特別インタビュー
編集長・山本晃弘のロングインタビュー
~セイコーウオッチ内藤昭男副社長に訊く。
2020.11.13
各界のリーダーを訪ねるシリーズ企画の第二弾は、第一弾に続いてセイコーウオッチ。副社長の内藤昭男氏は、法務の担当として国際的なスポーツ競技会やアンバサダーとの契約などに携わってきた経歴を持つ。そして、オーストラリアやアメリカといった重要なマーケットで現地法人のトップを務めてきた人物である。国際的な視点を持つ内藤氏は、グランドセイコーをグローバルブランドにしていく道筋をどのように見ているのだろうか。
「Q.2017年にグランドセイコーが独立したときの海外のリテーラーの反応は?」
山本:海外のグランドセイコーの受け止められ方などを中心にお聞きしていきたいと思います。2017年のバーゼルで、グランドセイコーがセイコーからの独立を発表したときの海外のリテーラーの方たちの受け止められ方、反応はどうだったのかを教えてください。
内藤:私は、そのときアメリカにいたので直接は聞いていませんが、国内ではグランドセイコーの需要は2010年以降かなり大きくなっていました。ひとつのきっかけは、東日本大震災の絆需要です。グランドセイコーのブランドが再評価されたと言いますか、国産時計が見直され、そのなかでの頂点のブランドということで売場も拡大していった歴史があります。国内市場でのグランドセイコーの認知度は上がっており、セイコーブランドと分けなくても特に支障はなかった、むしろ分ける必要はないというのが社内の大勢だったと思います。一方で、海外でのブランド戦略を考えたときに、やはりブランドを分けるのが長期的な視点からも必要だと決断しました。その時点ではグランドセイコーの売上は、海外が全体の1割ぐらいの比率でしたので、9割を占める国内マーケットに混乱が生じるかもしれない、というなかでの大きな決定でした。ですから当時は当社にとって相当なリスクがあると覚悟をしたうえで、シナリオA、B、Cみたいな形をいろいろと想定していました。ただ、トップの強い意志で「これは必要な施策だ」ということで推進しました。ふたを開けてみたら、私たちが想定していたようなネガティブな混乱は日本国内でも起きませんでした。旧ロゴ品についてはこれから入手が困難になる希少価値で需要が盛り上がったようですし、新ロゴ品については、新しいグランドセイコー、高級ブランドとして生まれ変わったグランドセイコーと捉えて受け入れていただきました。そういった意味で、国内市場では非常にスムーズに切り替えが行われたと認識しています。
山本:海外、内藤さんがいたアメリカでの反響はいかがでしたか? また、そのアメリカとヨーロッパあるいはスイスでは、受け止められ方が違うのでしょうか?
内藤:アメリカが、当時も現在もグランドセイコーの海外マーケットとしてはいちばん大きいです。それでも、私がアメリカに着任した2016年のアメリカの売上はいまに比べてずいぶん小さかったですし、グランドセイコーの取引先小売店といっても、スイス時計の一流ブランドを扱っている販売店さまには、正直、グランドセイコーは扱っていただけなかった状況でした。2016年、私が着任して、組織と人の入れ替えを行い、そのタイミングと2017年春のブランドの独立化がたまたまシンクロしたものですから。それで、新しくグランドセイコー部門のトップを外部から採用して、一緒にやった最初の仕事が、グランドセイコーの独立化でした。ちょうどある高級時計店さまで商談した際に、グランドセイコーとセイコーは分けるのねと、当社のブランド戦略をスムーズに受け取っていただき、新しいグランドセイコーの順調なスタートとなりました。アメリカでのセイコーは普及品価格帯の売場で展開している状況が続いていましたので、セイコーの中のグランドセイコーですと、どうしても市場からの抵抗感がありました。スイス時計の一流ブランドを扱っている高級時計店さまからは、特にそうでした。
「Q.アメリカでグランドセイコーが成功するために何をしたのか?」
山本:クワイエットラグジュアリーと名付けられるような新しいマーケットがあって、いままでと違うクールなブランドはないのかと探しているお客さまがいる感触を、リテーラーの方たちも持っていたのか。そこにグランドセイコーがピタっとはまってくることを、想像していたリテーラーもいたのでしょうか?
