例年になく雪の多かったこの冬、名峰岩手山も白く覆われた。この風景を望む地に「グランドセイコースタジオ 雫石」はある。一昨年グランドセイコー誕生60周年の節目の年に、盛岡セイコー工業が開設した、新たな生産拠点だ。ブランド哲学である「THE NATURE OF TIME」を具現化し、世界的にもまれな木造建築のクリーンルームでグランドセイコー・メカニカルモデルの組立や精度調整が行われている。
豊かな自然環境のもと、技術者のあいだでも毎朝まるで天気を話題にするように岩手山の風景から会話は始まるそうだ。代表取締役の林 義明社長は言う。
「岩手山はある種シンボリックな存在であり、身近に感じることでコミュニケーションもより良くなっているようです。スタジオの採光性も良く、作業からふっと目を休めたときにも周囲の自然が目に入ってきます。リフレッシュという意味でもとてもいい環境ができました」
本格始動し、2度目の春を迎えようとするいま思うのは、やはり自然との共生だ。
「今年は本当に雪が多く、改めて自然というのはその時々や条件で大きく変わってくることを実感します。人間が生きていくにはその自然と共生しなくてはいけないし、恐れることも必要です。そうした感覚が日常生活や時計づくりにも大切であることをより感じますね」
決して思いどおりにはいかない自然と向き合うことで、人も謙虚になり、粘り強さや実直さが生まれる。「それも自然に育まれた岩手の県民性であり、グランドセイコーにも宿っているのでしょう」と語る。
自然との共生・調和を目指すスタジオの象徴が、クリーンルームに設置された作業デスクだ。美しい木目に奥深い漆が醸し出す、まるでアンティーク家具のような風格が、最新鋭の検査や測定機器が整えられた空間でもひときわ異彩を放つ。岩手県の伝統工芸のひとつ、岩谷堂箪笥(いわやどうだんす)の技法を使ってつくられた逸品だ。
その起源は康和年間(1100年代)にさかのぼり、天明時代(1780年代)に岩谷堂(現在の岩手県奥州市江刺)の領主、岩城村将が命を下し、地場の産業振興として生まれたという。豊かな森林が育んだ良質の欅(けやき)や桐(きり)などを古くから一大産地として誇った漆塗りで仕上げ、さらに鍵などに用いた金具には精細な彫金や鋳鉄で竜や虎、花鳥などさまざまな装飾を施す。こうした木工、漆、鉄細工という異なる職人技を組み合わせ、その名を全国に知らしめたのである。
だが特徴はそれだけではない。戦後には伝統を守り、維持するため、生産者同士が結束し協同組合を結成。安定した生産と切磋琢磨(せっさたくま)して品質を向上させる一方、独自の伝統工芸士認定制度を導入し、技術の研鑽(けんさん)と作り手の育成を続けてきた。そして製品は箪笥にとどまらず、現代の住環境に合わせてキャビネットやテレビボードなど多岐にわたり、海外にも愛好家は広がる。そのタイムレスな魅力が“現代のアンティーク”として高く支持されているのだ。そこに貫かれるのは、岩手の風土と歴史に培われた伝統の継承と次世代につなぐ革新性だ。それもまたグランドセイコーの精神と呼応するのである。
岩谷堂箪笥との出合いは、2004年に盛岡セイコー工業が設立した「雫石高級時計工房」がきっかけだった。まさに地元の名を冠したグランドセイコーの専用工房にふさわしい什器として、同じ価値観を共有する岩谷堂箪笥に着目し、これを専用デスクにできないかという発想だった。その依頼を受けたのが中千家具製作所。代表の中村裕明さんは当時を振り返る。「依頼内容は、作業しやすいようにL字型をした独立型デスクでしたが、角度のついた仕様は初めてでした。組み立てに工夫が必要で、漆の重ね塗りにも苦労しましたね」
こうして丹精を込めた作業デスクは工房にぬくもりを与え、ここから多くのグランドセイコーが生まれていった。やがてその工房も今回の新スタジオに移行することに。このとき、検討されたのが作業デスクだった。
「設備も最新になるし、この機会にデスクもリニューアルしてはという意見が出ました。でも最終的に岩谷堂箪笥を使いつづけようとなったのは現場の声でした。工房時代からの原点であるし、岩手県の伝統工芸の魂も引き継ぎたいと。やはり日々使ってきてなじみ、深い愛着があったのでしょう」と林社長は言う。
