週末の過ごし方
カンボジアとラオスの古都で極上リゾート。
アマンでつなぐ、2つの世界遺産と美しきヘリテージ。
2024.10.02
世界最大級の宗教遺跡「アンコールワット」を擁するシェムリアップ(カンボジア)と、西洋のコロニアル建築と仏教建築が美しく融合したルアンパバーン(ラオス)。歴史が薫る2つの世界遺産都市で、その異国情緒を存分に味わえるリゾートといえば、アマンの右に出るものはないだろう。
アマンサラとアマンタカ。客室数はちょうど24ずつ。どちらもスモールラグジュアリーだからこそかなう心温まるおもてなしと、リゾートそのものが文化遺産という点が魅力だが、それ以上に私が感動したのはアマンの哲学だった。地域の伝統と文化、そして人々の暮らしを最大限尊重することで、共通点よりも個性が際立つ。だからこそアマンでつなぐ古都の旅は、よりいっそう記憶に刻まれる特別な旅となった。
国王の元・迎賓館を、遺跡巡りの拠点にするぜいたく。
今回、私が最初に降り立ったのは2023年10月に開港したばかりのシェムリアップ・アンコール国際空港。郊外に立つ巨大な新空港はどこか無機質に感じられ、「アマンサラ」の看板を掲げたスタッフを見つけたときは大きな安心に包まれた。
空港からアマンサラまでは送迎車で約40分。東南アジアといえば、けたたましいクラクションと荒々しい運転が日常風景だが、送迎車の運転は極めて安全で紳士的だった。そういえば「アマン」の語源はサンスクリット語で「平和なる」だったっけ。そんなことを考えているうちに、シェムリアップの街の喧騒が近づいてきた。
アマンサラは、1960年代にシアヌーク国王の迎賓館だった建物を改装し、2002年にまずは全12部屋のリゾートとして開業した。国賓のために使っていた施設に泊まれるなんて、もちろん初めてのこと。心が躍らないわけがない。ちなみに「アマンサラ」は、前述の「アマン」にヒンドゥー教の天女の名前 「アプサラ」を掛け合わせた造語だという。まるで天女が住む天空へ招かれるかのように、送迎車はそっと敷地内に入って行った。
車寄せを抜け、正面に見えるレストラン棟とプール、そして左奥の中庭と客室棟は、すべて迎賓館時代の建物だ。モダニズム建築とカンボジアの伝統文化が融合した新クメール建築の傑作は、それ自体がアマンの哲学のようにも感じられた。壁の色は白で統一し、回廊で日陰をつくることで高温多湿な環境へも対応。資料によると、フランスのシャルル・ド・ゴール元大統領や、ケネディ大統領の夫人のジャクリーン・ケネディ、英国の有名俳優ピーター・オトゥールなど、そうそうたるVIPがこの場所でバカンスを過ごしたという。
2006年には、敷地の奥に新しい客室、スパ棟、プールを増築し、現在の24部屋すべてが完成した。こちらのデザインを手がけたのはアマンではおなじみ、ケリー・ヒル・アーキテクツ。増築の経緯を知らなければ、どこまでが元の迎賓館か見分けがつかないほどシームレスにつながり、現在のアマンサラを構成している。
シェムリアップの朝は早い。この街の目玉、ワンコールワットが一番美しく輝くのが、日の出のタイミングだからだ。周囲が真っ暗なうちに起床し、出発の準備を始めるのだが、アマンサラのスタッフは午前4時半でもルームサービスでコーヒーとグラノーラ、フルーツを用意してくれる。日が出ると暑さで体力がすぐに消耗するので、万全のコンディションで出発できるのはありがたい限りだ。
写真では何度も見ていたはずのアンコールワットだが、実際に近づいてみるとその感動はひとしお。優美なレリーフ、神がすむ山をイメージした中央祠堂、左右対象のシンメトリックな構造。どの距離、どの角度、どの位置から見ても実に見事な遺跡である。この日はあいにく朝日を望むことはできなかったが、春分と秋分の日には中央の尖塔の真裏から太陽が昇るように設計されていると聞き、季節を変えて必ず再訪したいと思った。
ちなみに知名度ではアンコールワットが群を抜いているが、世界遺産にはその周辺も含む「アンコール遺跡群」として登録されており、見どころは数多い。アマンサラではなんと各部屋に専用のトゥクトゥクとドライバーを用意してくれているので、好きなときに好きなだけ遺跡巡りや市内観光がかなう。私が巡ったのは、アンコール王朝最大の都城アンコールトムや、映画『トゥームレイダー』の舞台で知られるタ・プローム、高さ50mの未完の寺院タ・ケウなど。すべてトゥクトゥクで回れる範囲ではあるが、効率よく回るには事前にフロントで相談しておくとよいだろう。
