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腕時計
グランドセイコーが刻む「時のモノ語り」
第一回
2018.03.07
人生の持ち時間
作家 矢島裕紀彦
人生の持ち時間、という言葉を使ったのは確か城山三郎だったかね。往年の流行作家の名を上げて、返事も待たずに老棋士は続けた。将棋盤に向かうわれわれ棋士たちほど、それを日常的に体現している人間は、少ないんじゃないかな。腕組みした老棋士の左腕の時計が、一瞬、雪のように白く輝いた。
確かにそうかもしれない。たとえば名人戦七番勝負。対局する現名人と挑戦者には、それぞれ一局につき九時間の持ち時間が与えられる。対局場に定められた宿に泊まり込み、二日間の熱闘が繰り広げられる。8三飛、7三角には3一銀、同玉なら3三桂成。読みに没入し持ち時間を使い切れば、あとは考慮時間はない。一手一分以内で指さねばならず、傍らで時計係の秒読みの声が響く。
坂田三吉の名前くらいは、もちろん君も知っとるだろ。ああ、歌謡曲や芝居のモデルにもなった伝説的な棋士だ。その坂田さんが名人の木村義雄さんと鎬を削った京都・南禅寺の対局は、持ち時間ひとり三十時間、対局日数七日の大勝負。ある日は、まる一日かかって互いに一手ずつ指したという記録も残っている。とはいえ、その間、頭の中で駒は目まぐるしく動き回っているのだから、それはそれで凄まじい時間なのさ。俗にひと目百手、捨て去る可能性も含めれば一秒間に一億三手読むといわれる棋士もいるくらいだからな。老棋士は高らかに笑った。
この時計を買ったのは王将戦の前だ。もう不惑を過ぎて、これがタイトル獲得の最後のチャンスだということは自分でもわかっていた。ここで勝ち切らなければ、棋士としてついに無冠で終わると。それ以前、幾度かあったタイトル挑戦で、俺はともするとポカをやった。序盤に時間を使い過ぎて終盤で受けを間違えたり、勝利を掴みかけながら詰めを過ったこともあった。最後のチャンスを前に、もっと一秒一分の時間としっかりと向き合う必要性を痛感していた。だからこの時計さ。この中で水晶振動子が一秒間に三万二千七百六十八回振り動かされるというその正確性が何より痛快だし、正直、裏蓋の獅子のエンブレムも気に入ったのさ。強そうじゃないか。タイトル戦は和服を着るのが通例で、普段の腕時計を外して懐中時計を持参する棋士もいるが、俺はあえて獅子の腕時計で勝負に臨んだよ。
王将戦七番勝負は三対三ともつれた。最終第七局を前に、俺は久しぶりに爺さんの墓参りをした。背広を着てね。俺に将棋を教えてくれた爺さんだけど、いや、もうそこまでくれば死んだ爺さんに縋ろうなんて気はなかった。ただ、一世一代の勝負を見届けてくれと、それだけだった。田舎だからタクシーなんて洒落たものはない。駅からバスに揺られていく。帰り際、寺の坊さんと出会ってちょっと話し込んでいると、知らぬ間に日暮れが迫っていた。乗るつもりで覚えていた帰りのバスの時間は過ぎてしまっている。バス停に戻って夕闇の中、時刻を確かめようと古びたバス停の時刻表に舐めるように顔を近づけても見えやしない。仕方なく、なんとなし袖をまくって腕時計に目をやった。すると驚いたことに、文字盤がちゃんと読み取れた。まるでそこだけ仄かな光が射したように。俺はこの時、勝利を確信した。変な話だけど、いま振り返ってみれば、勝ち切るための手筋が見えた。そんな思いだったんだろうな。
一期だけの王将位を秘かな誇りに、老棋士は一線を退き、いまは子供たちの指導に勤しんでいる。その左腕に巻かれた時計は、なんだかチャンピオンベルトのように見えた。
グランドセイコー
キャリバー9F 25周年記念限定モデル
1993 初代9Fクオーツ リメイク SBGT241
キャリバー9F83(特別精度)搭載、日常生活用強化防水(10気圧防水)、耐磁時計(JIS耐磁時計1種)、年差±5秒、ケースはステンレススチール、直径39.1㎜、¥350,000(税抜き)、世界限定1,500本。
www.grand-seiko.jp
問/グランドセイコー 0120-302-617
Text:Yukihiko Yajima
Photograph:Tetsuya Niikura(SIGNO)
Illustration:Hiroko Takashino