紳士の雑学
サステイナブルなマグロから考える海洋資源の今後
「シンシア」石井真介氏
[シェフがつなぐ食の未来]
2019.04.26
知らないということはイノセントではなく罪であると、つくづく思わされる。現状を少しでも正しく知ることが、サステイナブルな問題を考える第一歩であるということも。一次産業やその加工業に関わっていないほとんどの人は、食料問題に関しては、消費者という受け身の立場にある。消費者にできることは買うか買わないか、買うなら何を買うか、そのシンプルな選択肢しかない。外食も消費行動という意味では同じ。志の高い生産者を応援するためには“買い支える”、正しくないものを排除するためには“買わない”こと、というスタンスを強く意識する必要があるのではないだろうか。
千駄ヶ谷の閑静な住宅街のマンションの地下1階にある「シンシア」。臨場感の伝わるオープンキッチンを眺めながら、機知と工夫に富んだ軽快なフレンチを食べる時間が、改めて、食の楽しさを伝えてくれるすてきなレストランだ。2016年にオープンして以来、瞬く間に予約困難な人気店となった。
そのオーナーシェフである石井真介さんが、海洋資源の問題に真摯(しんし)に取り組んでいることはご存じだろうか。日本を取り巻く食料の問題は山積みだ。しかし、そのなかでも最も急を要しているのが海洋資源であると言っても過言ではない。始まりは2017年、日本の漁業に危機感を抱いたフードジャーナリスト・佐々木ひろこさんの声がけで、営業終了後のシンシアで開かれた勉強会。水産業の日本の現状、世界の現状を知り、アクションを起こすために。その後『シェフス フォー ザ ブルー』が決起され、石井さんがリードシェフに就任。最近の勉強会では、参加する料理人が80人に達するなど、その活動は大きなうねりになろうとしている。
『シェフス フォー ザ ブルー』の指針は大きく分けて2つ。ひとつが日本における認証魚を増やしたいという思いだ。
「ヨーロッパやアメリカでは、エコ認証を得た魚でないと売れない、買わないという意識が根付いています。たとえば最も長い歴史があり、市場からの信頼が厚いMSC(Marine Stewardship Council=海洋管理協議会)認証。資源が減っておらず、海の生態系への影響が小さく、きちんとした管理システムがある漁業で捕獲した水産物に与えられる証。消費者がこのラベル付きの水産物を選ぶことで、志の高い漁業者を支え、水産資源や海洋環境守ることにつながるという仕組みです。
日本という国は、国産の魚介を礼賛しながらも、トロ箱に「銚子沖」と書かれている程度で、トレーサビリティーの意識も低いのです。インターナショナルな水産業の常識を、一般の消費者に知ってもらいたいと思っています。レストランというのは、不特定多数の一般の方に、食の知識を伝達できるメディアでもあるのですから。
ただ、問題もあって、MSCラベルを表示するのに、使用料を支払わなければならないこともあり、小売りも含め、消費者が買えるところが少ない。また、日本では認証魚種がわずかなので、冷凍の輸入魚が中心になる。となると、高級店では使いにくい。もっと日本産の認証魚が増えてほしいと思いますね」と石井さんは言う。
そしてもうひとつが、資源として比較的豊富な魚介を積極的に選ぶことで、危機に瀕している魚介を守ることへの呼びかけだ。そのシンプルな“テーゼ”を象徴するのが、今回紹介する2品の料理。鯛焼きは、近海の水産資源としては比較的豊富な鯛を用いた1品。そして、もうひとつが日本人が愛してやまないクロマグロの冷菜。「え? マグロと言えば資源の枯渇が叫ばれている魚では?」。いや、それは太平洋クロマグロのことで、大西洋クロマグロは、厳しい漁獲制限によってすでに個体数がV字回復している。
実は、北大西洋でも12年ほど前にはマグロは危機的状況に瀕していた。それを危惧し、大西洋クロマグロの資源を管理する国際団体「ICCAT」が一気に規制を強化した。厳しい漁獲枠を設定して獲る量を絞り、幼魚の漁獲や産卵場での操業を制限するなど、管理を徹底することで、このよう大復活が実現した。
「このマグロのひと皿は、今からでも水産資源は守れるということを伝えるために、作ったものです。サーブするときに、お客さま一人一人にそのことを説明しています」と石井さんは言う。
日本のマグロの現状を知るために、シェフス・フォー・ザ・ブルーの有志は壱岐を訪ねた。
