旅と暮らし
傳が3位、日本最多入賞 アジアのベストレストラン50
2019.04.04
今年で7回目となる「アジアのベストレストラン50」の授賞式が、去る3月26日、昨年に続きマカオの「ウィン・パレス」で行われた。今回の最大の焦点は、昨年の2位「傳」、3位「フロリレージュ」の順位が、そして、4年連続1位のガガンが今年も王座を守るのか、という点だった。さらには、日本勢で新たに参入するレストランがあるのか、また各部門賞の受賞など、例年にも増して見どころの多いアワードとなった。
果たして結果は、日本チームやメディアの予想を覆し、1位の座にはシンガポールのフレンチレストラン「オデット(Odette)」が輝き、ガガンは2位に。残念ながら、日本のトップ2は「傳」3位、「フロリレージュ」5位とやや後退したが、実は5位以内は昨年と同じ顔ぶれで順位が入れ替わっただけ。つまり、僅差の勝負であったことが窺える。そして、8位に「NARISAWA」、9位が「日本料理 龍吟」と揺るぎないビッグネームが入り、最終的にはトップ10に4店がランクインし、日本のダイニングシーンの安定した力を示す結果となった。
今回における特筆すべき点は、ニューカマーが2軒加わったことだ。麻布の一軒家で洗練の中国料理を供する「茶禅華」が初登場で23位にランクイン。同時に、プライベートダイニングとして食通の注目を集める「SUGALABO」が47位に入賞したことは、ある意味、最もサプライズなニュースだったと言えるかもしれない。紹介制のダイニングである「SUGALABO」が海外フーディーの評を集めたということは実に興味深い。また、2年前に「アジアのベストパティシエ」賞を受賞した成田一世氏がパティシエとしてスタッフに加わっていたことも、驚きに拍車をかけた。この強力なタッグは今後のベスト50レストランに新風を吹き込んでくれるに違いない。
順位に話を戻すと、14位に大阪のフレンチレストラン「ラシーム」、18位にブルガリホテルアンドリゾーツの「イル・リストランテ ルカ・ファンティン」が入り、さらに、23位「茶禅華」、24位「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」、25位「鮨さいとう」、26位「レフェルヴェソンス」と続く。トップ30に、日本各地の実力派レストランがずらりと顔を揃えたことは、日本のダイニングシーンの魅力がアジアにおいて広く伝わっていると言えるだろう。「レフェルヴェソンス」の生江史伸シェフは、前日のシェフズトークの登壇者にも選ばれており、環境問題に関して料理人が発信できること、料理人の役割などを流暢(りゅうちょう)な英語で話した。生江氏は2018年のアジアのサステナブル・レストラン賞も受賞しており、環境問題に対する意識の高さが世界的に評価されていることは、とても誇らしいことだ。
各スポンサー企業による特別賞でも、うれしい受賞が相次いだ。まず、事前に発表になっていたのが、アメリカンエキスプレスによる新たな賞である「アイコニック賞」。これは料理業界の顔であり、業界の発展や普及に著しく貢献した者に与えられる賞だが、栄えある第1回目を「日本料理 龍吟」山本征治シェフが受賞したのだ。ステージでクリスタルトロフィーが授与されるや、龍吟の遺伝子を受け継ぎ、今回トップ50にランクインしたシェフたち――Ta Vie(50位)の佐藤氏、台湾・祥雲 龍吟(31位)の稗田氏、茶禅華(23位)川田氏、イル・リストランテ ルカ・ファンティンのルカ・ファンティン氏(18位)――が、龍吟の文字を染め抜いた風呂敷を手に乱入し、山本氏の受賞を心から祝した。トップ50のシェフのなかに、これだけの精鋭を輩出している料理人は山本氏だけ。日本人であることを誇りに思える瞬間だった。
さらに、「シェフズ・チョイス」賞を「傳」の長谷川在佑シェフが受賞した。シェフが選ぶシェフというこの賞は、料理人からリスペクトされていること、愛されていることが条件であり、揺るぎないホスピタリティーを誇る傳ゆえに、選ばれるべくして選ばれたとも言える。同じくシェフズトークに登壇した傳チームは、傳のホスピタリティーとはなんたるかをチーム全員の寸劇で表現し、喝采を浴びた。そしてもうひとり、「イル・リストランテ ルカ・ファンティン」のパティシエのファブリツィオ・フィオラーニ氏が「アジアのベストパティシエ」賞を受賞。前日のシェフズトークでは、波照間の黒糖、阿波の和三盆という日本の砂糖にほれ込み、それらを用いたシグニチャーデセールを披露してくれた。日本で働く外国人シェフの目線で日本の食材の魅力を発信するという、またとない機会となった。
海外で働く日本人の受賞は、祥雲 龍吟(台湾)、Ta Vie(香港)のほかに、オーストラリアがベースの和久田哲也シェフのシンガポール支店「WAKUGIN」(40位)の計3軒。これらを合わせて15軒の日本勢のランクインは、2020年のオリンピックイヤー、そしてさらなる未来へ向けて、日本のダイニングシーンをよりいっそう盛り上げるきっかけとなるに違いない。