旅と暮らし

7年かけたお別れ、そして、その先にあるもの
映画『長いお別れ』
[美しき映画ソムリエ]

2019.05.28

東 紗友美

7年かけたお別れ、そして、その先にあるもの<br>映画『長いお別れ』<br>[美しき映画ソムリエ]

長いお別れ。直訳すると、Long Goodbye。レイモンド・チャンドラー原作の最も有名な私立探偵のひとりであるフィリップ・マーロウの登場するそれではない。長いお別れ、それはアメリカでは認知症の意味をもつ言葉。少しずつ、ゆっくりと、着実に。時間をかけながら記憶とさよならしていく様子から、そう呼ぶそうだ。

厚生労働省によると、日本においても近い将来5分の1が発症すると言われている認知症。この映画はいまの日本に必要な映画だ。本作は、7年という歳月をかけ、ゆっくり記憶を失っていく父とそんな父を支える家族の笑いあり、涙ありの愛の記録。長いお別れ。その7年が短いのか、長いのか。そもそもお別れに時間軸はあるのだろうか? 考えたことのない問いの答えをぼんやりと探しながら試写室へと向かった。

 サブ1

映画の出来は、私の想像していたものとは違った。認知症に身構えるだけの映画となっておらず、哀(かな)しいことばかりじゃなくて、その日々にはちょっとした笑いや幸せな瞬間が見え隠れすることにも描かれていて、たびたび熱い涙がこぼれてしまった。年を取ることは避けられない。いずれ誰しもに起こり得る家族の変化を受け止めるためにも、触れてほしい一作となっている。

 サブ2

映画の原作は、直木賞・泉鏡花文学賞・柴田錬三郎賞を受賞した経歴をもつ中島京子氏の作品だ。そしてこの『長いお別れ』は第10回中央公論文芸賞に加え、第5回日本医療小説大賞を受賞している。要は、素晴らしい原作の映画化だ。しかし、原作がいかにいい作品でも映画化がすべて成功するとは限らないものである。その理由は、ズバリ脚本だ。

いい原作が、いい映画に生まれ変わるにはやはり脚本の力は大きいのだ。この映画の脚本クレジットには本作の監督でもある中野量太氏もその名を連ねている。今作で初めて原作をもとにした映画の脚本を務めた中野監督は、『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)で日本アカデミー賞主要6部門を含む合計14の映画賞で、34部門の受賞を果たした、いま日本で最も注目すべき映画監督のひとりだ。どの作品でも心が浄化されるような、ナイーブで優しい作風で“家族の在り方”を問いただしてきた。

 サブ3

そして、デビュー以来オリジナル脚本にこだわってきた監督が、そのこだわりを捨て、撮ってみたいと思ったのがこの作品。

中野監督はアルツハイマー型認知症を患った家族の10年を追った連作短編だった原作の時系列を一部改変し、3人姉妹の設定を2人姉妹に変更。それだけじゃなく妻に再度プロポーズするという感動的なシーンまで映画に付け加えてまとめあげ、映画化を成功させた。まさしく彼は、これから日本の映画業界を背負って生きていくのではないかと改めて強く思った瞬間であった。

 サブ4

そして、なんといってもキャストたちのクオリティーの高すぎる演技にもほれ込んでしまった。認知症を患う父に山﨑 努、献身的な愛でどんな状況でも夫と向き合う妻に松原智恵子、徐々に父ではなくなっていくお父さんを戸惑いながらも支える次女に蒼井 優、ひとり家族と離れ海外で孤独を抱えて暮らす長女に竹内結子。

若者言葉で「〜が渋滞する。」なんて言葉が流行したが、もうまさしくその表現がしっくりくる。名演技が順番待ちをしていたかのごとく次から次へと駆け抜けていくのだ。人生の岐路に立たされたキャラクターたちがまるで実在する人間のごとくスクリーンに浮かんでは心を揺さぶる。

置かれた環境が自分とまったく異なるキャストたちにここまで共感できるのは、やはり邦画界を代表するキャストたちによる演技のアンサンブルなくしてはならない。家族4人のお別れの真実を、追いかけてほしい。

 サブ5
サブ7

そして、この映画は私の愛に対する価値観を修正する。愛とは、消耗品のようなものだと思ってた。愛してるや好きに位置づけされるような愛をもった言葉は、毎日じゃなくても言われつづけていないと不安になるし、定期的に行動でも示し尽くされることは必要なこと。

要は、愛はもらいつづけてないと、スマホの充電みたいにしばらくすれば足りなくなる。だから定期的に何かをしてもらったり、チャージしなくてはならないものだと思ってた。でも、認知症になってしまった夫は自分に何もしてくれない。言葉さえもままならない。支えるほうが全身全霊で無償の愛を渡しつづけなければならない。

 サブ6

でも、ここにひとつの “愛の形”が見えた。本物の愛とは、「〜だから好き、ではなく、〜だけど好き」なのだ。流行している婚活アプリみたいに好きな条件をたくさん並べることではない。人を本当に愛するというのは、好きな条件がそろっていることではなく、嫌いになるなんて到底できない状態だとも思い知らされた瞬間だった。そういった意味でも、認知症映画である以上に究極のラブストーリーでもある。

親子とは、夫婦とは、家族とは――。ぐるぐると考えだしては止まらない。でも、家族のことを考える。瞳の奥にあるものをくみ取ろうと心がける。こんな時間がいまの私には必要だったのかもしれない。東京で自分のようにあくせくと暮らしていると、あふれだす情報を追いかけるのに精一杯で、家族に関心をもつことを忘れがちになってしまう。

何もしないことよりも、無関心こそがすべての終わりなのだから。もっと家族の話を聞きたい。何かを考えてきたのか、もっともっと。最後には、そんな気持ちが込み上げていた。

認知症の影の部分だけでなく、こまやかな優しさと光に触れる作品だ。配信事業が普及し、自宅で映画が好きなだけ見られる時代になったけれど、映画館までのいつもよりすこしだけ“長い道のり”を歩いてみてほしい。

サブ8

『長いお別れ』
5月31日(金) 全国ロードショー
監督:中野量太 
出演:蒼井優 竹内結子 松原智恵子 山﨑努 北村有起哉 中村倫也 杉田雷麟 蒲田優惟人
脚本:中野量太 大野敏哉 原作:中島京子『長いお別れ』(文春文庫刊)主題歌:優河「めぐる」
企画:アスミック・エース Hara Office 配給・制作:アスミック・エース 
©2019『長いお別れ』製作委員会 ©中島京子/文藝春秋
公式サイト:http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/

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