週末の過ごし方
カレーが導いた
カリ〜なる転身
【センスの因数分解】
2022.06.23
昨年秋、大変驚く知らせが舞い込んできました。カレー界の第一人者ともいえる『AIR SPICE』代表の水野仁輔さんが、カレーの人を卒業し、写真家宣言をしたのです。
水野さんはかつて、カレーユニット・東京カリ〜番長を立ち上げて活動。カレーの探求を、会社員との二足のわらじで行っていました。その後独立し『AIR SPICE』を立ち上げます。今までに出版したカレーやスパイス関係の書籍は60冊以上にのぼります。ほかにも講演や商品開発など、多岐にわたり活躍してきました。そんな彼が突然キャリアチェンジ。いったい何があったのでしょう。
「カレーはせっかく素晴らしいものに出合っても、作り上げても、音楽のようにレコーディングしておくことができません。その高揚を保存できないことに、以前からモヤモヤした思いを抱いていました。またおかげさまで、ここ数年は多くの企業やメーカーなどから、カレーやスパイスに関する相談を受けるようになりました。しかし自分が情熱を持ってカレーに向き合っていた行為の延長というよりは、仕事としてこなしていかなければいけないような部分がどうしても含まれてしまうケースがあって、いつの間にかオファーのほとんどをお断りするようになっていました。そんななか、コロナウイルスの世界的流行で、大切な活動の一部であったカレーを訪ねる旅に行けなくなってしまいました。そうなって初めて、旅でずっと撮りためてあった写真を見返してみたんです。なかに以前、南インドで涙が出るほど感動したカレーの写真がありました。見た瞬間、当時の感動が蘇ってきたんです。そうか、カレーはレコーディングができないけれど、写真は記憶を蘇らせる装置の役割をするんだ、と思ったんです」
学生時代は写真部にも所属していたという水野さんは、自身から湧き起こる衝動を行動へと移します。そうだ、写真家になろうと。こうしてカレーの人水野仁輔は、写真家ジンケ・ブレッソンとなり活動開始。過去に撮影した写真を、『CURRY JOURNEY』という3冊の本にまとめました。
「すべてカレーに出合う旅の途中で撮影したもので、好奇心のままにシャッターを押した、キラキラした瞬間ばかりです。つまりこれこそ、カレーの高揚を保存するという行為なんだと思います」
くすぶっていた思いは図らずも、水野さんがずっと好きだった写真を撮るという行為によって解決できたのです。そしてそれを生なり業わいとしていくことを決めたのでした。
「僕は現在48歳。カレー活動は二十数年やってきましたから、写真家も同じくらいは続けようと決めています。そうすると70歳ぐらいまで? もう生涯最後を写真家として迎えそうですね(笑)。収入はどうするの?とか、空前のスパイスカレーブームがやって来たのに、なぜ今キャリアを変えるんだとか言われます。しかし、情熱と高揚が沸点に達したとき、迷わず行動に起こすことは本当に大切なんですよ。それは大好きなカレーの活動をしつづけてきて気づいた真実と言っていい。実際僕が起こした行動から、いくつかの変化がじわじわと起こってきています」
理屈抜きの情熱を出発点とした選択は、信じて進めば必ず巡り巡って幸運の形となって戻って来る。だからビジネスとして今成立するかどうかに縛られなくても大丈夫。彼はそう言います。水野仁輔、いや、ジンケ・ブレッソンは純度の高い思いとともに、キャリアの最終ステージを写真家として生きると決めました。情熱だけが理論に勝てる。それを実践する人生は、誰の目にも眩まぶしく見えるものではないでしょうか。