カジュアルウェア
ブルネロ・クチネリが世界的なブランドに上り詰めるまで。
映画「ブルネロ 静かなる先見者」が公開中!
ファッショントレンドスナップ 231
2026.11.05
日本には世界に誇るファッションブランドがいくつも生まれています。モード系ブランドであれば、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、サカイが有名。またユニクロは、海外で1717店舗(2028年8月期)を展開するなど、その知名度は世界中で爆上がりしています。
※パリでコレクションを発表する日本の人気ブランドはほかにもあります。あくまで個人的なチョイスなので、ご了承ください
こうした状況で、日本のファッション業界を激震させるニュースを最近よく目にします。それは、日本のブランドを育て支えてきた生産工場が次々に廃業し、後継者不足や職人の高齢化によって、それまで蓄積されてきた日本の技術が継承されなくなりそうだという記事。なかでもニット関係の工場の減少は深刻で、50年前には1万社以上あったのが、現在では約1200社まで減少、国内生産比率は1%未満になったという書き込みには大きな衝撃を受けました。
そんな日本のニット産業、ファッション業界の新しい指針、ビジネスチャンスの作り方、経営者に必要な理念や才能を学ぶことができるかも?と思うイタリア映画が現在公開中。
もちろん、ファッションに興味のない方が見ても充分に楽しめるストーリー。監督は、映画『ニュー・シネマ・パライダイス』でアカデミー賞外国語映画賞をとったジョゼッペ・トルナトーレなので、その完成度の高さは保証つき。
映画「ブルネロ 静かなる先見者」は、イタリアの中部で電気、ガス、水道が通っていない農家で育った、資金も経験もない25歳の青年が、小さなニットの製造販売の会社を立ち上げ、ヨーロッパでその人気に火がつき、その後ラグジュアリー ブランドとして世界的な成功をつかんでいく姿が描かれています。ここまで読むと、よくあるファッションブランドのサクセスストーリーかと早合点しがちですが、ブルネロ ・クチネリは、ちょっと変わった決断をし、行動していきます。
上の画像は、映画のために再現されたブルネロ・クチネリが生まれた家と親族が暮らす石とレンガでできた簡素な古びた家。
彼は1953年生まれですが、当時のイタリアは都市部と農村部ではかなりの格差があったことが見て取れます。というのも、1953年公開のアメリカ映画『ローマの休日』に出てくるローマの生活環境と見比べるとかなりの差があるからです。
※「ローマの休日」はアメリカ映画流の誇張した部分もあるかも知れませんが、ローマの車の量や下町のアパートでの生活環境、カフェなどの描写には当時のリアリティーがあふれています
映画の中ではブルネロ・クチネリの家族と親族だけが、村とは離れた場所で暮らしていて、大地を耕すのは牛、住む家の一階は豚、鶏、牛などの家畜を飼うスペースという18~19世紀とそれほど変わらない、イタリアの典型的な農家だったことが再現されていました。
小作農家だったクチネリ家に大きな転機が訪れます。ブルネロ・クチネリが15歳の時に、一家が都市部(ペルージャ)に引っ越しをし、父親が工場で働き始めたのです。
ブルネロ・クチネリは、そこで昼間は測量士の学校に通い、夜は地元のカフェに併設されたトランプのカードゲームの小部屋に通うようになります。
※昭和の日本にもマージャン好きが集まる店が至るところにあり、そこでは明け方までゲームを楽しむ人が絶えませんでしたが、それに近いイメージではないでしょうか
休日は日本製のバイク(カワサキ)に乗りツーリングをして気晴らしをするという、イタリアの無邪気な不良(ちょいワル)が出会ったのが、彼の妻となるフェデリカ・ベンダ。この出会いが、後のブルネロ・クチネリの人生を創っていくことになります。
ブルネロ・クチネリの妻であるフェデリカは、二人が出会った後に小さな洋服屋を始めるのですが、ブルネロ・クチネリがそこに出入りしているうちに変化が。大学の工学部に通っていた彼が、突然ニットの小さな会社を立ち上げ大学を中退してしまうのです。
そのきっかけになったのはフェデリカの洋服屋での体験と、当時イタリアで有名だったスポーツアパレルメーカーのエレッセ(ペルージャで創業)でモデルをしながらファッションセンスを磨いたことではないかと思います。その辺の経緯もチラッと映画のなかで触れていますので、お見逃しなく。
ペルージャ近郊の小さな事務所兼工房で最初に作ったのは、5着のカシミアセーター。それも5万リラ(昔のイタリアの通貨はリラで、日本円にすると約4万5000円の価値)を借りて作ったという、今では信じられないような小さな起業。
