週末の過ごし方
「iino」が生み出す“移動”に対する新たな価値。
2022.04.20
「より速く、より遠くへ」。乗り物は日々進化している。自転車、バイク、車、船、電車、飛行機、さらにはロケットと、技術の発展、進化によって、我々はより優れた移動手段を手にしてきた。「より速く、より遠くへ」は乗り物にとって進むべき道であり、与えられた使命と言っても過言ではない。
しかし、この普遍とも言えるテーマを真っ向から覆す乗り物がある。それが時速5キロで進むモビリティ「iino」だ。開発したのは2020年に大阪に誕生した「ゲキダンイイノ」。時速5キロといえば、人の歩く速度と大差ない。だが、歩く速度で進む乗り物だからこそ、普段歩いているときには見落としていた景色を改めて発見することができるのである。
そんな、いままでにないユニークな視点で開発された「iino」は、新たな移動体験を提供するべく、現在、さまざまなサービスや実証実験が日本各地で行われている。今年の3 月、宇都宮市にある大谷資料館行われたイベント「月面休息」もそのひとつである。
ご存じの方は多いと思うが、大谷資料館とは映画やドラマのロケ地、コンサートや美術展の会場に利用される採石場の跡地。人の手によって作られた空間でありながら、無機質な岩肌や、どこか荒涼とした光景は、文字どおり月面に立っているかのような気分になる。この神秘的な空間を「iino」に乗って巡るというのが、今回行われた「月面休息」だ。
自動操縦により、ゆっくり、ゆっくりと進む「iino」に乗って採石場跡地の奥へ。歩きでは気にも留めなかったであろう、壁に刻まれた砕石跡、天井の模様などを眺めながら進んでいくと、途中で「iino」が動きを止める。ここで始まるのは「月面休息」のもうひとつの楽しみ、宇都宮にお店を構えるフレンチレストラン「オトワ レストラン」のコース料理を堪能する時間だ。料理を手掛けるのは白金台「シエル エ ソル」の料理長として、3年連続ミシュランひとつ星を獲得した次世代のシェフ音羽 創氏。現在は地元、宇都宮に戻り、地元の食材を使用したクリエイティビティーに溢れる料理の数々を発信しつづける気鋭のシェフである。彼が手掛けたコース料理を味わうのも、もちろん「iino」の上だ。
「採石場でフレンチ?」と侮るなかれ。提供される料理は採石場に用意された仮設キッチンで調理されるため、どの品もできたての味を堪能することができる。地元の食材を使用したコース料理はどれも洗練されており、シェフの腕はもちろん、栃木の食材の奥深さを実感するはずだ。
料理に合わせるお酒ももちろん地元のもの。ソムリエが料理ひと皿ずつに合わせて、ワインや日本酒など、最高のペアリングを提案してくれる。そして名残惜しい気持ちで最後のデザートを口に運び、食事が終わるとまた「iino」はゆっくり動き出し、そして最後は採石場の出口へと進んでいく。壮大な音楽とともに、採石場出口へと向かっていく瞬間は、まるで月面を飛び立ち、地球に戻ってきたかのような不思議な錯覚を覚えるはずだ。
非日常的な空間で、「iino」という新たな乗り物に乗り、極上のフレンチを楽しむ。こんな神秘的で感動的な体験はここでしか味わうことはできないだろう。だかこれは「iino」を用いた企画のひとつにすぎない。今後、この新たな乗り物が、現代社会のなかでどのように活躍していくか、そしてどのような新しい移動体験を与えてくれるのか、可能性は無限大だ。「iino」が作る未来、いまから楽しみにしたい。
問/ゲキダンイイノ https://gekidaniino.co.jp/
Photograph:Takahiro Sakata(※以外)
Text:AERA STYLE MAGAZINE