お酒
奄美の自分時間。
─岸谷五朗が綴る、男と旅の物語─
2023.04.04
俳優・岸谷五朗が綴る小説に、そこからインスパイアされたビジュアルストーリーを添えるシリーズ企画の特別編。今回は、疲れた男をやさしく包む、奄美大島の南端を目指す――。
南の逃避行。
作・岸谷五朗
気づけば、疲れていた……。一人では成立しない仕事は沢山ある。だから、共存し、協力し、称え合い、褒め合う。一つのプロジェクトの成功は会社に大きな利益と信用をもたらす。そして、我々が社会で存在している意味と、生きている喜びをくれる。何よりも、そこで生まれる同僚たちとの人間愛が好きだった。
共存し、協力し、称え合い、褒め合う。仕事は流れに乗り、以前よりも発注も増え、ハードなスケジュールの中ででも最高の結果を残し、まるで戦車のように前進し会社に貢献し続けた。しかし、何かが……変わってきた。
同じようにプロジェクトを成功に導いているのだが、大きな違いが気づかぬうちに生まれていた。仕事をこなす中で仲間たちと、かつてと同じように「共存し、協力し」、そこまではいいのだが「称え合い、褒め合う」代わりに、「けなし合い、謗(そし)り合う」ようになっていた。仕事の結果は同様に「成功」であるのだが大きく違う。彼らと交わす祝杯の酒が不味(まず)くなっていた。
気づけば、疲れていた……、心が。
まったく使っていなかった有休をフルに使って、私は奄美大島にいた。40過ぎての一人旅。空港でレンタカーを借り、気の向くまま走りだした車は、南へ南へと島を縦断して疾走する。こんなに南に来たのに傷んだ心は、もっと東京から離れたいようだ。
出迎えてくれた異次元空間は「ザ・シーン ウェルネスリゾート」。奄美の最南端に位置するリゾートホテルだ。まるで友人のような若いスタッフたちが気取りのない接客をしてくれる。そう、奄美の自然が、決して出しゃばらず、ただ当たり前に存在し、癒やしを与えてくれるように、その贅沢なホテルは佇(たたず)んでいた。
手を伸ばせば加計呂麻島(かけろまじま)を摑(つか)めそうな屋上からの景色と風が、静かにゆっくりと心を透明にしていく。波音に誘われ浜辺を浮遊してみると、足の裏が大地を摑み呼吸する。全身で感じたくなった。砂浜に寝転んでみた……。スーツの汚れも気にすること無く頭から踵(かかと)までのすべての肉体が、砂浜に……、地球に……吸い込まれていく。何という感覚であろうか。波の音が砂時計のように時を刻んでいく。仕事で奪い合っている「皆の時間」ではなく、私の体の内部にだけ存在する「自分時間」という特別な長さを示す自由な時。自然がくれた浄化……。
「SKY」という空に一番近い部屋は、海と空と加計呂麻島との境目と隔たりを取り除いた大きな窓が自然の中に溶け込ませてくれた。一瞬で空を浮遊している感覚を部屋の中で感じさせてくれる。
そして、ゆっくりと迎えてくれるコース料理が胃袋を満喫させる。島の食材だけにこだわらず、北海道などからも食材を揃(そろ)える。北から南まで多種多様な料理が、島の酒とコラボし始める。黒糖焼酎がすべての料理をまとめ上げる「力」を発揮する。この島においてこの酒はスキがない。島の空気湿度、そして人間に合わせた焼酎である。
眠りに就く時、「ネイチャークレンズ」感性が波音とコラボし、静かに心と脳を浄化してくれた。
翌日の奄美の朝陽は、逃避してきた東京へと、優しく背中を押してくれていた。大自然の大きさに、自分の小さな悩みはオーバーホールされていた。また、しっかり新たな心でプロジェクトと人間にぶつかって行こう。だって私の悩みなどは、この自然の中では小さな小さなモノでしかないのだから……。必ず乗り越えられる! そんな想いに包まれた確信と共に、新しい自分が飛行機に乗った。ありがとう、奄美大島よ!
岸谷五朗(きしたに・ごろう)
東京都出身。1983年、大学在学中に劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団、舞台を中心に活動をスタート。94年に寺脇康文とともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成、すべての作品で演出を手掛けるほか、ほとんどの作品で脚本も執筆、累計120万人の観客動員を超え、テレビ・映画でも多彩な活躍を見せる。今年2月~3月には2度目の外部出演作となる主演舞台『歌うシャイロック』に出演。
ここには載せきれなかった岸谷五朗さんの写真はアエラススタイルマガジン Vol.54にてお楽しみください!
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Photograph: Satoru Tada(Rooster)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair & Make-up: Taichi Nagase(VANITÈS)