内藤:実は私は2002年から2006年までオーストラリアへ赴任していて、グランドセイコーはまだグローバルブランドになっていなかったときですが、オーストラリアにグランドセイコーのファンクラブがあって、時計愛好家のなかでグランドセイコーってすばらしいよねっていう方がいらっしゃった。それほど大きな団体ではないですが、たいへん有難いと思いました。実はセイコーやグランドセイコーをお好きな方は、さまざまな国にいらっしゃいます。
山本:それは、グランドセイコーのファンクラブ? セイコーのファンクラブ?
内藤:セイコーのファンクラブもありましたし、グランドセイコーのファンクラブもありました。草の根的に、われわれのブランドを理解してたいへんお好きな方が海外にもいらっしゃる実感がありました。そして、そういった方をお客さまに持っている時計店さまもありました。ただ、それが非常にニッチで、しかも点在しているので、うまく束ねてつなぐようなビジネスがそのときはまだできていませんでした。
山本:では、アメリカで仕掛けられたときに、こういったマーケットが、オーストラリアで、あるいはアメリカでもありますよと、営業トークされたわけですよね。
内藤:最初は、むしろそういう人たちをどうやってつないで、こちらと関係を深めるかに心をくだきました。それは、SNSであったり、時計専門メディアであったり、あるいは、時計愛好家がよく読むブログとか、そういうところとグランドセイコーが関係を深めていくと、自然発生的にいろいろなところにある愛好家集団がつながって存在が大きくなっていきました。まずは、そこから始めました。
山本:そうか、流通に対して、リテーラーさんたちに対して営業する仕事と、新しいコミュニケーションを作る仕事。こういうプロモーションをやるから商品を入れてくださいとか、こういうニーズがあるからブランドが欲しいといった話ではなくて、これはこれ、あれはあれでやっていたのがあるときにこうつながっていくわけですね。
内藤:そうですね。SNSなどでだんだん盛り上がっていきました。まず、まだ取引をしてない地方の時計高級店さまに商談に行きブランドを紹介します。次に、私たちがよくやったのは、試しに今度の週末に日本から組み立ての技術者を連れて来るので店頭デモンストレーションのイベントをやりますよとお話をするわけですよ。そしてその地方のグランドセイコーの愛好家にちょっとお知らせすると、けっこうな人数に来ていただきました。それで時計店の方からは、「いや、これは反響がすごいね」とほぼ確実に言っていただくようになりました。
山本:内藤さん、イマっぽい仕掛けをしましたね、そのタイミングで。
内藤:それは私よりは、外部から採用した新しい担当者が、グランドセイコーのブランドの強さは何かと考えたときに、そういった体験型イベントをやろうとなりました。日本から頻繁に技術者を連れて来るのは、たいへんと言えばたいへんでしたけど(笑)。
「Q.グランドセイコーの世界戦略で、当初からアメリカに重点を置いていたのか?」
山本:最初からアメリカにフォーカスを当てていたわけですね。言える範囲の数字で、海外におけるアメリカの売上の割合はどのぐらいですか。まず、日本と海外の売上の割合は9対1だったわけじゃないですか。
内藤:2017年当時は、日本国内市場対輸出で9対1ぐらいでしたね。
山本:その1のなかのアメリカの割合は?
内藤:アメリカの売上がいちばん大きかったわけですが、それでも比率としては海外の売上全体の2割とか、そんなものじゃないですかね。
山本:なるほど。それでで、先ほど言われていたような仕掛けで、グランドセイコーのアメリカでの数字が上がっていったと?
