スーツ
45万円以上するオーダースーツを、1年半近く待っても買いたい理由。【中編】
2017.12.21
偶然から開かれた名門工房の扉
2003年3月、東京モード学園を卒業すると、新緑の5月に甲 祐輔(かぶと・ゆうすけ)はフィレンツェにいた。本当はナポリに入りたかったのだが、知人から「ナポリは危険な街だ」と聞かされ、比較的治安の安定しているフィレンツェを選んだのだ。現地の語学学校に通いながら、小さな古都を散策する日々。漠然と服飾の仕事に就きたいと思っていながら、まだ何者になるのかもわからないまま時は過ぎる。夏のころ、転機は訪れた。
表通りから一本入ったその通りにある、以前から気になっていた店に足を踏み入れた。その店の名をリヴェラーノ・リヴェラーノという。既成服とテーラーが融合した日本でも名の通るフィレンツェの名店だが、甲はその名について深く知ってはいなかったようだ。ただその瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいに、なんとなく心引かれたのだ。
それほど広くはない店内をぐるりと巡ると、思わず店員に「ここで働きたいのですが」と、甲は覚えたばかりのイタリア語で話しかけていた。店員が店の奥へ引っ込むと、代わりに小柄な初老の紳士が顔を出した。彼こそがアントニオ・リヴェラーノ。この店の店主であり、有能なサルトにしてフィレンツェいやイタリアサルト界の重鎮である。アントニオはインクジェットのプリンターで印刷されたA4の用紙を一枚手に持っていた。イタリア語で何やら書かれていおり、さらにはもうすでに「YUSUKE」と印字されている。甲はすぐさまアルバイトの申込用紙かなにかと合点した。
実はその紙に印刷されていたのは、かねてよりアントニオの元に「リヴェラーノ リヴェラーノで働きたい」と熱心にメールを送りつづけていた日本人青年の書面だった。アントニオは、てっきり目の前の甲が、その青年だと思ったらしい。甲は偶然にも、メールの主と同じ名前だったのだ。「明日から店に来なさい」。流暢(りゅうちょう)なイタリア語は半分も聞き取れなかったが、アントニオは確かにそう言った。彼はその場で採用が決まったのである。
翌日から工房に入ると、すぐに針と糸を渡され「切りじつけ」の担当となる。チャコで布を汚さない、古くからあるしつけ糸を使ったマーキングの方法だ。しつけ糸は縫製後に抜き取ってしまうので、あくまで印つけ用。見習いの大切な仕事なのだ。襟付けや袖付けなど表に影響の出る縫製は修業を積んだ花形の仕事で、甲は「切りじつけ」「芯作り」「内ポケット作り」「ハ差し」の順で、たっぷりと時間を掛けて一から修業を積んでいく。
工房を取り仕切っていたのはフランチェスコ・グイーダという初老のサルト。フィレンツェ名門の仕立て服は彼の手からなるもので、後に独立し開いた自身のネームは、高級仕立て服として日本でも知られている。甲は彼に朝から晩まで、一からすべてを仕込まれた。日曜は彼の自宅に呼ばれ、工房では使わないナポリ仕立て技法を教えられたという。手先の器用な甲を見初めたフランチェスコが、己の持てる技術を継承する次の世代に彼を選んだのである。フィレンツェでの甲の生活を支えたのもフランチェスコだった。公私にわたり甲にとっては師匠、いや父とも呼べる存在である。
あの日、店の扉を開けてから7年を迎えるころ、甲は重要顧客の注文を任されるようになっていた。
Text:Yasuyuki Ikeda(04)
Photograph:Hiroyuki Matsuzaki(INTO THE LIGHT)
プロフィル
池田保行(いけだ・やすゆき)
服飾エディター&ライター。出版社勤務を経てフリーに。メンズファッション各誌、広告メディアの編集・執筆に携わる。国内外でのウェルドレッサーをはじめ、デザイナー、ファクトリー、テーラー、ショップの取材記事多数。
<INFORMATION>
サルトリア カブト
石川県七尾市木町19-1
cavutosartoria@gmail.com