特別インタビュー
銀座四丁目、和光の時計台が奏でたチャイムとは……
2020.06.17
銀座四丁目の交差点にある和光では、営業時間中の毎正時に「ウエストミンスターの鐘」のチャイムが鳴らされ、続いて時刻分がカウントされる。6月13日土曜日正午、梅雨空の下でその時計台が響きを奏でた。いつもより華やかなアレンジだったことに気づいた人は少なくないだろう。
「新型コロナ禍のもとでがんばってこられた医療従事者への感謝の意味を込めました」と語るのは、セイコーホールディングス代表取締役会長兼グループCEOであり、和光の取締役会長でもある服部真二氏。実は4月20日から前日12日までの19時に、「命の鐘」と銘打ち、時計台がブルーにライトアップされ、別アレンジのチャイムが流されていた。ニューヨークやローマなど、世界各地で行われていた医師たちの勇気と努力を応援する拍手に共鳴したものだった。
時計台は和光、いや銀座そのものにとって特別な意味を持つ。1881年にセイコーホールディングスの前身である服部時計店が創業、1894年に現在の位置に服部時計タワーが建てられた。1921年に改築のために取り壊されたが、その2年後の関東大震災で工事は中断し、昭和に年号が改まった1932年(昭和7年)にネオルネッサンス様式の「服部時計店ビル」として生まれ変わった。東京大空襲の被災も逃れ、終戦直後の進駐軍向けの小売店を経て、現在に至っている。帝都から首都へと移り変わる歴史の中で、鐘は常に変わることなく銀座の象徴だった。
「鐘を鳴らすことはひとつの社会資本。銀座への地域貢献だと思っています」と服部氏。
中央通りと晴海通りの交差点は、東京のみならず日本を代表するにぎわいの磁場だ。この日、3カ月近く中断されていた歩行者天国も再開。あいにくの雨にもかかわらず、長い自粛期間から解放された多くの人々が久しぶりの「銀ブラ」を楽しむ姿が見られた。ちなみにこの歩行者天国は今年で開始50年を迎えるが、常に和光の正午12時の鐘と時報から始まる。今回のチャイムは医療従事者の人々への感謝だけではなく、アフターコロナに向けて新しい日常の始まりを告げる暁鐘(ぎょうしょう)と言っていい。
「これからも和光は文化というショールームで在りつづけたいですね」と服部氏は静かに自負する。銀座の魅力は伝統がもたらす気品とヒューマンスケール。古くて新しいアナログ時計が、これからも人々のハレの時間を刻み続ける。
Text:Mitsuhide Sako(KATANA)
Photograph:Sho Ueda