内藤:かなりのスピードで大きくなりました。アメリカではやっているとか、ニューヨークではやっていることは、日本に対しても、グローバルの消費者に対してもアピールできる付加価値がありますよね。アメリカで話題を作って、まずはそこでブランドを打ち立てようとしました。これは、私がアメリカに着任する前から、とにかく優先順位はアメリカだというのが、セイコーウオッチとしての方針でした。そこに独立ブランド化が重なり、翌年にはグランドセイコーアメリカという会社も設立して、一連の流れのなかで、予想していた以上にグランドセイコーの販売が拡大していきました。そして売上が大きくなるにつれて、その効果がヨーロッパにも波及していきました。ネットでもデジタルでも、それからプリントメディアでも、まずはイギリスやオーストラリアなど英語圏の時計メディアから広がっていきました。次にヨーロッパ大陸にもジワジワと火がついて、いまではグランドセイコーは日本だけでなく海外市場の各国で認知されて伸びています。
山本:広がっていくその順番は、英語の問題はあるのでしょうが、ヨーロッパはやはりスイスの力がまだまだ強くて、マーケットがコンサバティブだということですか?
内藤:アメリカとヨーロッパの違いは、やはりアメリカの消費者は新しいものが好きだと思います。それと、チャレンジャー、エスタブリッシュメントに対して向かっていく挑戦者が好きですよね。ですから、ドイツ車に挑戦したトヨタさんのレクサスもそうですけれど、グランドセイコーもそんなポジショニングでアメリカでは受け入れられたと思います。一方でヨーロッパは、フランスにしてもイタリアにしてもスペインにしても、それぞれの国に独自のラグジュアリーの伝統がありますよね。時計ではスイスはもちろん、ドイツも高級時計の伝統があります。そうすると、日本の美とかラグジュアリーといってもなかなかピンとこない抵抗感が、アメリカよりもヨーロッパのほうが強いと感じます。
山本:ファッションの人たち、イタリアのゼニアのファミリーにお話を聞いたときに、繊細な手仕事やクオリティーに対してコンシャスなのは日本人とイタリア人だけだと、彼らは言うんです。アメリカの高級ブランド街のロデオドライブだろうがフィフスアヴェニューであろうが、ぜんぜんわかっちゃいないというわけです。ですから、アメリカは腕時計で言うと、とにかく大きい時計がはやるとか、ちょっと成金趣味だと昔は言われていた。
内藤:押し出しが強い腕時計ですね。
山本:そんな言われ方をしていて、THE NATURE OF TIME的な繊細な本質をもった腕時計は、アメリカよりも先にヨーロッパで受けるのかと思ったら、逆だったんですね。
内藤:そうですね。もちろんヨーロッパのなかでも一様ではなく、いろいろな捉え方をする嗜好の方がいます。例えば、いま話の出たイタリアのなかで、特に北イタリアの人たちは、日本人と重なる感性があると思います。あるいはフランスの人が、すごいアニメ好きだとか、日本食がすごく好きだとか、日本的な繊細なものが好きな方々がいらっしゃいます。ですから、まずそういったところからジワジワと浸透していきました。
「Q.アメリカの高級時計マーケットで、グランドセイコーのランキングは?」
山本:いま現在、アメリカでの売上ランキングを教えてください。
内藤:5000ドルから7000ドルがグランドセイコーの中心的な価格帯で、ここにはグローバル市場でのベストセラーモデルの「雪白」も入ります。私どもが契約している調査会社のデータなので、公のデータではありませんが、この価格帯のブランド別ランキングでいきますと、今年の上半期、1月から6月で、グランドセイコーはアメリカで3位になりました。
山本:ちなみに、1位2と位はどこですか?
内藤:1位と2位はロレックスとオメガですね。ベストテンのブランドで、2020年の1月から6月までの売り上げ実績を前年度比で比べますと、グランドセイコーが唯一前年を超えているブランドです。
山本:すばらしい!
