特別インタビュー
渋谷直角
男が憧れる、男の持ち物。
立ち返るスニーカー。
2019.10.29
多才でいてファッションフリーク、愛用品からそのセンスを探ってみる。
ビースティ・ボーイズ世代なので、いくつになってもワークシャツにチノパン、ローテクのスニーカーという、アイビーを少し崩したスタイルは永遠で、「立ち返る場所」としてある。
自分たちの時代は音楽とファッションが強く関連づいていて、性差関係なくファッションを見ればどんな音楽が好きか一発でわかったし、それが自分なりの主張でもあった。いまの若い子はそんな縛りはあまりなくて、好きな服を着るし、音楽とファッションが密接に関連していない。「その格好でこの音楽なんだ?」ってバンドも多いし、ラッパーもいまやダボダボの格好した人は少ない。どちらが自由かといえば圧倒的にいまだから、まったく「よくない」とは思わないけど、「道筋」や「歴史」的なモノが軽視されちゃうとしたら、それは少し寂しく感じる。
スニーカーもコンバースかアディダスかナイキかでタイプが分かれたし、「そのどれでもない自分だぜ」というカウンター的な主張もあった。みんな知識の前提条件があるから、それを逆手に取る、さらにそこも逆手に……という遊びもできたのだ。
コンバースなどは、その「逆手」の果てにたどり着いたところもある。もう王道中の王道だったし、ファッションスニーカーの最初の一歩的に買うアイテムだ。中学〜高校ではコンバース率が異常に高く、「それなら」と違うブランドのスニーカーを選ぶ。やがてみんなが他のブランドのスニーカーに手を出しはじめると、「あえて」のコンバース。なるべく珍しい色や、70年代のデッドストックなどを探したりして。そんなヒネリばかりやっていくと、結局王道のコンバース・オールスターのスゴさ、カッコよさに改めて気づいて立ち返っていく。「歴史」の偉大さに敬服するのだ。王道のコンバースを履くまでの遠回りな「道筋」自体も、ファッションの楽しさだったりもする。
「アエラスタイルマガジンVOL.44 AUTUMN 2019」より転載
Photograph: Tetsuya Niikura(SIGNO)
Styling: Akihiro Mizumoto