週末の過ごし方
食体験から文化の学びへ
門戸を開く八雲茶寮というサロン
【センスの因数分解】
2025.12.10
“智に働けば角が立つ”と漱石先生は言うけれど、智や知がなければこの世は空虚。いま知っておきたいアレコレをちょっと知的に因数分解。
サロンという言葉は、もともとラテン語で広間を意味する「サネ」を語源とするフランス語。かつて貴族の広間に集った芸術家や学者たちが議論を交わしたことが転じ、交流の場という意味として使われるようになったそうです。
駒沢公園からほど近い、目黒区の住宅街に立つ邸宅をリノベーションした『八雲茶寮』は、単なる茶寮=お茶や料理を提供する場ではなく、「現代の文化サロン」として料理や菓子、お茶の提供のほかギャラリー、さらには特別講座といった企画を開催しています。
11月にも『美味求真』というユニークな催しが行われました。『美味求真』とは大分県出身で貴族院議員や衆議院議員を務めた木下謙次郎による随筆で、今から100年前に出版されました。「美味とはなにか」という大きなテーマを、文化、科学、歴史学などの多角的アプローチから言及しており当時ベストセラーとなりました。この本が100年の時を超え、河田容英氏の現代訳によって新たに刊行されたことを発端としての企画です。
大正14年出版の『美味求真』は文語体、しかも随所に漢文が挿入されていることもあり、現代人には大変難解な書物になっています。そういった経緯から、教育関係の会社経営もする訳者の河田氏は100年前の書物の世界と今の橋渡しをしたのです。オリジナルでは生物学者の北里柴三郎が執筆している序文を、同じく生物学者である福岡伸一氏が寄稿。そして当日は前半に河田氏と、福岡両氏による対談が行われました。
それは「美味」というお題を入り口に、その根幹にある命に到達する内容でした。なにかを食べる、という行為は食べられるもの(命を捧げる存在)と食べるもの(命をいただく存在)という単なる対比ではなく、実は食べられる側が命をあえて差し出している利他的な行為によって成立するという生物の営みに触れることで、現代の成長美学や弱肉強食的観点とは異なる考え方を掘り下げる機会にもなっていました。
後半は、梅原陣之輔料理長が腕を振るった美味求真をテーマにしたコース料理です。筆者の木下謙次郎、河田容英氏そして梅原料理長が共に大分の出身ということもあり、臼杵(うすき)のフグをはじめとし『美味求真』の一節を取り上げた料理の数々は、大分から取り寄せた食材で構成。ペアリングには、同じく大分の総合醸造企業である三和酒類株式会社のワインや日本酒が提供されました。
フランスからの外来語として入ってきた「サロン」という言葉ですが、現在の日本では本来の意味を超え、ヘアサロンやティーサロンといった特定のコンテンツを提供したりサードプレイスとしての意味合いを含むような変化が見られます。一方八雲茶寮が掲げる「文化サロン」はテーマに合った知を得、意見を交換するといったそもそもの意味合いを内包しながら、茶寮として提供する料理からも気づきと学びが得られるようになっています。
たとえば『美味求真』では、めくると本書に登場する食材のくだりが書かれてた栞(しおり)状の品書きが、ひとりひとりの席の前に置かれおり、木下謙次郎が素材とどう向き合っていたか、どう求心したかを読み、思いをはせながら料理をいただきました。ほかにも、江戸料理文化の研究家である車 浮代氏を招いての『季節を味わう江戸の宴―花火の宴』では、江戸の人々がことのほか愛し『豆腐百珍』なるレシピ本まであったという史実を紹介し、豆腐料理が並ぶといった具合です。座学と実食の双方から、時を超えて日本の食文化を理解する機会になっているのです。
味だけでなく、器や店の室礼(しつらい)など、料理店で美意識を磨く機会を得た経験を持つ人は少なくないでしょう。八雲茶寮が行っているサロンは、さまざまなテーマを引き合いに日本をより深く学ぶことができます。目黒区の閑静な住宅街にあるここは、ディナーは紹介制。ランキングやメディアとは一定の距離を置いており、広く門戸を開いている店とは言えないでしょう。しかし日本の食文化の学びの機会を得たいという思いを抱く人には、四季を通し、オリジナリティあふれる豊かな体験が提供されているのです。
八雲茶寮
東京都目黒区八雲3-4-7
yakumosaryo.jp