週末の過ごし方
新たなステージへ移り、さらなる高みを目指す、
日本料理「かんだ」
2022.03.22
2008年に「ミシュランガイド東京」が初めて刊行されたその年から、昨年末の2022年度版まで15年、ミシュランの三つ星を獲得しつづけている、日本を代表する日本料理店「かんだ」。さらに今年は、「メンターシェフアワード」という、初の個人に与えられる賞を、オーナーシェフである神田裕行氏は受賞した。すべての料理人の模範であり、後進の育成に努め、レストラン業界の発展に貢献したという賞である。そんな、料理人として頂点に立ったと言っても過言ではない今年、店舗を新たなステージへと移した。
15年を過ごした元麻布の店は、ほぼ現状のまま残し、後進へ譲り、フレンチレストラン「翔(かける)」として再スタートを切る。「かんだ」は、虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワーの1階に移転した。ゴージャスなタワーに飲食店は「かんだ」1軒のみというぜいたくな立地で、内装を担当したのは、今をときめく写真家・美術作家の杉本博司氏というのだから、至極興味をそそられる。
隠れ家的なエントランスを入ると、正面には滝の写真が飾られ、ウェイティングルームには、杉本氏の代表作である海景の写真が配されている(日本海の水平線だそうだ)。メインダイニングへ移動すると、春日杉のカウンターの優しい木目が際立ち、正面の柔らかな色合いの鏡面仕上の砂壁と調和する。なんでもその技法は、日本で一人しか受け継ぐ職人がいないのだとか。壁面を彩るシャープな春日杉の棚の上に器が並んだ様子は、前店舗をほうふつとさせるが、それもそのはずで、そこのデザインを踏襲してほしいというのが、神田氏からの唯一のリクエストだったそうだ。実は、神田氏の親友であり、若くして故人となった建築家の遺作であった前店舗。敬愛していたその意匠をどうしても残したいという思いがあったのだという。しかし、木材が違い、飾る器が違えば、おのずと異なる雰囲気が醸し出される。客席の後方に広がる庭の部分には貴重な石が敷き詰められ、石の社が配されている。こうしたすべての雰囲気がひとつになり、新生「かんだ」を作り上げている。
「店内の格が上がれば器のランクが上がり、おのずと、料理がぴしっと決まる。お客さまのなかにも心地よい緊張感が流れ、店全体の格が上がる。移転して1カ月がたちますが、今回の移転ではそんなふうな、いい循環を感じています」と神田氏は言う。
神田氏と、杉本氏の出会いは5年ほど前にさかのぼる。アートが好きな神田氏が、縁あって杉本氏を紹介され、意気投合し、機会あれば店の内装を依頼したいという思いを託したのだという。実は、森ビル側の事情で、予定より2年ほど竣工が遅れた。しかし、その間に親交温めることができ――時に歌も歌ったとか――、より緊密な意思疎通を図ることができ、思い描いたとおりの理想の店舗になったそうだ。
「杉本さんの感覚というのは、古典とモダンのバランスが見事だと思うのです。どこか、外国人が見て憧れる日本のような、また、日本人が海外に行って、日本ってすてきだろうと、自慢したいような、そんな日本感が詰まっている。そのあたりが見事に反映されていると感じています」と神田氏。
そもそも、どのようにして、今回の移転に至ったのだろうか、移転を考えたのだろうかということを聞いてみた。
「50歳になったときに考えたんです。いくつまで料理ができるんだろうと。きちんといまの空気感を感じながら、現代のときをとらえて、その時代に必要とされる日本料理を作れるのは70歳くらいまでだろうと。すると、もう一度、ステージを変えてもいいのではないか、そんなことを漠然と考えはじめ、5年ほど前に杉本氏と出会い、それが具体的になっていったわけです。そして移転を経たいま、あと3650日、つまり10年ですね。ここで、本当に納得のいく料理を出しつづけていきたいと、改めて料理に向き合っています」
そもそも神田氏は、自分の料理の目指すところを、王道の日本料理8割、時代を感じられる遊び心のある料理を2割。そんなあんばいで全体の流れを構成しているという。特に前菜、椀、造り、最後のごはんなどは絶対に王道でなくてはいけないと心に決めている。そのなかに随所に遊び心を採り入れていきたいというのだ。そして移転後のいま、より質の高い充実した正統でならなければならず、残りの2割の部分がより研ぎ澄まされ、洗練されたものでなければいけないと思っているとも。「この店舗は、クラシックな部分をより強調してくれるんです。遊び心が勝ったとしても、ぴっとすぐに日本に戻れるような、そんな作用があるように感じています」と新店舗を評する。
今回紹介してくださった料理は、早春のコースからの品々。ひと皿目が、まず前菜として供される淡路のあわびと、大分のどんこ椎茸の煮もの。ふくよかなうま味はもちろん、熱々の温度感に驚かされる。椀は、そら豆と海老のしんじょ。青い香りとうますぎない淡いだしの取り合わせが爽やかで、まさに早春にふさわしい。次のバカラのグラスに盛られたひと品は、ふぐの白子やふぐ刺し、ふぐ皮の上にぎっしりとキャビアを敷き詰めているザ・贅沢とも言える品だ。こうした料理をはさむことで、お客さまのテンションが一気に上がるので、コースに強弱をつけるための大切な品でもあるそうだ。焼き物は白甘鯛。決して派手ではない料理だが、焼きの技術はまさに日本料理の神髄のひとつとも言えよう。こうして具体的に料理の解説を聞くと、いよいよもって、これからの3650日が楽しみとなってくる。
円熟期を迎えつつある神田氏の日本料理と、共に年を重ねる店内の共同作業。その行く末を客として見届けたい、そんな気にさせられる、魅力的な新店だ。
Photograph: Gozen Koshida(dish),Masatomo Moriyama(restaurant)