週末の過ごし方
リゾートに革命を起こしたレジェンド
日本に旅館をつくる
【センスの因数分解】
2023.02.01
〝智に働けば角が立つ〟と漱石先生は言うけれど、智や知がなければこの世は空虚。いま知っておきたいアレコレをちょっと知的に因数分解。まず瀬戸内の新しい旅館へご案内。
エイドリアン・ゼッカといえば、ラグジュアリーリゾート界に革命を起こした人物。彼は、1988年に生まれたタイはプーケット島のアマンプリをはじめとするアマンリゾーツの創業者として、世界にその名が知られています。
オリジナリティーあふれるロケーション、伝統建築にモダンなエッセンスを加えた施設、そして心に残るおもてなし……世界中の媒体が施設の特集を組み、「アマンジャンキー」なる信奉者まで生まれました。大変注目が集まる半面、施設を味わうというよりは施設を制することを主とする、質より量を求めるゲストも……。今、彼はアマンリゾーツを離れ、別会社が運営。ブランドは広がりを続け、8月には『アマン ニューヨーク』が誕生したことが話題に。
では伝説の人、ゼッカさんは今どうしているのか。彼はAzerai(アゼライ)という新たなレーベルをアジアに立ち上げました。そして昨年、瀬戸内に浮かぶ島にAzumiという日本旅館をプロデュースしたのです。
Azumi Setoda(アズミ セトダ、以下Azumi)は、本州の尾道と四国の今治を結ぶしまなみ海道のほぼ中間に位置する生口島の瀬戸田にあり、海運や製塩業で財をなした旧家をリノベーションした日本旅館。漆喰壁が美しい築約140年の邸宅を本館とし、22の客室棟や東屋などで構成されています。レセプションは土間部分、レストランは大広間だった場所の風情を残しながらプランニング。対して客室は、檜(ひのき)材をたっぷり使用した和風モダンの作りです。
「この宿で最も大切にしていることは、瀬戸田という土地のたたずまい。地元と溶け込み、その風情を感じられる宿であることです」と、女将の窪田 淑(くぼた・よし)さんは言います。彼女はアマンリゾーツで経験を積み、バリ島やブータンでゼッカさんのイズムをゲストへのホスピタリティに昇華させてきた人物です。
「土地の風情は、建物や食べ物が担うのはもちろんのこと、人によるところも大きいのではないでしょうか。ここAzumiでは、宿泊施設の実務経験の有無にかかわらず、できるだけ地元のスタッフの雇用をすすめています」
アマンがかつて道を開いたといってもよいのが、リゾートにその土地の個性を投影すること。現地スタッフの積極的雇用はじめ、制服は伝統衣装をベースにしており、流れるのは素朴な民族音楽。建築はもちろんのこと、その施設自体が、現地のエレメントを集約したように構成されていました。Azumiでは、旧家が収蔵していた器や調度品を譲り受け、デコレーションやゲストへの料理の提供に使用。施設の所々に飾られた古物や旧家時代から変わらぬ庭や建材など、建物の歴史を継承すること通じています。また宿泊者が利用する向かいの「yubune(ユブネ)」の大浴場は、銭湯のように料金を払えば誰でも入浴可能。地元の人たちとの、これからのコミュニティサロンの役割を担うことになりそうです。
ゼッカさんは以前より、自身の宿泊施設づくりに日本旅館を参考にしており、名旅館を訪れることもたびたびあったと言います。そのような経緯があり生まれたAzumiですが、昔ながらの日本旅館とは一線を画しているようです。窪田さんは言います。
「日本で代々営まれているような老舗旅館は、コンペティターだとは考えていません。私たちが思う旅館らしさとは、地元の美点が感じられ、従業員たちがまるでひとつの家族のような一体感を持ち、ゲストが快適に過ごせるファシリティを持っているということです」
彼女は女将ですが、和服でゲストを迎えるわけではありませんし、客室にはベッドが置かれ、畳敷きの日本間でもありません。また宿の基本のプランは朝食のみ。もちろん夕食をいただくことはできますが、客室ではなくレストランでフレンチベースのコース料理が提供されます。そして島の飲食店を選ぶ自由もあるわけです。スタッフのサービスは昔ながらのおもてなし、というよりもっと軽やかで若々しく(ヤング=若いとフレッシュ=若々しいは違います)、より親しみやすさを感じられます。
Azumiは、老舗日本旅館とは一線を画しています。また、広大な敷地を擁して宿泊レートが3倍ほどの世界にあるラグジュアリーリゾートとも競合はしないでしょう。ではどんな宿へと向かおうとしているのか。それは、女将の窪田さんが話す“土地の風情を投影した、心地よい宿”という言葉が答えとなるのではないでしょうか。書いてしまうとごくシンプルな道ですが、それは、既存の道でデッドヒートを繰り返すのではなく、わが道を地元の人たちと共に生み出すことと同義だと思います。つまり、信念のもと、土地の声を聞きながら新しい宿の形を構築していくということなのでしょう。
奇をてらわない新しい施設として、島となじみ、気持ちのよいもてなしに心を配る。自然素材をふんだんに使い、ゆったりできるスペースを確保しながら、外への交流を促す余白も用意する……。
宿泊というのは、ごく私的な好みが印象を左右するものです。話題性という外へのベクトルではなく、内なる満足度で測ったとき、〝伝説の人物〟がつくった旅館を訪れほほ笑む人は、きっと少なくないと思います。
Photos:Tomohiro Sakashita, Max Houtzager, Hirohito Nomoto