紳士の雑学

絶望の淵で見いだした
街を変え、人を幸せにするカフェ 第1回

2017.12.13

1995年、人もまばらな問屋街だった大阪・南船場に一軒のカフェレストランが誕生した。当時は他の飲食店が見向きもしない”バッドロケーション”だったにもかかわらず、やがて伝説と言われるほどの繁盛店となる。

それをきっかけに街は大きく変貌を遂げた。個性的なアーティストらが集まり、セレクトショップやヘアサロン、カフェが立ち並ぶ大阪で最も先進的でおしゃれなエリアとなったのだ。まさに、その店こそがバルニバービの1号店「アマーク・ド・パラディ」、仕掛け人となったのは代表の佐藤裕久氏だった。以降、その異色の経営手法で全国に店舗を展開。いま、地方自治体などからも熱い視線を送られる時の人に話を聞いた。

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お金を稼いだら幸せになれると思っていた。

ずっと過去にさかのぼると、大正時代にひいじいちゃんが京都大学、当時の旧制三高のすぐそばで、当時としてはハイカラなレストランを開いていたんです。

僕が生まれたときにはそのレストランはもう閉めていて、家はお菓子屋になっていました。でも、おばあちゃんはその店の料理人だったので、明治生まれの人とは思えない料理を作っていたんですよ。

ハヤシライス、スコッチエッグ、ポークチャップなんかをデミグラスソースからひいてね。ちょっとほかの家の食卓とは違っていたと思います。それで、おばあちゃんは孫がかわいいから、僕に料理を教えてくれるんですね。

でも父親はそれを快く思っていませんでした。「男が台所に立つもんやない」というタイプ。僕が大きくなって「料理の学校に行きたい」と言ったら、もうけちょんけちょんです。「アホなこというな」と。料理人の世界は父親にとってはアホなことだったんですね。父親は怖かったですね。だから長い間、料理のことは封印していました。

家庭はちょっと複雑な事情もあって、よくもめていたんです。時に原因となったのはお金のことでした。生活もいっぱいいっぱいだったのでしょう。もちろん両親はぼくのことを精一杯育ててくれていました。でも、子ども心に思うんですよね。「稼ぎたい」と。お金があれば、少なくともこのいざこざはないよなあと。

──その後、佐藤氏は料理への思いは封印したまま神戸市外国語大学へ進学する。厳しい父親から逃れたいという思いもあり、19歳で念願の一人暮らしを始めるのだ。

家賃1万5000円、ボロボロの木造アパート。四畳半ひと間、トイレは和式の共同、もちろん風呂なしで、世間ではボロ家かもしれません。でも僕からしたら天国でした。「よし、ここから人生スタートや」って。

当時は自分の人生を自分で歩めることに幸せを感じていました。だから学生で起業して、大学生ながら年収400万円以上はありました。その後、24歳でアパレル会社を立ち上げて稼ぎました。でも、幸せじゃなかったんです。稼げるようにはなったけど、いつも何かに追われ、仲間の幸せなんかを考える発想もありませんでした。

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すべてを失い、目指すことも消えた日。

26歳から27歳になる年の1週間で人生を変えるような出来事が3つ起こったんです。それも大晦日の夜、当時住んでいた家が火事で燃えたんです。「除夜の鐘と消防車のサイレンが同時やった」っていまは笑い話にしていますが。

そして1月3日。そのころ、自分の会社がパリのあるカジュアルブランドの日本の独占販売権をもっていて、すごく売れていたんです。ところが、そのフランス本社の経営者一族が脱税で全員逮捕、倒産したことがわかったんです。こっちは火事で家もないのにパリから電話がかかってきて「佐藤さんやばいです。倒産したみたいです」「そんなわけないやろアホ。こんなに売れてるのに」ってね。急ぎ、パリ行きのフライトを手配しました。

そうしたら悪いことは重なるもので、パリ出発前日の1月7日に、神戸の某百貨店から呼び出しです。百貨店内に出していた2軒の店を「今月で閉めてください」と。

たった1週間でそのときの事業の4割を失いました。
そこからはもう敗戦処理ですね。夏ごろに社長を辞任し、残った借金の一部を個人で負いました。
何もかも失くしました。お金も、住む家も、仕事も。そんな状況で、いちばんつらかったのは、やりたいこと、目指すことを失くしたことだったんです。
それまではお金をもうければ幸せになれるはずだったんです。少なくとも小銭は稼いだんですよ。同年代の10倍くらいはありました。けれど、その結果それでは幸せにならんぞと。見栄だけ張って、格好だけつけて。薄っぺらでしたね。

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人生の転機は、震災と一杯のおかゆ。

それからは、とにかく借金を返すだけのために生きていました。昼間は友だちの会社に勤めさせてもらって、夕方5時以降は、のちにバルニバービの前身になる佐藤オフィスを立ち上げて仕事をしていたんです。

──多額な借金を返すため約5年間、息をつく暇もなく働きに働いて、ついに借金を完済する。完済直後の1995年、1月、阪神・淡路大震災が起こる。

長い間、神戸に住んで、神戸で仕事をし、神戸を愛していました。
震災を目の当たりにして、2つのことを思ったんですね。「そうか、人生は突然終わることがあるんだ」と。そして「僕もそれは同じや。それならやりたいことをやろう」と。

寒い冬でした。雪も降っている日に、ガスは止まったままでした。そのときに炊き出しを手伝う機会があったんですね。塩と胡麻油で味付けしただけのおかゆを出して「がんばろな」って。皆が「おいしい」「ありがとう」「がんばろな」って。泣いていないつもりでしたけど、涙が止まらなかったんです。

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僕は、小さいころから料理が得意でした。小学校3年生のころにはハンバーグを作れましたし、5年生になると中華鍋を振っていました。喜んでくれる母親やおじいちゃん、おばあちゃんがいてくれました。

そのとき、そんな原体験を思い出したのか「料理っていいな、食べ物っていいな」って。数日後には「よっしゃ、もう誰がなんと言おうと、おれは食べ物屋をやるぞ」と決意したんです。「明日死ぬかわからん人生、やりたいことをやるぞ」と。

絶望の淵で見いだした 街を変え、人を幸せにするカフェ 第2回

Photograph:Shota Matsumoto
Text:Kota Shizuka

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