スーツ
45万円以上するオーダースーツを、1年半近く待っても買いたい理由。【後編】
2017.12.25
故郷・七尾に凱旋したサルトリア
七尾の名は、通称「城山」にある虎尾、龍尾、菊尾、竹尾、梅尾、亀尾、松尾という7つの尾根に由来する。隣町は、日本有数の温泉地である和倉。室町・戦国のころには城が築かれ、北前船が寄港した能登の中心都市である。甲 祐輔(かぶと・ゆうすけ)は高校生まで、この街で過ごした。駅前のロータリーで落ち合った彼が道を歩きながら、古いこの街の成り立ちと自身の生い立ちを話してくれた。
実家は大きなスポーツ用品店を営み、特に紳士服について明るいわけではなかったという。むしろ高校生のころから片道1時間かけて特急で金沢まで出て古着屋めぐりをしていたのは、よくある若いころの話。ほとんどの高校生男子がそうであるようにテーラードスーツなどに興味はない。ぼんやりと「卒業したら東京に行きたいな」と考える普通の高校生だった。
将来はデザイナーになりたいというほのかな夢を抱きながら満喫していた東京生活はモラトリアム期間に、やがて終焉(しゅうえん)が訪れる。卒業が現実になるころ、甲の服の興味が大きく転換するこことなる。ある日ふらりと入った古着屋で、何げなく手にしたスーツにあった「sartoria attorini」というブランド名と、おそろしく軽い仕立てとグラマラスなフォルムのそのジャケットがやけに気になった。
タグに記されたサルトリアというワードを学生の甲は聞いたことがなかった。やがてそれは「仕立て屋」の意味と知る。調べていくうち、アントニオ・パニコや、ヌンツィオ・ピロッツィのサルトリアピロッツィなど錚々(そうそう)たるサルトリアたちのナポリ仕立てに甲は魅了されていく。甲の夢はデザイナーからテーラーへと移り変わっていった。
即断で渡ったイタリア、脇目も振らず送った修業時代。革職人の修業をしていた日本人の彼女と所帯を持ち、子どもも生まれた。怒涛(どとう)のような人生の波のなか、彼の心のなかには「いつか帰国して、日本で世界を相手に仕事する」という新たな夢を生じていた。子どもが小学校に上がる前に帰国することを告げると、妻は黙ってついてきた。
帰国した甲が居を構えたのは、東京ではなく、生まれ故郷の七尾。フィレンツェの名店で修業した日本人職人という大看板を掲げるには少々辺鄙(へんぴ)すぎるのでは、とさえ思えるこの街から、甲は年に数回、東京、大阪、香港へ出向きオーダー会を開いている。数日間で顧客のオーダーをとりまとめると七尾に戻り、工房で次のシーズンまで針仕事に没頭する。この時代、東京で消耗するより地方で世界を相手に、そして悠々と暮らすことを実現するお手本のようなライフスタイルがここにある。一着45万円。納期に1年と4カ月を要するビスポークは、バックオーダーが引きも切らない。
2017年春、甲はビルの3階にあった作業場を閉めると、街中にアトリエを開いた。七尾市木町は近隣に瀟洒(しょうしゃ)なカフェや雑貨店が並ぶ、能登観光の足場となる小京都のような街だ。表通通りから一本入った閑静な通り沿いに立つ築125年の古民家を改築し、能登ヒバの大木を正面入り口の長押に掲げた。引き戸を開けると広い三和土(たたき)に北欧家具が並ぶ応接間、その奥が作業スペースだ。すべて地元の工務店が手がけたという。
この街の暮らしに戻り、同級生や先輩・後輩が、旧跡を復興しようと尽力している事を知った甲はいま、七尾の街に人を呼ぶ一助になりたいと真剣に思っている。いまのブランドタグは、あのときと同じ「Cavuto」の書体、そして「Firenze」と書かれていた箇所は「la sartoria è stata fondata a firenze(フィレンツェで開かれたサルトリア)」と書き換えられている。Nanaoとしたほうがよいのでは?と問うと、彼の顔がすこしほころんだ。
Text:Yasuyuki Ikeda(04)
Photograph:Hiroyuki Matsuzaki(INTO THE LIGHT)
プロフィル
池田保行(いけだ・やすゆき)
服飾エディター&ライター。出版社勤務を経てフリーに。メンズファッション各誌、広告メディアの編集・執筆に携わる。国内外でのウェルドレッサーをはじめ、デザイナー、ファクトリー、テーラー、ショップの取材記事多数。
<INFORMATION>
サルトリア カブト
石川県七尾市木町19-1
cavutosartoria@gmail.com