お酒
桜島を望む、美酒佳肴の旅。【後編】
―岸谷五朗が綴(つづ)る物語―
2025.05.09

俳優・岸谷五朗が綴る小説に、そこからインスパイアされたビジュアルストーリーを添えるシリーズ企画。桜島を前にして、静かに一献。人生がまた、動きだす──。
父の焼酎。【後編】
作・岸谷五朗
そこから異次元の父が現れた。ゆっくりと振りかぶり、しっかり足を踏ん張り投げ込まれたボールは、空気を切り裂き唸(うな)りを上げ、手元でシュートがかかりながらホップし私に向かってきた。まさか……キャッチャーミットを弾いてボールは金網に突き刺さった。「え……」。慌ててボールを拾い返した。キャッチするやいなや、信じられないオーバースローの大きなフォームで恐ろしい球が再び投げ込まれた。2球目もミットが弾かれた。逆光に照らされた父のシルエットが巨大に、偉大に見えた。私は井の中の蛙(かわず)であったことと、この野球センスは間違いなく遺伝であったことに気付かされた。
焼酎好きの父は、春水割り、夏ソーダ割り、秋ロックで、冬はお湯割り。四季の晩酌での楽しみは割り方にあった。社会に出て、私の方が父より忙しい日々になり一緒に酒を酌み交わすことも少なくなった冬のある日、父の焼酎お湯割りに便乗しようと、焼酎を入れお湯を注ごうとしたら、「お湯が先だ」「え?」「焼酎お湯割りはお湯が先だ」。そう言って、一杯の焼酎を作ってくれた。お湯の中に焼酎が透明の魔法の渦を描きながら香りを引き立たせコラボしていく。「焼酎は味が動くんだ」。なるほど……。父が、本気のピッチングの後に見せた、あの時と同じ軽い笑顔で私を見た。シワは増えたが良い笑顔が、また人生を教えてくれたのだ。
そんな私にも息子ができ、父はもういない。鹿児島出張で妻に許可を取り一日寄り道をした「界 霧島」。

ビューテラスからのいきなりの絶景に時が止まり言葉を失った。無限の空が同一目線上に広がり、桜島が大地に胡座(あぐら)をかき鎮座する。すべての自然とのコラボレーションがそこにあり、偉大なる桜島に父のオーバースローの投球が重なり映し出された。大地が私を包み込み、父に抱きしめられている感覚に襲われた。露天風呂は星屑(ほしくず)に覆われ温泉が人生を優しく慰めてくれる。そして、繊細な料理のオンパレードに合わせ、一杯ずつ焼酎をセレクトしていく贅沢(ぜいたく)な夕食。美味が幸せと共に口内に広がった。
お湯を先に、ゆっくりと焼酎を注いだ。あの父の「香り」に包まれ、焼酎と共に、また人生も動きだす。
岸谷五朗(きしたに・ごろう)
東京都出身。1983年、大学在学中に劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団、舞台を中心に活動をスタート。94年に寺脇康文とともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成、すべての作品で演出を手がけるほか、ほとんどの作品で脚本も執筆、累計120万人の観客動員を超え、テレビ・映画でも多彩な活躍を見せる。

中村酒造場
創業は明治21年(1888年)。鹿児島県霧島市にある国分平野の田園地帯で、6代にわたり焼酎造りの伝統を継承し、進化を追い求めている。選び抜かれた素材と手仕事にこだわることで、ここの石造りの蔵にしかいない「三種混合麹菌」による無二の繊細な味わいを際立たせる。界 霧島では滞在時のオプションとして、醸造所見学が可能(要予約)。
https://nakamurashuzoujo.com/brand/nakamura/
Photograph: Yuji Kawata(Riverta Inc)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair & Make-up: Maki Takahara(ENISHI)