内藤:これは私もいろいろなアメリカの販売店さまから直接聞いていますが、店が閉まっていても、お客さまからのお問い合わせは、ほとんどがグランドセイコーご指名のようでした。今年の新製品をネットで見たけれども、商品は入るのか、ピックアップに行くけど、売ってくれるのか、といった内容です。
山本:泣けるなぁ、いい話。
内藤:ええ。たいへん有り難いです。ですから、ブランドとして単に浸透してきたというだけではなくて、マーケットから求められるブランドに現在なってきていることを実感しています。もちろんアメリカではまだまだ新しいブランドですし、成熟した日本のマーケットと比べれば、まだ伸びシロがあるとも感じています。
山本:見てワクワクしているのでしょうね、ぜんぜんタイプの違うブランドだということで。
内藤:そうですね。あともうひとつは、やはりアメリカの場合に特徴的なのは、お客さまが若いことですね。日本に比べて圧倒的に若いと思います。アメリカの場合には、例えば20代とか30代でも所得の高い方がいらっしゃいますよね。日本よりむしろ、アメリカのほうが格差社会ですし、若くて経済的に成功される方も多くいます。その若くて成功される方で、自分のものに対するいろいろなこだわりがある方、しかも既存のバリューや自分の親世代が有り難がっていたものに反発して、自分が探した価値に誇りを持つ世代の方々からグランドセイコーは評価されました。ですから、販売店さまにとっても従来の常連さん、いわゆるスイス時計のファンの世代よりずっと若い人に人気があるから、ブランドとしての将来性の意味でも応援する価値がある、力を入れる価値があるとグランドセイコーを評価していただいています。
山本:それは思いますよねぇ。
内藤:それも、ブランドの伸びた理由のひとつだと思います。
「Q.アメリカのマーケットにおける今後の目標は?」
山本:アメリカでは新しいお客さまを、見えないところから引っ張り出してきて数字も伸びています。この後は、どういったステージに向かうんですか、アメリカでは。
内藤:最初はニッチなブランドで、もの珍しさもあって、口コミでわっと広がって伸びました。そのステージでこの2~3年はきたわけですけれど、だんだんブランドのポジショニングが固まるにしたがって、競争環境も厳しくなりますし、難しいステージにくると思います。恐らく、今回コロナの影響があったので、どうかわかりませんが、あと1年ぐらいはブランドとしていままでの勢いが続くと予想しています。そこから先はまた新しい何か仕掛けをしていかないと、ブランドとして大きくならないと思います。いまアメリカでは、5000ドルから10000ドルの価格帯がグランドセイコーの中心価格帯です。そしてデザインでは、ヘリテイジと言われるスタンダードなデザインが中心です。それを、スポーツとかエレガンスとか、デザイン領域のバリエーションを広げる方向です。それから、10000ドル以上の価格帯も大きくしたいということです。いま言ったようなデザイン領域を広げて、個性をキープしたままファンを増やしていくことと、高い価格帯のところ。その価格帯にいけば当然、非常に強力な、それこそエスタブリッシュなブランドがありますから、それらとどうやって戦っていくかが戦略的な課題ですが、ぜひそれにチャレンジしていきたいと思います。それがうまくいくことで、当然ブランドとして次のステージにステップアップしていくのを目指したいと思います。
山本:そうですよね。多分この高価格帯は、消費者が何にお金を払いたいと思うのかを読むのが難しいなと思います。例えばリシャール・ミルが、あそこまで高価格なのに、日本でも手に入らないぐらいの人気になっている。新素材であるとか、そういうことに対する付加価値を認知させた。従来で考えると、素材をプラチナにしたり、ジュエリーを搭載したり、そういった話になるんですけど、それとはまた違う価値が必要になりますよね。
内藤:そうですね。グランドセイコーが高い価格帯に挑戦する考え方の根幹は、THE NATURE OF TIMEのコンセプトのなかで、どういった付加価値を付けていくのかだと思います。例えば、おっしゃった貴金属とか貴石とかの希少な素材とかありますが、それを単に採用したグランドセイコーではブランドのアイデンティティーとは、ちょっと違いますので。あくまでTHE NATURE OF TIMEのなかで、そうした素材をどう料理するかです。われわれは今年コンセプトモデルのTゼロと名付けた複雑機構モデルを発表しました。それにしても、時計の本質を極めるなかで自分たちが技術革新をして、それを自分たちでさらに超えてきた歴史がありますので。やはり素材とかダイヤとかよりは、おそらくグランドセイコーは時計そのものの機構、それが普通ではなかなかつくれない手の込んだもの、だから価格も高いというところが中心になるかなと思います。