早朝の遺跡巡りのあとにおすすめしたいのが、クメールビレッジハウスでの朝食だ。王の沐浴地、スラスランを望む場所にアマンサラが所有するプライベートハウスで、見晴らしのよい2階のバルコニーが専用の朝食会場となる。メニューはアマンサラとほぼ同じものから選べ、1階で調理したものができたてで運ばれてくる。麺料理に添えられたハーブはなんと裏手の無農薬畑から採ってばかりとのことで、実にフレッシュな香りを放っていた。
こうした特別なロケーションでのおもてなしは、実はアマンの十八番。私自身も知ってはいたが、実際に体験すると旅の思い出のハイライトとして脳裏に焼き付いている。もちろんアマンサラは料理の味も抜群で、朝昼夜いずれもウェスタンとクメール料理、2タイプの料理を用意してくれている。シェフはインド出身で、プラントベースのヘルシーなビーガンメニューも得意とのこと。3連泊しても食の楽しみはまったく尽きなかった。
日中は遺跡巡りにちょっと暑すぎたので、アマンサラでのんびり過ごすことにした。街の中心部にあるとはいえ、敷地内のプールでのんびりくつろいでいると、アマンはやはりリゾートなのだと実感する。
午前中の遺跡巡りで歩き疲れた足を癒やすには、やはりスパが一番だ。予約したのは、「テンプル・ウォーク」という今の私にぴったりのフット&レッグトリートメント。ヒマヤランソルトとクーリングジェルを用いたスクラブがひんやりと心地よい。アマンサラは勤続年数の長いスタッフが多いそうで、スパセラピストもみな熟練の技術を持ち合わせている。指先、足裏、足首、ふくらはぎと、どこまでもみほぐしてくれたかわからないが、気付いたら心地よい眠りに付いていた。施術後の足元はすっかり血流がよくなり、羽が生えたように軽くなっていた。
遺跡巡りと併せてもうひとつおすすめしたいアクティビティが、ゲスト専用船「アマンバラ」でのトンレサップ湖サンセットクルーズだ。海岸線まで200km以上離れたシェムリアップだが、琵琶湖の約4倍という広大な湖に出れば、そこはまるで海原。突然、冒険の旅が始まった気分だ。
トンレサップ湖には湖面に浮かぶす水上家屋が2万戸以上あると言われており、そうした水上生活者の居住エリアも見学することができる。商店やレストランだけでなく、学校やお寺もそろっていて、アンコールワットとはまた違った驚きと感動がある。独自の専用船を用意してまで、ローカルの世界をのぞかせてくれるアマンサラ。20代の頃はバックパッカーだった私は、偉そうにも「さすが、旅の醍醐味(だいごみ)がわかっているなぁ」と感服させられたのだった。
瀟洒なフレンチコロニアル建築に泊まり、
世界遺産都市を旅する。
アマンサラをチェックアウトし、次に向かったのはラオスのアマンタカだ。2024年8月現在、シェムリアップ〜ルアンパバーン間は週に3便、ベトナム航空が直行便を就航しており、これを利用することで効率よくアマンホッピングの旅がかなう。
アマンタカは、サンスクリット語の「アマン」と、上座仏教の教書で「仏の教え(ティピタカ)」を組み合わせた造語で、「平和なる仏の教え」を表現している。かつてランサーン王国の首都として花開いた文化が、今もなお色濃く残る仏教都市ルアンパバーン。実にふさわしい名前だと感じた。
またルアンパバーンは、フランスの統治下時代のコロニアル建築が、元の伝統建築と美しく融合した街並みでも知られている。アマンタカが利用している建物も世界遺産条約の保護下にあったことから、その修復や改装は非常に慎重に行われたという。
天井が高く、開放感のあるエントランス棟。左手にレセプション、右手にはラウンジとダイニングが備わる。さらに先、ライブラリーを抜けると、現れたのはリゾート感たっぷりのプール。奥まで行ったところで反対側を振り返ると、シンメトリーなアマンタカの建物がプールの水面に美しく反射していた。