「壱岐のクロマグロの水揚げ高はこの15年で13分の1にまで落ち込んだそうです。漁船の数も3分の1に。年収200万円にも満たず、マグロ漁だけでは生活していけないところまで追い込まれていました。温暖化などの環境問題も無関係ではありませんが、激減の最大の要因は、大型の巻き網漁船が産卵するために群れをなして集まってくるところを一網打尽にすること。これではたまりません。マグロは一度に数千万個もの卵を産む魚なので、この捕獲をやめるだけで、資源確保につながるはずです。
ところがこれが、法律違反にはなっていない。水産庁は、産卵期に獲っても、幼魚を獲らなければ生態系に影響はないと発表していますが、納得しづらいですね。また、産卵期のまぐろは身がやせておいしくないうえ、巻き網で獲られたマグロは状態がよくないんです。競りでも買いたたかれ、安く店頭に並びます。漁師にとってもよいことはありません。極端に値段の安いまぐろやまぐろ加工品にはそうしたからくりがあることをまず知らなければなりません」と言う。
では、石井さんはどのようなマグロを使用しているのだろうか。石井さんが全幅の信頼を寄せるのが、気仙沼に本社を構える遠洋漁業会社、株式会社臼福本店の臼井壯太朗さんの扱う大西洋クロマグロだ。ここ数年でかなりの資源回復をしている、大西洋クロマグロの遠洋漁業を専門にしている。近年、300kg級のマグロも揚がるようになったという。壱岐の漁師の話では、200kgも夢のまた夢だと言っていたが。
船上では釣り上げてすぐ計量し、トレーサビリティ確保のための電子タグの取り付けから始まる一連の作業が義務付けられている。また、その後の管理も徹底されており、それらの規則を守れなかった場合の罰則はとても厳しく、漁業ライセンスはく奪もあり得る。それでもルールを設けて皆が我慢すれば、数年でマグロが戻ってきたという事実は、資源管理がいかに必要かということを教えてくれる。
現在の水産庁の方針は、「漁獲量が減っている、ならばどうやって増やそうと対策を考えるのではなく、効率のいい方法でもっと獲って、漁獲量の帳尻を合わせよう」、ざっくりいえば、そういう方向性です。それでは、どう考えてもマグロが絶滅に向かうと、素人が考えてもわかることのように思えるが、そこにはさまざまな利権が絡み、ひと筋縄ではいかない。太平洋クロマグロの管理は、前述のICCATのようなまとまった動きがとれずに現在に至る。なんとも歯がゆい思いだが、石井さんは言う。
「消費者が何もできないかというと、そんなことはありません。5~7月の産卵期にすごく安いまぐろが店頭に並んでいるとしたら、それには理由があるはずと疑問の目を向けること。値段が安いというだけで飛び付くという消費行動を改めることが何より大切です」と。
「マグロの問題も、消費者の意識を変えることで国の方向性を変えられればと思っています。時間はかかるかもしれませんが、根気よく、啓蒙活動を続けたいと思っています。また、現在の活動は西洋料理のシェフが中心ですが、寿司業界や日本料理店と環境問題への意識を共有することも、これからの時代には必要だと思います。
料理人は生産者と消費者の双方に発信できる特別なポジションにいます。その我々が食資源、環境問題に正面から向き合わなくてどうするんだと、ここ10年で考えるようになりました。欧米のトップシェフの間では、社会問題に目を向けるということは、すでに社会的責任の範囲とされています。ただ、そういうことを言えるのも、店がうまく回っているからであって、料理人にとっては、もちろん自分の店の基盤を確立することが先決ですが。
また食に関するハレとケを再認識することが必要だと思います。便利性を追求し、ハレとケが混沌としてしまった平成の時代を経て、令和ではもう一度、その感覚を取り戻すべきだと思うのです。マグロはハレの食材。ウナギもそう。毎日食べる必要はないんです。ご馳走として折に触れて、大切に楽しめばいい。極端に価格が安くなっているものを、惣菜としてガツガツ食べるという食材では本来ないはずです。何かちょっといいことがあった日に、いい状態のおいしいものを慈しんで食べる。そんな幸せを見直すことで、意識も生き方も変わっていくはずです」
プロフィル
小松宏子(こまつ・ひろこ)
フードジャーナリスト。料理研究家の家庭に生まれ、幼いころから料理に親しむ。雑誌や料理書の編集・執筆を通して、日本の食文化を伝え残すことがライフワーク。『茶懐石に学ぶ日日の料理』(後藤加寿子著・文化出版局)では仏グルマン料理本大賞「特別文化遺産賞」、第2回辻静雄食文化賞受賞。
Photograph:Nariko Nakamura