山本:Tゼロもそうですし、もしかしたら、スプリングドライブが鍵を握っている可能性もありますよね。
内藤:はい、スプリングドライブも、海外では日本以上に売上全体に占めるポーションが大きいです。革新的なキャリバーだと評価をしていただいていますので。
山本:ほかにないですもんね。なるほどなぁ、それは楽しみです。時の価値をどう紡いでいくのかが新しい課題になってくるというお話とも、つながってきますよね。
内藤:そうですね。ニューヨークにHorological Society of New Yorkという時計の愛好団体がありまして、1866年に創立された世界でも最古の時計技術愛好家団体です。メンバーには時計ファンもいますし、ウオッチメーカーの、要するに修理の技術者の方もけっこう加入されています。全米の団体ですがニューヨークに本部があり、そこが定期的にレクチャーシリーズ、いわゆる技術解説セミナーをやっています。スプリングドライブの解説をしてほしいと、その協会の会長からリクエストをいただき、それで昨年6月に私も行って、技術レクチャーをしました。90分ぐらいのレクチャーでしたけれども、200人ぐらいの会員の方の参加があって、会長いわく、これだけ反響の大きかったセミナーはちょっと記憶にないと言っていただきました。つまりスプリングドライブの名前は知っているけれども、どこが技術的にそんなに優れているのか、ユニークなのか、どうしてセイコー以外のブランドが作れないのかといった技術的なことに、愛好家の人たちが非常に高い興味をもっていたのです。それをわれわれが解説する、そして、それだけではなくてグランドセイコーのブランドストーリーを織り交ぜながら、だからこういう商品ができたと話したところ、非常に大きな反響をいただきました。やっぱりそういったコミュニケーションをしていけば、スプリングドライブも、まだまだ伸びるかなと思いました。
山本:ちょっと話が脱線しますが、バーゼルがなくなってしまうかもと話題になったときに、時計評論家の渋谷康人さんがWWD JAPANで原稿を書かれていましたけれど、本来的にはバーゼルは、いまおっしゃった時計の文化とか技術をレクチャーして世の中に発信するべきところだったはずなのに、そのニュアンスを失ってどんどん違う方向に行って、最終的に崩壊してしまったと。そもそもの意味を思い出して、そういったことをやればいいとおっしゃっていて。それが、既にそうした人たちがいて、やっているんですね。そして、それが口コミでぱぁっと広がって、新しいマーケットがもうできてきている。
内藤:ここの協会にはスポンサーがいまして、グランドセイコーは後からスポンサーに加えていただきました。例えばオーデマ ピゲとかランゲ&ゾーネとか、要するに技術志向の強いブランドが協賛しています。あまり商業主義のにおいがない団体ですが、そういった人たちのなかで評価が高まることが、長期的に見るとブランドとしての力を得られると思います。それをやったからといって、売上が一気に上がるわけではありませんが。
山本:私も、よくビジネスマンから質問されます。結局、どれがいちばんいいんですかと。そんな話になったときには、あのブランドはどういう機構を作ったブランドで、とお答えします。ではセイコーはどうですかと問われたら、ヒゲゼンマイに至るまですべて自社で作っている会社は世界中を見渡してもそれほど多くないなかで、セイコーはそれをしているブランドですよといった話を必ずします。いまは、本当の価値を知る趣味愛好家の方たちが何を評価しているのかに、皆さんこれまで以上に注目していますよ。
内藤:そうだと思います。いろんなブランドが出てくればくるほど、結局はマニュファクチュールの価値が、最終的に残っていくのかなと思います。
「Q.アジアをはじめとする、アメリカやヨーロッパ以外のエリアでの戦略は?」
山本:アメリカ、ヨーロッパ、そしてオーストラリアの話を聞いてきました。アジア、そしてちょっと難しいマーケット、新しく注目しなければいけない中国、インドなどでは、どんな戦略をセイコーもしくはグランドセイコーで考えていらっしゃいますか?
