪の取材であるし、大きな節目と考えていた。

やはり、中止の決定によるアスリートの涙だけは見たくない。

柳川悠二(やながわ・ゆうじ)
ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中よりスポーツの取材を開始し、出版社勤務を経て、2003年に独立。以来、夏季五輪の取材と高校野球の取材をライフワークとする。著書に、第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『永遠のPL学園』や『投げない怪物』(共に小学館刊)などがある。

アエラスタイルマガジンVOL.50 SPRING / SUMMER 2021」より転載

Illustration: Kyoko Tange

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