特別インタビュー

古人の記憶を解凍する旅。
安田 登

2022.01.21

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日本人は元来、旅好きである。それは神代の時代から始まる。

日本神話には「神」と「命(みこと)」が登場する。「命」とは御言であり御事、すなわち神の代弁者であり、代行者の意であろう。この世での体を持つのが「命」であり、身体を手放すと「神」となる。

三貴子と呼ばれる天照大御神は、弟である月読命、建速須佐之男命と違い、最初から最後まで「神」だ。天照大御神はこの世での身体を持たない。だから、巫女に憑依して旅をする。

最初は豊耜入姫命(とよすきいりひめのみこと)に憑依して歩き回り、まずは笠縫邑(かさぬいのむら)の地(奈良県)に鎮座した。しかし、そこでは満足せずに今度は倭姫命(やまとひめのみこと)に憑依し直して、新たに鎮座すべき地を求めてあちらこちらと歩き廻り、やがて伊勢の国に到って、そこを鎮座の地と定めた。憑依してまで旅をするというのは、すごい執念だ。

身体を持つ「命」たちは自ら旅をした。建速須佐之男命も大国主命も漂泊の旅をした。日本の神々は旅好きなのである。

能にはシテとワキというふたりの登場人物がいる。このうちよく旅をするのはワキである。ちなみに能の主役はシテだ。では、ワキは脇役なのかというとそれはちょっと違う。

「夢幻能」と呼ばれるジャンルの能のシテ(主人公)は神様や幽霊、あるいは動植物の精霊など、本来はこの世のものでない不可視の存在である。この、この世のものではないシテをこの世に呼び出すのがワキの役割だ。

ワキはそのようなことができるのは、この世とあの世との境界に生きる者だからだ。ワキという語は「分く」の連用形、すなわちふたつの世界の境界(あはひ)に生きるものをいう。ワキは、両者の境界に生き、両者を結びつける存在なのだ。

なぜ、生きているワキは死者と生者との境界にいるのか。それはワキが生者、すなわちこの世に生きる存在であることを捨てた者だからである。

たとえば能『敦盛』のワキである蓮生(れんせい)法師は、出家前は源氏の武将、熊谷直実であった。熊谷は一ノ谷の合戦で少年武将、平敦盛を心ならずも討ってしまった。それ以来、彼は武将であることがいやになり出家をしたのだ。

順風満帆だった人生から突然放り出された人、それがワキだ。

私たちの人生にもこのようなことがある。それまで何気なく歩いていた道に突然、大きな穴があく。絶望のクレヴァスに落ちてしまい、それまでの努力もキャリアも無になってしまう。

そういうとき人は文字通りいたたまれなくなる。居ても立ってもいられない彼は旅に出る。だから能のワキは旅をするのだ。

次ページ日本ならではの「道行」という旅

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