旅と暮らし
昨年奇跡の初来日公演を実現させたニューソウルのレジェンドが再来日
ビルボードライブで行われる最後のジャパンツアーは必見だ。
2019.03.01

昨年5月、御年72歳にして奇跡の初来日公演を実現させたリロイ・ハトソン。ダニー・ハサウェイもカーティス・メイフィールドもこの世を去ってずいぶん経つが、彼らと共に70年代のニューソウル・ムーブメントを牽引(けんいん)したリロイがいまも元気に活動し、ベスト盤や名作のリマスター盤の登場で盛り上がるなか初めて日本に来てくれたことは、ソウルミュージックを愛しつづけるたくさんの人たちを大いに喜ばせた。そしてあれからちょうど1年後となる今年5月、うれしいことにリロイ・ハトソンがまた日本にやって来る!
改めて書いておくと、リロイ・ハトソンは1945年6月にニュージャージー州ニューアークで生まれたシンガー/ソングライター/アレンジャー/プロデューサー/キーボードプレーヤー。ワシントンD.C.のハワード大学でルームメイトのダニー・ハサウェイらと音楽活動を始め、ダニーのデビュー盤『新しきソウルの光と道(Everything Is Everything)』(70年作品)に収録された69年のシングル「ザ・ゲットー」の共作者として名を上げた。
昨年の来日公演直前に電話インタビューした際、「あなたの人生において間違いなくターニングポイントだったと思える瞬間は?」という質問に、リロイはこう答えている。
「まず、ワシントンD.C.のハワード大学へ進む決断をしたときだ。それは私の人生を大きく変えた。その後の私に起こったすべてのいいことは、その決断が呼び起こした結果だった。そこで48年来となる妻と出会ったし、ダニー・ハサウェイとも出会ったんだ。インプレッションズに参加することとなり、最終的にソロアーティストとしてカートムと契約することになったのも、すべてはハワード大学に行く決断をしたところから始まっているんだよ。そしてミュージシャンとしての忘れられない瞬間はといえば、ワシントンD.C.の15番とTストリートで火曜の夜に起きたあのことだ。ルームメイトだったダニーと私はアパートで古いオープンリール式のレコーダーを使って“ザ・ゲットー”を作ったんだよ。それは私の心から消えることのない、まるで魔法のような瞬間だったんだ」
1970年になると、リロイはシカゴのグループであるインプレッションズに、それまで在籍していたカーティス・メイフィールドに代わって加入。カーティスの強い勧めによるものだった。そのインプレッションズでの活動はあまりパッとせず、やりたいことができないと感じたリロイは1973年に早くも脱退することとなったが、それからすぐにソロ活動をスタート。インプレッションズでは出しきれなかった実力を大いに発揮して、メロウグルーブとソフトな歌声が理想的な重なりを見せた『ハトソン』(1975年発表の3rdアルバム)などの名盤をカートムレコーズから発表していった。
1979年にディスコミュージックの色合いの濃い曲を前に押し出した7作目『Unfogettable』を出してからカートムを離れ、1982年にエレクトラから出した8作目『Paradice』以降はしばらくリリースが途絶えることとなったが、しかし80年代終わりごろから90年代にかけてリロイの存在が再び注目された時期があった。ガリアーノやスノウボーイといったイギリスのアシッドジャズ系のバンドまたはソロアーティストに70年代のリロイの曲がサンプリングされたりカバーされたりしたのだ。その後、日本でもラップミュージックのネタに用いられるなどして、リロイの70年代の楽曲群は長く愛されつづけることとなった。
伸びやかな歌声とメロウなグルーブとの理想的な融合
そこからまた長い時間が流れた2017年。リロイ・ハトソンというシンガーはどうやら数年周期で評価が高まる傾向にあるようで、その年にはUKのアシッドジャズレーベルから音質面でも飛躍的な向上が見られた決定版的なベストアルバム『アンソロジー1972-1984』がリリースされた。そこには未発表だった音源2曲も収録されて話題になり、またそれに続いて70年代のアルバムが次々にリマスター再発。そんな絶好のタイミングで実現したのが、昨年5月のビルボードライブでの初来日公演だった。
「アシッドジャズレーベルでの再リリースが始まるまで、私は長らくシーンから遠ざかっていた。半ば引退状態だったと言えるだろうね。ライブもほとんどやってなかったよ。やってほしいというリクエストがあるときにしかやらなかった。というのも、私は若いころにインプレッションズの一員として、そしてソロとしても十分にツアーをしたので、そういった生活から距離を置いて、家族との時間を優先する生活に自分から変えたからなんだ。最近になって再びライブをやりはじめたのは、やってほしいという要望があるから。そして実際やってみると、昔からのファンも新しいファンも来てくれて、アルバムを買ったり、私にたくさんの愛を与えてくれたりする。それはとても心温まることでね」
これも昨年の来日前に彼が話していたことだが、「半ば引退状態だった。ライブもほとんどやっていなかった」というのが嘘のように、リロイの初の日本公演は素晴らしいものだった。果たしてナマでどれだけ歌えるのかと、その現役感に懐疑的な気持ちを持ちながら会場に足を運んだ人も少なくなかったと思うが、派手めのシャツをさらりと着こなし、赤い帽子もお似合いで、ニコニコしながら足取り軽く動いて歌うリロイは実に若々しかった。何より歌声がハリツヤあって伸びやかだった。常に会場全体の様子を見ながら歌いもしていて、なんというか余裕が感じられた。現役バリバリといった感じだったのだ。
サイドボーカルや管も含んだ9人からなるバンドの演奏はアシッドジャズマナー。さほどライブ用アレンジを施さず、比較的原曲に忠実な在り方でメロウグルーブのよさを際立たせていたし、リロイの歌もソウルといえども濃厚さはなくて軽やか。完全にいい意味でだが“生きる伝説”感もそれほどなく、こんなに軽やかに歌えるのなら、またすぐに戻ってきてくれるんじゃないかと思ったほどだった。
そして実際、そう思ったとおり、今回の再来日公演が決定。しかしこれが「正真正銘のラスト・ステージ」になることも発表されている。昨年観て感動した人も見損ねた人も、ソウルミュージックが好きならばこれはなんとしても行くしかないだろう。
プロフィル
内本順一(うちもと・じゅんいち)
エンタメ情報誌の編集者を経て、90年代半ばに音楽ライターとなる。一般誌や音楽ウェブサイトでCDレビュー、コラム、インタビュー記事を担当し、シンガーソングライター系を中心にライナーノーツも多数執筆。Note(ノート) でライブ日記などを更新中。