特別インタビュー
なんとも不思議な心に響きつづける応援歌。
2020.10.27
いい歌詞とは何か?
風向きが変わってきた
作詞家を20年以上続けてきて、最近ではテレビや雑誌でヒット曲の歌詞の解説をする機会も増えてきた。「いい歌詞とは何なのか?」という疑問の答えは、歌詞を書くほどにわからなくなりそうな日々だけれど、それでも、いくつかの手がかりのようなものは見つけられているような気がする。
長らく日本の音楽界には、作詞は「自分の思いを、自分の言葉で、自分らしく書くことこそが、最も価値があることである」という風潮があったように思う。皆さんのなかにも、「この曲いいなと思ってクレジットを見たら自分で歌詞を書いていなくて内心で少しがっかりした」という経験のある人は多いはずである。そんなふうに、90年代以降の日本には作る側にも聴く側にも「歌詞は自分で書くべき」という自作自演信仰みたいなムードが漂っていたように思う。
それがこの数年で風向きが変わりはじめた。いちばんの転機はアイドルが流行したことだったと思う。アイドルの本業は歌って踊ることなので、自分では曲を作らずに作詞家・作曲家から歌詞の提供を受けるのが一般的である。また、世の中の音楽の聴き方の主流がCDからストリーミングへと移行して、作詞・作曲者の記されたブックレットを目にする機会が大幅に減ったことも大きいだろうと思う。ほかにも、有名アーティストが過去の名曲をカバーするケースが増えたことなどもあるかもしれない。そういったさまざまな要因が積み重なって、いまは少しずつ「必ずしも自作自演であることが重要ではない」というムードに変わりつつある感じがする。
そして、そこで改めて思うのは、やはり「いい歌詞」は誰が歌っても「いい歌詞」だということである。音楽を聴いたときに胸に湧き起こった感動において、それを誰が書いたかという情報は、もしかしたらそこまで重要なことではないのではないかという気がする。
ヒット曲の裏側にあるしかけと意識
「作詞」という言葉を辞書で引いてみると、そこには「歌詞を作ること」と書かれてある。次に「執筆」を引いてみると、そこには「文章を書くこと」と書かれている。つまり、歌詞は書くものではなく、「作るもの」のようである。その意味でいくと、前述のように「自分の思いを、自分の言葉で、自分らしく書く」という行為は、「作詞」よりもむしろ「執筆」に近いということになる。
作詞が「歌詞を〝作る〞」行為である以上、そこには「作り方」や「技術」があるということでもある。つまり、レトルトを温めた料理のような歌詞よりも、ミシュランの三つ星シェフが作る料理のような歌詞のほうが、「いい歌詞」に仕上がるだろうことは想像に易しい。それでも、歌詞を「技術」で書くなどと言うと、自作自演信仰の人たちは毛嫌いするのだろうけれど。
とはいえ、ヒット曲の歌詞には必ずどこかにヒットする理由やしかけが隠れているのは揺るぎない事実でもある。そのしかけが、作者の狙いどおりである場合があれば、無意識で書かれている場合もある。いや、無意識の場合がほとんどかもしれない。私自身も、かつてSuperflyの『愛を込めて花束を』という歌詞を書いたとき、のちにこの歌が結婚式で使われるようになるとは思わずに書いていた。ただ純粋に女性から男性に花束を贈る歌として書いていたのである。いまなら自分でも間違いなく「結婚式」を連想する歌詞なのだけれど、その発想はまったくなかった。それはおそらく、当時の自分の生活が「結婚」とはあまりにも縁遠かったからだと思う。
『夢をあきらめないで』は不思議な曲だった
今回このコラムを書くにあたって「仕事で行き詰まったときに響く歌をJポップから選んで解説してほしい」というお題をいただいた。真っ先に頭に思い浮かんだのは岡村孝子さんの『夢をあきらめないで』だった。この曲がリリースされた当時、私は小学生で夢をあきらめたりするような年齢ではまったくなかったけれど、この歌の歌詞とメロディーは、すぐに頭から離れなくなった。以来、現在に至ってもよく口ずさんでいる。というのもこの歌は、「いい歌詞とは何なのか?」ということを日々考えている私にとって、とても思い入れの深い、なんとも不思議な歌なのである。
青春時代、自分が部活や受験勉強をしていたころは、この歌は応援歌として私の心に真っすぐに心に響いていた。「あなたの夢をあきらめないで 熱く生きる瞳が好きだわ」と、自分に言い聞かせるように口ずさんでいた。
それが時を経て20代になると、今度は失恋ソングとして響くようになる。岡村孝子さん自身もこの歌は失恋ソングとして作ったと話しているそうなので、ここで初めて作者と聴き手である私の心境が合致したと言える。でも、この間まで夢を追いかける者への応援歌にしか聴こえていなかった歌が、急に失恋ソングに聴こえ方がガラリと変わるのは、自分自身とても不思議な感覚だった。それまでは少しも気にしていなかった「心配なんてずっとしないで 似てる誰かを愛せるから」というフレーズが、やたらと胸に突き刺さり、この女性は別れ際にどうしてこんな後ろ足で砂をかけるようなことを言うのだろうか、いやはや女性というのは恐ろしい生き物だな、と思った。
そしてさらに時を経て40代になったいま、この歌はまた別の響き方をするようになった。結婚をし、子どもが生まれて、親の気持ちがわかるようになった現在の心境で聴くこの歌は「巣立っていく我が子へ向けて母親がエールを送っている歌」のように聴こえるのである。私の幼少期は野球に明け暮れ、音楽的な教育など受けたことはなく、思春期にロックにかぶれた勢いで、同級生とバンドを組み、青森の田舎町から東京へ意気揚々と出ていった。母親としてはもっとまともな道へ進んでほしかったはずである。そのときの親の心情を思ってこの歌を聴くと、目頭に熱いものが込み上がってくる。問題の「似てる誰かを愛せるから」のフレーズは、今度は母親がファンの若い俳優のことを指しているようにも聴こえておかしい。
自分にとっての「いい歌」を探してほしい
おそらくこの世に「誰にとってもいい歌詞」というのは、存在しないのではないかと思う。同じ歌でも、自分が置かれている状況次第で、こんなふうに聴こえ方が変化していくからである。その意味で、『夢をあきらめないで』は、あくまで現在の私にとっての「仕事で行き詰まったときに響く歌」である。この歌がいまは失恋ソングに聴こえる人には、きっとほかに応援歌として響く歌があるだろうと思う。
自分にぴったりの歌を探すのも、音楽の楽しみ方のひとつだから、たくさんの音楽に触れてぜひ探してみてほしいと思うし、もし今日という日を私と似た心境で暮らしている人がいたら、その人にはきっとこの歌はすてきな応援歌として響くはずなので、あなたの成功を世界でいちばん願っている人の顔を思い浮かべながら、聴いてみてほしいと思う。
いしわたり淳治(いしわたり・じゅんじ)
1977年、青森県生まれ。ロックバンドSUPERCARのメンバーとして1997年にメジャーデビューし、2005年の解散後は作詞家・音楽プロデューサー・作家として活動。Superfly、Little Glee Monster、矢沢永吉、関ジャニ∞など、これまでに数多くのアーティストの楽曲を手掛ける。朝日新聞デジタル「&M(アンド・エム)」にて好評連載中のコラム『いしわたり淳治のWORD HUNT』が年内に書籍化予定。
Illustration: Michihiro Hori