白壁とグリーンの窓枠、そしてオレンジ屋根の色彩バランスが絶妙で、フランスとラオス、そしてアマンの美的センスが融合すると、これほどにも美しい空間が生まれるのかと感嘆する。客室へは広々した敷地をさらに歩いて行くことになるが、この散策さえ楽しくなるほど、アマンタカはエレガンスに満ちあふれていた。
客室はぜんぶで5カテゴリー、いちばん小さいものでも71㎡(屋外含め159㎡ある。ミニマルでクラシカルな内装にモダンなアクセントを加えているのは、壁にかけられたドイツ人の作家兼写真家、ハンス・ゲオルグ・バーガーのモノクロ写真だ。木製家具のひとつひとつにも気品が感じられ、ヘリテージだからこそ醸すことができる格式高い空気が客室全体に漂っていた。
ちなみにアマンタカは、作家の村上春樹が寄稿文集『ラオスにいったい何があるというんですか? 』(2015年発行)を執筆する際に23番のスイートに宿泊している。本書の中に客室前の柱廊で椅子に座り、読書に没頭する写真も掲載。海外版ではこの写真が表紙になっていることから、同じ場所での読書に憧れるファンも多いのだという。
シェムリアップと同様、ルアンパバーンもまた朝の早い街である。この街に泊まったら、早朝の托鉢は絶対体験すべきアクティビティだ。僧侶たちは毎朝、肩から鉢をかけ、決まったルートで街を歩く。それに対し住民や観光客は道に座って待機し、僧侶が来るたびにもち米やお菓子、現金などの喜捨を行う。ルアンパバーンの托鉢は東南アジア諸国でも最大規模で、この托鉢文化のおかげで街なかでに押し売りや物乞いがほとんど存在しない、という見方もあるそうだ。
托鉢が終わったら、そのままモーニングマーケットに足を運んでみよう。ルアンパバーンの街は非常にコンパクトで、マーケットへも徒歩で7~8分ほど。個人で回ることもまったく難しくないが、アマンタカではシェフがモーニングマーケットを案内してくれるアクティビティも用意されており、ローカルへの理解を深めたい方にはそちらをおすすめしたい。
モーニングマーケットは、ナイトマーケットが開催されるシーサワンウォン通りから入った細道で、毎朝5時〜11時ごろまで開催される。海に面していないラオスでは、食材は森と川の恵みが中心。もち米を主食とする点では、日本人にも好まれるだろう。こちらの市場ではラオスの家庭料理に欠かせない生鮮食品をはじめ、乾物やお菓子、雑貨などがところ狭しと並ぶ。ラオス名物、メコン川で採れる川海苔「カイペーン」や唐辛子のペースト「Jeow Bong」なども売っているので、お土産に購入するのもいいだろう。
これまで70カ国以上旅してきた経験から、朝市ほどその国の生活が垣間見える場所はないと言える。色鮮やかな野菜が並ぶ一方で、生きたまま売られたアヒルや、食用と思われるカエルなど、驚くべき光景も多い。だが、これもラオスの日常をのぞくという点では、非常に興味深いローカル体験である。先ほどまで托鉢を行っていた僧侶たちが、朝ごはんを食べている姿にも遭遇し、なんだかほほ笑ましい気分になった。
ルアンパバーンの見どころは、モーニングマーケット周辺にほぼ集中している。軽く運動がてら登りたいのは、高さ約150m、328の階段が待ち受けるプーシーの丘。頂上には小さな寺院と黄金の仏塔がそびえ、世界遺産の街並みはもちろん、メコン川や支流のナムカーン川を一望できる。
80の寺院が点在すると言われているルアンパバーンだが、もしどれかひとつ訪れるのであれば迷わず「ワットシェントーン」を推したい。メコン川とナムカーン川に囲まれた半島部分の先端に位置し、ルアンパバーン様式のなかで最高傑作と言われる寺院だ。本堂の屋根は地面近くにまでせり出す独特の形状で、ファサードには豪華絢爛な金色の装飾が施されている。妻壁には、かつてのこの地にあった高さ160mの大樹をモチーフにした「マイトーン(生命の樹)」がモザイクで描かれており、これが実に美しいのだ。本堂の裏側にあるので、見逃すことなく鑑賞してほしい。
アマンタカでの食事は、いま振り返ってみてもどれもが特別だった。食材の調達はルアンパバーン郊外のオーガニックファームと直接契約しており、口に運ぶとどれも鮮度の良さが感じられた。またフランス文化の影響か、パンとコーヒーがとてもおいしく、柔らかい朝日が斜めに差し込むメインダイニングでの朝食は十分に幸せなものだった。しかし、できることなら1度はホテルを出て、アマンの真骨頂、プライベートダイニングをぜひ体験してみてほしい。