だが仕様は、より効率良く作業できるよう、これまでの独立型から横一直線の平置きに変えられた。そのためにはデスクを一度分解し、つくり直さなければならない。作業は手間と時間がかかり、中千家具製作所でも月に1、2台が限度だった。
「それでもやろうと。結局スタジオ建設と並行して進め、1年がかりでデスクをつくり直してもらいました」(林社長)。
一方、担当した中千家具製作所の職人は、戻ってきたデスクを見て感動したという。それは日々の作業のなかで厚く塗り重ねた漆がこすれ、深い色合いがすっかりあせた姿から、時計職人たちの息遣いが感じられたからだそうだ。そこに再び美しい漆が施され、ジャンルは違えども、つくり手同士の変わらぬ情熱が通い合う。その熱い思いもグランドセイコーに注がれている。
どれほど高い理想を掲げ、最新鋭の設備を整えたとしても、それにふさわしい技能と志を持った人材を擁さなければ画竜点睛を欠く。そのため盛岡セイコー工業では人材育成と技術の継承を積極的に進め、前述の「雫石高級時計工房」設立と同時に独自の「マイスター制度」を導入した。この制度は2年に1度認定が行われ、専門分野でのより高度な技術を習得するだけでなく、3ランクがあり、各ランクの保有者は自らの技術を伝承するために後継者を指名し、長期にわたって育成に当たらなければならない。
匠の技というとどうしても経験値に委ねられがちだが、それを可視化し明確化することが継続性にもつながる。この取り組みは昨年新たな実を結んだ。同社の山﨑英人さんが令和3年度の「卓越した技能者(現代の名工)」に選ばれたのである。「卓越した技能者」は、厚生労働省が優れた技能者を毎年1回表彰する制度で、その道の第一人者としてのお墨付きと言っていい。
今回の受賞において特に価値があるのは、金型仕上げという部品製造に関わる分野だからだ。林社長は言う。「工業製品である時計の精度を上げるには、部品自体の精度が不可欠で、いかに人間の調整技術が高くても限界があります。逆に部品精度が高ければ、最終的な組立工程での調整もしやすくなります」
金型こそその重要な礎石であり、そこで求められるのが「現代の名工」に選ばれた山﨑さんの担う金型仕上げだ。つくられた金型をさらに数ミクロン単位の精度で追い込み、仕上げる。作業はそれだけでなく、金型を組むプレス機のバランス調整をはじめ、試験運用時に発生する問題への対処、その金型での製造部品を組み込んだ状態での検証など多くの案件があり、完成までには約1年かかるという。
それにしても手仕事でミクロン単位の調整をするというのは至難の業だ。
「いや、自分ではもうなんとも思わなくなって。やればどうにかなるって(笑)。それよりも新しい仕様の金型をどうやってつくろうかっていうときが自分自身本当に燃えますね」と山﨑さんは意気軒高だ。
突き動かすのは、手がけた金型が精度の要になっているという自負だ。
「金型は特に小さい部品製造なので、高精度、高精密じゃないと腕時計も立ち行きません。それは自信や誇りにもつながっています。それに金型からできた部品が多くの仲間の手によって組み立てられ、調整され、腕時計になることに喜びや達成感を感じます」
自分が関わった腕時計をしている人を見かけると思わずほっこりする、と山﨑さん。その柔和な表情におおらかな岩手山の姿が重なる。グランドセイコーの正確に刻みつづける針にもどこかぬくもりが伝わるのは、岩手の大自然に抱かれ、モノづくりに専心する人々の思いを宿すからだろう。
2006年には社内のマイスター制度に加え、自社で独自に実施する技能評価が岩手県知事より認定を受け、「いわて機械時計士技能評価(機械式時計修理職種)」をスタート。岩手の地で脈々と受け継がれてきた機械式時計の技能・技術を、自社のためだけでなく、日本の時計産業における機械式時計の技能、技術伝承、機械式時計士育成のために実施、貢献している。
「伝統工芸を含め、県内企業の持つ特殊な技術について技能評価していくという趣旨に賛同し、盛岡セイコー工業が第1号として認定取得しました。機械式時計に携わる国内の時計技能士に技術を継承する目的から、検定は社内やグループだけでなく、全国から受けていただいてます。こうした制度に私たちがこだわるのは、実技だけでなく学科があり、技術の基礎には理論も必要だと考えるからです」と林社長は説明する。
岩手で受け継がれてきた匠の技が、これからも日本の機械式時計産業の未来へ大きく貢献していくに違いない。