特別インタビュー
シンデレラ・スマイルに魅了されて。
2021.01.12
10月の最終金曜日の午前、ちょうどこのコラムに手を付けようとしたところ、パソコンの画面にはおよそ4カ月に及んだイギリス・アメリカ遠征を終え、帰国したプロ・ゴルファーの渋野日向子が映っていた。
コロナ禍によって、ゴルフの取材は大きく様変わりした。私のようなフリーランスはゴルフ場には入れず、取材はラウンド後のリモート会見に遠所から参加することしか許されていない。渋野の復帰戦となった三菱電機レディスも、ラウンドの様子は、インターネットの中継で観ることしかできなかった。
渋野は8番パー3(160y)のティーグラウンドに立っていた。放たれた打球はピンの手前約2・5メートル地点に落下し、大きく2回、バウンドしたあと、コロコロと転がっていく。無観客のゴルフ場に、ボールがカップに入る「コロン」という音が響き渡った。「えっ、えー!?」
渋野は帯同キャディの顔を見やり、口元を手で隠し、驚くことしかできない。まさかのホールインワンに、中継の解説者はやたらと「さすがに持っている!」と賛辞を送っていた。
私はゴルフに限らず、あらゆるスポーツのトップアスリートに対して、「持っている」と表現することがどうしても好きになれない。というのも、その持っているモノの正体が何なのかさっぱりわからないのだ。「実力」だろうか。「強運」なのだろうか。国民的な人気を得たヒーローなりヒロインが、なぜそうなり得たのか。的を射た適確な言葉が見つからないからこそ、曖昧模糊(あいまいもこ)とした言い方をして、ごまかしている気がしてならないのだ。
おにぎりを頰張っているのは国民的ヒロイン
渋野のシンデレラ・スマイルが脚光を浴びたのは、もちろん、昨年、日本人選手として樋口久子以来となる42年ぶりの海外メジャー制覇を遂げたAIG全英女子オープンだ。その快挙から数週間後、私も渋野を取材しようとトーナメント会場に向かった。
地方の会場だったために、到着したのはちょうど昼時だった。クラブハウスに入り、プレスルームに向かっていると、通路に設置された小さな椅子に座り、丸くなってコンビニのおにぎりを頰張る女子ゴルファーがいた。渋野だった。
全英の女王となり、一躍、国民的なヒロインとなった渋野を見ようと、会場には多くの報道陣、ギャラリーが詰めかけていた。そうしたゴルフ界の主役が、衆人環視の中、人目をはばからずおにぎりを食べているのだ。私は目の前にいるのが本当に渋野なのか疑いつつ、彼女の前を通り過ぎようとした。すると、渋野は言った。
「お疲れさまで〜す」
ゴルフ場に到着したばかりの私は、この会場で誰より気疲れしているであろう渋野にねぎらわれてしまったのである。
食事のときぐらい人目を避け落ち着いた場所で食事をしたいと考えてもおかしくないだろう。全英女王の立場ならお願いしたら特別な部屋だって用意されるかもしれない。それなのに、マネージャーも横におらず、無防備な状態でおなかを満たし、飾らない性格で重役出勤のメディアの人間にもあいさつをしてくる。常に自然体で、天衣無縫に振る舞う渋野の魅力に一瞬でとりこになる出合い頭の遭遇だった。
渋野流、心のコントロール術
ゴルファーとしての渋野はご存じのとおり、思いっきりドライバーを振り抜き、グリーン上では強気のパッティングを信条とする。特別飛距離があるわけではなければ、パッティングの名手とも言い難い。ゴルフに際立った才能がないからこそ、昨年のデビュー以来、ここまでスポンジが水を吸うように技術を吸収してきたとも言える。
渋野のラウンドに帯同していると、意外にも喜怒哀楽の「怒」と「哀」もはっきりと表に出すタイプであることに気付く。ドライバーが曲がれば天を仰ぎ、不本意なショットに舌打ちすることもあれば、携帯電話のシャッター音を鳴り響かせるマナーの悪いギャラリーに対し、怒りの表情で指を指して注意することもある。渋野とて、24時間、笑顔でいるわけではない。
刹那(せつな)の感情を表に吐き出すことで、むしろラウンド中の感情の起伏、心の揺れを抑え、18ホールを平常心で戦っているのではないだろうか。ミスのショックを
瞬間的に解消することで引きずらず、たとえ、前半に出遅れたとしても、18ホールをかけてミスの穴を埋めていき、初日に出遅れたとしても終わってみれば優勝争いに加わっている。そんなシーンは昨年、幾度もあった。
世にはアスリートを心の面からサポートするメンタルトレーナーという職種の人たちがいる。だが、あらゆるスポーツのトップアスリートで、メンタルトレーナーに師事しているというケースはあまり聞かない。トップアスリートの条件は、自身の感情のコントロールができることであり、渋野の武器こそこの図太い神経であり、〝持っている〞ものの正体ではなかろうか。感情のコントロールが苦手なアスリートにとっては、渋野のプレーを見ることがトレーニングになるだろうし、会社での不満をためにためたビジネスパーソンにだって、渋野のプレーから働く意欲を生み出す心のコントロール術を学べるはずである。
これが実力だったのか? 試練は続く
昨年、全英女子のほかに国内で4勝を挙げた渋野は、賞金女王の座こそ鈴木 愛に譲ったものの、賞金ランキング2位でデビューシーズンを終えた。最終戦のあと、渋野はこう語った。
「(賞金女王を逃した)悔しさはないです。(賞金ランキング)2位という結果は、神様が『この一年、よくがんばったね』というご褒美を与えてくれたのかもしれないし、『まだ1位になるのは早い』という試練を与えてくれたのかな、とも思います。今年一年を漢字一文字で? うーん、『謎』。いろんな意味で謎でした(笑)」
コロナ禍に見舞われ、3カ月遅れで始まった今季は、まさしく「試練」の連続だ。開幕戦で予選落ちを喫し、その後はディフェンディングチャンピオンとして臨んだ全英女子オープンをはじめ、イギリスの2試合は海沿いのコースの強風に悩まされていずれも予選落ちに終わり、アメリカの試合では最高順位が24位タイと振るわなかった。
そして、長い海外遠征を終え、2週間の自主隔離期間を経たあとの復帰戦初日に、渋野は冒頭のホールインワンを達成した。しかし、この日の渋野は前半に3アンダーまでスコアを伸ばしたものの、後半に崩れてイーブンパーで18ホールの戦いを終えた。
「(復帰戦のホールインワンで)私も〝持っている〞んじゃないかと思ったけど(笑)、後半のゴルフで、これが自分の実力だと思い知らされました……」
さらに2日目は3ボギー、2ダブルボギー(1バーディ)と大たたきし、国内2戦目も予選落ちとなってしまった。
「ちょっと受け入れたくないぐらいの結果なんですけど、これが結果……。ちょっと時間をかけて受け止めます」
原稿の執筆時点(11月1日)で、今季の残り試合はあと4試合。不本意な結果のまま、あの渋野が今年の戦いを終えるとは思えない。
本誌が発売されるころには、この落胆がうそであったかのように復調し、帳尻を合わせるようにスマイルを振りまく渋野がいるのではないだろうか。
柳川悠二(やながわ・ゆうじ)
ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中よりスポーツの取材を開始し、出版社勤務を経て、2003年に独立。以来、夏季五輪の取材と高校野球の取材をライフワークとする。著書に、第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『永遠のPL学園』や『投げない怪物』(ともに小学館刊)などがある。
Illustration: Michihiro Hori