その5着は、染色職人を彼の熱意で説得し、当時はまれだったカラフルな色のカシミアセーターに仕上げられました。彼はそのセーターを持ってドイツへ向かいます。バイヤー向けの展示会では、注文が殺到している人気のセーターブランドだと思わせるような芝居を友人とやるという奇策を実行。
ここで、ブルネロ・クチネリのビジネス センスが垣間見えます。初期の主力取引先にドイツを選んだ点です。なぜなら、当時のドイツのファッション業界の初回取引では、オーダーした側が前金を支払うことが多かったようで、まだ若く資金繰りが厳しい彼には最適だったのです。
それに対して当時のイタリアのファッション業界は、古くからの信用取引が残っていて、小売店(ショップ)がメーカーや工場に注文をしても後払いすることが多く、支払いがいつになるのかあいまいになることが多かったのです。
そのうえ、イタリアではベネトンやミッソーニのようなトレンド満載の斬新なニットブランドから、ヨーロッパの老舗ブランドから発注を受ける技術力を持った工場まであったので、無名の若者が作ったニットを買い付けるショップや百貨店バイヤーはほぼいないと、ブルネロ・クチネリは読んでいたのではないでしょうか。
この辺のビジネスセンスは、学生時代に通ったカフェでのカードゲームで培ったのではないかと、私は勝手に妄想しています。自分の持ち手のカードが不利でも、対戦者のカードを推測し、自分が勝てるように相手の心理を操るテクニックが、この新しいビジネスでも応用できたのではないでしょうか……。
映画では、小さなニット会社がその後、急成長していく姿と、会社や工場の環境整備、職人の持つ技術を尊重し、快適でストレスのないワークスタイルを実現していく過程を追っていきます。
なかでも有名なのが、ブルネロ・クチネリの妻が生まれ育った中世の面影が残るソロメオ村に会社を移転し、村の歴史的に貴重な建物を修復し、図書館や劇場を新設したこと。
ソロメオ村にある本社には、職人から経営トップまでが自由に地元の食材を生かしたランチが食べられる美しい食堂があり、職人が働く施設は、一面がガラス張りになっていて四季を感じながら仕事ができるという素晴らしい設計で、給料はイタリアのこうした職人の平均金額よりも飛び抜けて高いとか。
この映画の後編は、イタリアの職人の技術をどうすれば次世代に渡せるかという問題にも取り組む姿が描かれています。
これ以上書くと映画のネタバレになるので控えますが、何気ない一瞬のカットのなかに日本のアパレルメーカーや地方の工場が抱える問題の解決策になりそうなヒントが詰まっているのです。
この映画を見た個人的な妄想ですが、日本にも瀬戸内の島で町おこしをしながらデニム工房を作ったり、信州の古民家をリノベーションしてアパレルブランドの本社やショップを作るといった動きが起きて欲しいなと……ブルネロ・クチネリのような奇跡(ミラクル)を日本でも見てみたいと思うのは、私だけではないはずです!
「ブルネロ 静かなる先見者」
監督・脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ
配給/ロングライド
公式サイト/https://longride.jp/brunello/
TOHO シネマズ シャンテほか全国公開中
ブルネロ・クチネリの服は、クワイエットラグジュアリーを代表するブランドとして世界的に知られていますが、こうしたイメージが作られた背景には、映画『ブルネロ 静かなる先見者』で描かれたような類いまれな経営センスと揺るがない人間愛と哲学をミックスした独自の会社理念があったからではないでしょうか。
クチネリストと呼ばれる、このブランドの熱烈なファンは、服のデザインや素材の素晴らしさだけではなく、ブルネロ・クチネリが進める地域復興や、職人技継承のための学校運営などを理解し、このブランドを応援(服を購入)しつづけているのです。
上の画像は、ブルネロ・クチネリが2013年6月にフィレンツェ郊外の古い館で行ったパーティーのワンシーン。参加者は、世界中のバイヤーやジャーナリスト、限られた顧客というもので、トスカーナ料理がフルコースでサービスされました。
丘の上にポツリとある館で、その庭にテーブルが並び会場ではクラシックの生演奏が流れていました。ちょうど日没のタイミングに人が集まり始めたのですが、この芝の庭に入った瞬間、イタリア流ラグジュアリー、ブルネロ・クチネリの考える世界観がダイレクトに伝わる演出でした。
Photograph & Text:Yoichi Onishi