内藤:アジアは、やはり所得格差が大きいですから、グランドセイコーの価格帯の商品をお買い求めいただく方は限定されているかなと思います。その限定されているお客さまのなかで、アジアのひとくくりではなくて、いくつか切り口があると思っています。最大のマーケットである中国は、アメリカと同じように、優先国と捉えて攻めていかなければいけません。それから、伝統的に世界中から高級時計を買いにくるショッピングマーケットとして、香港、シンガポールがあります。それが、コロナで今後どうなるかは大きな問題です。あとは、現地法人が台湾とタイにありますが、台湾とタイは、伝統的に親日と言いますか、日本のいいものはいいというふうに、比較的無条件に消費者が捉えていただけるマーケットだと思っています。ですから、セイコーもたいへん根強い人気があり、ファンがいます。引き続き現地法人と本社と一体になってやっていかなければならないと考えています。
山本:そのときにグランドセイコー以外の、プロスペックス、プレザージュもそうですが、セイコー5スポーツやルキアなどがアジアで俄然メインプレーヤーになり得る可能性はありますでしょうか。
内藤:セイコー5スポーツは、そういう意味では発展途上国も含めて本当にグローバルで展開していくべきブランドだと思っています。
「Q.リアル店舗が果たす役割はどのように変わっていくのか?」
山本:渋谷パルコでの売り方、売られ方、ディスプレー、お客さまの層を見ていると、いままでとぜんぜん違うマーケットが生まれつつあるんだなぁと見ています。そうしたなかで、その渋谷パルコにあるセイコーのストアも、原宿駅前のWITH HARAJUKUにあるストアも、どうしたらよいのだろうかと考えます。いまは日本にお買い物に来られるアジアの方、海外の方はほとんどいませんが、そういうストアの戦略も変わってくるでしょうね。
内藤:当然、変わってきます。デジタルやバーチャルの部分と、それから実店舗と、やはり両輪でブラッシュアップしていかなければなりません。実店舗に関しては、関連会社の店舗を含め、売場づくりが大切です。また、アメリカで開拓してきたような、いろいろな一流ブランドが並んでいるなかでわれわれの商品もきちっとディスプレーしていただいて、われわれのブランドをよく知っている店員の方が、ストーリーと一緒にきちんとお客さまとコミュニケーションをする。そういった戦略パートナーとなり得るようなお店との取引をどう作っていくか、それらを組み合わせながら、いずれもやっていかなければなりません。
山本:なるほど。私は、ファッション関係の方たちに実店舗の意味が今後どうなるかをお話しするときに、スーパー販売員、カリスマ販売員にもっと力を入れて、フォーカスをあてたりプロモーションをしたりするほうがいいのではと言っています。オンラインでも買えるのになぜ店舗に行くのかと言えば、そういった販売員さんが言うことに得心が湧いて、これもあれも買わなきゃと思ったり、人生が変わるぐらいファッションが変わったり。そういったことだってあり得るわけじゃないですか、昔はあったんですよ、そんなことが。それが、どんどんなくなっています。時計というジャンルでも、口コミのインフルエンサーのような人を店にも配置する考えもあるのではないかと、いま突然思いましたね。
内藤:そうです。ですから、重要なのは、社員の中でそういった教育係的な役割の重要性と、その社員が販売員の方をどうブランドに引き込めるのかが重要です。私はエバンジェリストと言っていますが、ブランドを広める伝道師みたいな役割です。グランドセイコーアメリカをつくったときに、新社長と最初に話したのは、そのようなポジションを社内に作ろうということでした。それは、彼の発案だったのですが、非常に重要な決断でした。時計の一般的な知識は当然ですが、それからブランドの知識、それから何よりもパッションといいますか、ブランドへの愛、それが販売員の方にも伝わり、販売員の方がそれをお客さまに伝える、そのような流れをつくる役割ができる人です。
山本:たしかに。ミスター・グランドセイコーみたいな方がいてほしいなと。それは、広告に登場するアンバサダーやキャラクターとは、違う意味の仕事がありますよね。
内藤:違います。私もアメリカの時計業界のなかで、スイスブランドの役員の方ともいろいろとお話ししましたけど、スイスブランドのメジャーなところは、そういったポジションに各社ともすばらしい人を配置しています。私は、アメリカに行くまで、各ブランドにそういう役割の人がいることをあまり認識していませんでした。