そのひとつがクアンシーの滝でのブレックファスト・ピクニックだ。石灰華段丘で形成されたラオス屈指の自然スポットで、ルアンパパーンからは南へ約30km行った先にある。専用車での往復送迎がセットになっており、滝に到着するころには別の車で先回りしていたスタッフが、テーブルクロスをセットし、特等席を準備してくれている。メニューはシリアルやサンドイッチ、フルーツの盛り合わせなどから事前に選択。木漏れ日と滝からのマイナスイオンが降り注ぐなか、絶景を独り占めする、実にアマンらしいぜいたくな体験。できれば水着とタオルを持参し、朝食後にも少しばかり天然のプールで泳ぐ時間も取りたいところだ。
もうひとつ興味深いのが、前述したオーガニックファームでのクッキングクラスだ。竹のカゴで米を炊いたり、バナナの皮で魚を蒸したりと、調理器具から本格的にラオス料理を体験できる。サラダからメインまで4品ほどを作ったら、テーブルがセットされた東屋で味わう。先ほど自ら料理したラオス料理も、手前味噌ながら絶品(もちろんアマンスタッフの丁寧なレクチャーのおかげなのだが)。街の中心部から車でわずか10分ほどの距離で、これほどまでにのどかな水田のパノラマが広がっていることにも驚かされ、五感を通じて農業国ラオスの豊かさを実感することができた。
ちなみにこのオーガニックファームは、農村の子どもたちの教育サポートや、村のインフラ改善整備にも力を入れている。ゲストはアマンタカに泊まり、ファームの野菜を食べることで、そうしたサステナブルな循環の一部になれる、実に素晴らしい取り組みだ。なお、こちらのロケーションは夕食時にも貸し切り可能。キャンドルのあかりと満天の星の下で楽しむロマンチックディナーは、想像しただけでうっとりしてしまう。
街を存分に堪能したら、館内ではウェルネス施設を積極的に利用したい。アマンタカはカップル対応可能なトリートメントルームを4室有し、サウナや温冷プールを備えた温浴施設(プライベートでの予約制)も備える。スパはマッサージ、フェイシャル、スクラブなど多様なメニューがそろうが、ここではラオスの伝統的なマッサージがおすすめ。オイルは使わず、タイ古式と日本の指圧マッサージを掛け合わせたような施術が、優しく心身をときほぐす。
またスパ棟の反対側の建物にはフィットネスジムがあり、マシンの種類も豊富。その並びにはさらにヨガスタジオ(希望に応じてプライベートレッスンを開催)、またちょっと離れたところにはテニスコートも所有しており、客室数と比較してもかなりの充実度になっている。
不定期開催にはなるが、運がよければアマンタカのプールサイドで、ラオスの民族舞踊鑑賞もかなう。灯篭でライトアップされたプールサイドはそれだけでムード抜群だが、インドシナの伝統的な打楽器ラナートの音色は、まるで時空を超えて奏でられているかのように幻想的だった。この日はインドの叙事詩『ラーマヤナ』の物語を表現するパーラック・パーラムが披露された。旅のラストナイトということもあり、よりいっそう心に刻まれる素晴らしい夜となった。
まもなくチェックアウトというころ、地元の祈祷師の方がバーシーのために集まってきた。バーシーとは、結婚や出産、引っ越しなど、人生で大切な節目となるイベントの際に、健康や多幸を祈るラオスの伝統儀式。このまま日本へ安全に帰れるようにと、花を飾った祭壇を用意し、祈りを捧げてくれた。おまじないとして3日は手首に巻いておくように言われた白い糸。私はアマンサラ&アマンタカの思い出を引きずるかのように、1週間は外せずにいた。
今回2つのアマンを通じて、さまざまな地域の伝統、文化、歴史との触れ合いを経験できた。これまで世界各地を旅してきたからこそ、アマン以上に旅の神髄が詰まったリゾートはないと感じている。アマンにはとことんローカルに根差す哲学があるから、アマンホッピングをしてもそこに既視感は一切なく、はっきりと個性の違いを感じることができた。私の脳裏に刻まれた美しい記憶が、早くも次のアマンを求めている。これがアマンジャンキーという中毒なのか。アマンの経験はまだまだ浅いが、もっと各国のアマンの個性を体験してみたいと強く感じた旅だった。