紳士の雑学
インスタ映えはもう終わるのか?
20代の才能が伝えるレストラン新時代 [センスの因数分解]
2018.02.23
昨年の夏のことです。とあるプレスの発表会でフレンチの巨匠が、「料理は味で評価されるものであって、見た目やエンターテインメント性にばかり重きが置かれることは疑問である」という主旨のことを話していて、深く深くうなずきました。“インスタ映え”という言葉は、食やファッションなどだけでなく、政治の世界にも用いれられるほどの認知度とパワーをもっています。しかしながら、ピンセットを使って皿の上の料理を完成させるシェフと、そうやって出された料理を前菜からデザートに至るまで撮影していく客を見ていると、そこで供されているのは料理なのか被写体なのか、といささか複雑な思いを抱くことがあります。そんなモヤモヤとした思いを、軽やかに飛び越えたレストランに、過日出合いました。名前は『Kabi』。大阪の調理師学校に学び、デンマークとオーストラリアでキャリアを積んだシェフとソムリエのふたりがオーナーで、目黒通りにオープンしたのが11月終わり。まだ2カ月ちょっとの新店舗です。
元競馬場のバス停の目の前ではありますが最寄りに駅はない、といういささか不便な立地にある店の外観は、全面ガラス張り。オープンキッチンを大きなカウンターがぐるりと囲んでいます。ディナータイムは基本1コースのみで12品。それにワインを中心としたアルコールとノンアルコールのペアリングが用意されていて、店はこちらで楽しんでもらいたいとのこと。もちろん、ほかにボトルや日本酒もあります。
料理は発酵食品がふんだんに使われていて、その組み合わせ方も実にユニーク(そう、Kabiとは発酵には欠かせないカビ<黴>からきています)。たとえば、ケールの葉や蕪(かぶ)に白子、そこに生の自家製塩麹、鯖ずしをわさびの葉でくるんだもの(燗酒と合わせます)、鮒ずしのおじやに富士酢、メインの豚肉のグリルには奈良漬……という具合。これらが、唐津焼の雄・中里隆を師にもつ陶芸家・野口悦士の器で供されるのです。
デンマークといえばあの『noma』以来、世界中のグルマンやジャーナリストから注目されつづけていますが、ここを発信源とするイノベーティブ・キュイジーヌもまた、世界へと影響を与えています。そういう意味では、Kabiの料理もイノベーティブと表現できます。しかしながらここは明らかに「日本」を感じるレストランであり、それだけに収まらないものをもっています。気負わなさからくる気持ちよさ、とでも言いましょうか。食べログのような食のポータルサイトの成熟により、1億総グルメ評論家であり、総グルメフォトグラファーです。皆が食を語ります。そしてKabiという新店は発酵と組み合わせのユニークさと和以外の何物でもない器選び、そしてペアリングのセンスなど、もちろん大いに語るに足る要素をもっています。
それでいながら、店側がそこに頼ろうとしていないように感じるのです。ただ彼らは純粋に料理とお酒と、それを演出するものたち(器や音楽や空間のしつらえなど)を愛し、楽しんでいるような気がするのです。狙ってないという印象は、たとえばインスタ映えしない料理や撮影には向かなすぎる暗い店内にも表れています。しかもオープン間もない店に来るお客は、外国人も少なくなく多様。なのに聞けば多くの人が、インスタグラムをきっかけにやって来るというではないですか! インスタ映えで集客を狙う、というベクトルの真逆の店でも、人はやって来るのです。私はこの気負わなさ、狙っていなさに、新たな可能性を感じました。
共同オーナーであるシェフとソムリエをはじめ、スタッフはみな20代。ゆとり世代と言われる人たちです。厨房のチームワークの良さ、フレンドリーな接客をはじめとする気負わなさ、好きなことをやっている人だけが放てるポジティブなバイブレーション。これらは今、アジアベスト50のランキングをにぎわせている40代のシェフたちにはあまり感じられませんでした。ゆとり世代というと、なぜかネガティブな点ばかりに焦点が当てられがちですが、競争よりも協同、支配より共存という、いい意味でのゆるさには、居心地の良さやほほ笑ましさを感じます。そういう心地よさを放つ店が、いま東京で大いに話題であるというのは、間違いなく新しい流れと言えるのではないでしょうか。クリエイティブな人たちがマンハッタンのソーホーからブルックリンに人が流れていったように、目黒のちょっと不便な場所で(個人的には目黒はブルックリンと似ていると思います)ユニークな発信を続けるKabi。この店には、もしかしたら東京のレストランジャーナリズムを変える力があるかもしれません。
プロフィル
田中敏惠(たなか・としえ)
ブータン現国王からアマンリゾーツ創業者のエイドリアン・ゼッカ、メゾン・エルメスのジャン=ルイ・デュマ5代目当主、ベルルッティのオルガ・ベルルッティ現当主まで、世界中のオリジナリティーあふれるトップと会いながら「これからの豊かさ」を模索する編集者で文筆家。著書に『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』『未踏 あら輝 世界一予約の取れない鮨屋』(共著)、編著に『恋する建築』(中村拓志)、『南砺』(広川泰士)がある。
Photograph: 外観 / Ari Takagi