山本:私自身は、そういったエバンジェリスト的なリテーラーにお目にかかったことは少ないですね。取材していて、このブランドは面白いなと思うのは、ブランドの社長さん自らがその役割と務めているところ。ついこの前まで何十年もロンジンの社長を務めていたフォン・カネル氏とか、何を聞いても、誰よりも全て答える。ウブロの顔であるジャン=クロード・ビバーさんも、この人は本気?と思うぐらいにブランドが憑依(ひょうい)しています。ユーザーは、それを応援したくて購入する。そのポジションは、重要になってくるかもしれないですね。それは、世界のマーケットのみならず日本でもそうかもしれません。
内藤:そうだと思います。われわれ自身は、本当のラグジュアリービジネスの経験や知見がまだまだ少ないと思っています。これからもっと上の価格帯でグランドセイコーを販売していくとなると、どうやって富裕層、あるいは超富裕層のマーケットを開拓していくかという課題のなかで、いま言われたようなことがひとつの鍵になってくると思います。
山本:確かにそうですね。元々は、それは地方の小売店がやっていました。
内藤:カリスマ販売員もいますしね。
山本:この時計が好きだったら、このワインを飲んでみたらいかがですかとか、あそこにいいホテルができましたなんて話をね。まさに、充実した人生を送るための面倒を見てくださっていましたよね。それを、もしかしたらセイコーさん自らがやるような役割を…。
内藤:海外で、グランドセイコーアメリカの社長を招き入れたときもそうですし、グランドセイコーヨーロッパを作ってその社長をリクルートしたときもそうですが、両者ともリテールの経験がすごく豊富です。私はやっぱりラグジュアリービジネスをいろいろと話すなかで、従来の普及価格帯のセイコーは卸売りビジネスですから、高級品の小売りビジネスとはまったく違う。高級品ビジネスは、やっぱりお客さまの顔がわかって、その人にどう売るかといったまさにリテールの経験がないと、ブランドは作れないと思いました。ですから、そうしたうリテールに造詣が深い人間を責任者に据えることを意識して、ヨーロッパとアメリカの会社を作ったのです。
山本:日本橋三越が、数日間のワールドウオッチフェアで数億円を売る背景には、バイヤーの方たちが、この時計を買い付けたら誰々さんが購入するよなとか、もう全部見えている。
内藤:おっしゃるとおりです。広くあまねく一般消費者に売る商売とはまったく違います。
山本:ましてや難しいのは、新しいタイプの消費者が出てきたときに、いままでだったらワインを勧めていたけれど、もしかしたらいちばん体にいいミネラルウォーターどこって聞かれるかもしれません。いま、何が求められているのかが、変わっていきますからね。
内藤:もうカスタムメイドに近い世界ですよね。たぶん、超高額品は、そういう世界なのかなと思いますけど。
山本:そういった意味では、和光で始めたグランドセイコーのカスタムオーダーは、その先鞭で、テストマーケティングになりますね。どんな方が来て、何を要望されるのか。
内藤:そうですね。これからそうしたこともやっていきたいと思います。ただ、まだどういったお客さまにどうリーチして、しかも作るほうのコストもありますので、ビジネスモデルとしては、まだまだ確立できているとは言えません。
山本:いやぁ面白いです。時計のビジネスは面白いですね、お話を聞くと。
内藤:面白いと思います。
山本:物だけじゃなくて、その文化的な、さきほど内藤さんがおっしゃっていた、時を刻む、人生の時間を区切っていくという。その横にある腕時計を考えていくと大きく捉えると、いままで以上に重要な役割を担われることになるでしょうし。ここから、どちらに進むのか、楽しみにしていますよ。
内藤:ありがとうございます。
山本:ありがとうございました。
プロフィル
山本晃弘(やまもと・てるひろ)
AERA STYLE MAGAZINE WEB編集長 兼 エグゼクティブエディター
「MEN’S CLUB」「GQ JAPAN」などを経て、2008年に編集長として「アエラスタイルマガジン」を創刊。ファッションやライフスタイルに関するコラムを執筆する傍ら、幅広いブランドのカタログや動画コンテンツを制作している。トークイベントで、ビジネスマンや就活生にスーツの着こなしを指南するアドバイザーとしても活動中。2019年4月にヤマモトカンパニーを設立し、現職に就任。執筆書籍に、「仕事ができる人は、小さめのスーツを着ている。」がある。
Photograph:Sho Ueda(prismline)