週末の過ごし方
光源氏にならう〈香〉で選ばれる方法
2020.11.10
これからの時代、どんなスキルが必要なのか? 毎年《世界経済フォーラム》(※1)で報告されます。2020年の年次総会によると、5年以内にタスクの半分以上を機械が行うようになります。人に求められるスキルは、創造性、クリティカル・シンキングに並んで感情知能(※2)が注目されています。
こうなると無視できないのが人の感情。「信頼できるか」の評価は、考えるより先に五感を通して無意識レベルで決められます。顔つきなどの「見た目が9割を決める」(※3)というテーゼをご存じの方は多いと思いますが、人に対する「好き/嫌い」を問答無用に決めるのが──〈香〉です。それは〈香〉が、鼻からダイレクトに「本能と情緒をつかさどる」大脳辺縁系(※4)に達するから。この経路を辿るのは五感で唯一、嗅覚だけです。
〈香〉が及ぼす効果を洗練に高めたのが平安時代の王朝文化です。女性が御簾(みす)越しに「この男性を受け入れるかどうか」は、いい声か、すてきな和歌を詠よ むか、そして〈香〉で判断されました。漆黒の闇の中、〈香〉だけで「あの人だ!」とわかり、官能が刺激されたのでしょう。舶来品の〈香〉を入手できることがステータスでもあり、それをいかに調合するかは家によって異なる秘伝でセンスの見せどころでした。できる男性は、身分・人柄・教養が瞬時にわかってしまうオリジナルの〈香〉を漂わせていたのです。《源氏物語》の「梅枝(うめがえ)」の巻には、源氏の娘・明石の姫君が入内(※5)する際の持参品として、趣味高い四人の女性に薫物の調合を競わせる場面も出てきます。
仕事に恋愛に〈香〉を駆使していた光源氏にならうなら、まずは嗅覚を磨きましょう。ベストの方法は、目隠しして好きな食べ物や身近な人の香を嗅ぐこと。暗闇で五感を磨く《ダイアログ・イン・ザ・ダーク》(※6)のように情報を遮断することで〈香〉に集中すれば、ストレスが緩和し心の機微が豊かになります。最近はVRでも匂いを体験できるようになりました。光源氏なら画面越しでも〈香〉を活用するはず。〈香〉を制するものは千年の時を超えても選ばれるのです。
(※1)世界経済フォーラム:別名、ダボス会議。スイス・ジュネーブに本拠を置く非営利財団が毎年1月にスイスのダボスで開催する年次総会。「仕事の未来」(The Future of Job)でスキルに関するレポートがみられる。
(※2)感情知能:E(I Emotional Intelligence)、EQ(Emotional Quotient)。自分・他者に対して自分の感情を有効活用できる能力。
(※3)見た目が9割:竹内一郎(劇作家)が非言語コミュニケーションの影響について記した著書『人は見た目が9割』(2005年)は100万部を超えるベストセラーになった。
(※4)大脳辺縁系:思考制御が及ばない生命維持・本能・情動に関与する脳。記憶をもとに快/不快の情動信号を発するのもこのエリア。
(※5)入内:東宮(後の帝)妃として内裏に入る儀式。物語では光源氏が他に並ぶものがない権力を誇る最盛期のイベントとして描かれる。
(※6)ダイアログ・イン・ザ・ダーク:視覚障害者の案内により、照度ゼロの暗闇の中で、視覚以外のさまざまな感覚やコミュニケーションを楽しむエンターテイメント。
Photograph: Ryohei Oizumi
Text: Sayaka Umezawa (KAFUN INC. /MOIKA GALLERY)