週末の過ごし方
平安時代から受け継がれる京文化と美意識。
嵐峡の地で星のや京都が奏でるソーシャルグッドな催し。
2022.08.01

社会によりよい取り組みを行うソーシャルグッドなホテルを、トラベルエディター伊澤慶一が紹介。vol.2では2009年の開業以来、京都・嵐山で唯一無二の旅館としてゲストを迎え入れ、伝統的な京文化の継承に力を注ぐ星のや京都の様子をポートする。
私が星のや京都を訪れたのは2022年7月上旬のこと。京都の夏の風物詩、祇園祭で3年ぶりに山鉾巡行が復活するとあって、街はいつにも増して活気にあふれているように感じられた。一方で星のや京都が位置するのは、かつて皇族や平安貴族の別荘地として栄えた嵐山の山中。「水辺の私邸で時を忘れる」というコンセプトのとおり、そこには祭りの喧騒とは無縁の別世界が広がっていた——。

星のや京都は、アプローチからして心躍る宿だ。渡月橋近くの舟待合に集まったゲストは、そこから宿泊者限定の舟に乗り大堰川をさかのぼっていく。嵯峨嵐山一帯は風光明媚(ふうこうめいび)な自然に囲まれ、このあたりで小倉百人一首が編纂(へんさん)されたというのもうなずける。かつて平安貴族が舟遊びに興じていた大堰川。その水の流れに逆行して進み、渡月橋や周辺を歩く観光客が徐々に小さくなっていく様子は、まるでタイムマシーンが時空を超えて旅していくかのように感じられた。15分ほどして、霞みの間から星のや京都が姿を現したころ、もうあたりにほかの建物や人の気配は一切なくなっていた。
明治時代に創業した老舗旅館が星のやブランドのもと、洗練されて生まれ変わった。 瓦と白砂で砂紋に見立てた「奥の庭」。庭に置かれた景石は上面が磨かれ、雨の日は鏡のように頭上のモミジを映し出す。
ここはかつて、江戸時代の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が別邸を構え、のちに明治創業の「嵐峡館」という旅館が営業していた場所だった。建物は古いもので100年以上の時を経ていたが、星のや京都は職人による「洗い」という技法を選択。骨格となる木材の部分を丁寧に洗い、刷毛で薬剤を塗り、手ぬぐいで拭う作業を繰り返すことで、これを見事によみがえらせた。紅葉の名所としても知られ、京都随一の自然が残る場所だからこそ、新たに土地を切り開くのではなく、環境負荷の少ないリノベーションというかたちで開業。これは、星のや京都がソーシャルグッドな宿と言えるひとつ目のポイントだ。
自然と調和したパブリックスペースは必見。以前の庭の遺構から復元したという滝が見事な「水の庭」や、対岸の小倉山を借景とし現代の枯山水と呼ぶにふさわしい「奥の庭」など、それらは伝統的な京の美意識と、星のやの革新的なデザインセンスが見事に融合した実例である。また全部で5タイプある客室はすべてがリバービュー。「洗い」が施された柱や天井、組み木の壁などは柔らかな光沢をまとい、建物全体がまるでアンティークのような美しさを感じさせた。

寝室の壁紙には京都伝統の版画紙「京唐紙」を使用。光の当たる角度により見え方が微妙に変化する。 京都の職人による「洗い」という技術で駆体はそのまま、建物は美しく、かつ機能的に生まれ変わった。
星のや京都がソーシャルグッドと言える点はそれだけではない。祇園祭最大の見せ場である山鉾を1467年以前から巡行しつつも、1826年に被災してから休み山となっていた「鷹山」。その保存会が復活に向けて活動するなか、星のや京都は2021年から敷地内で祇園囃子を披露する機会として演奏会を開催するなど、サポートを続けてきた。「コンチキチン」と呼ばれ親しまれる囃子の音色はそれだけでも風情を味わえるが、ここでは宿泊客は演奏を聴くだけでなく囃子方と合奏をするという貴重な体験もできる。何より、こうした取り組みがメディアで紹介されることで、鷹山の存在はより注目を集めるきっかけとなった。そして2022年7月24日、大勢の京都人による「鷹山を復活させたい」という思いがついに結実し、鷹山は祇園祭後祭で約200年ぶりに山鉾を披露した。その様子は全国紙でも大きなニュースとして取り上げられたが、星のや京都ならではの、陰ながらの支援がそこにはあったのだった。


鷹山保存会理事長の山田純司氏。この日も演奏会の前に、祇園祭の歴史や鷹山の歩みなど貴重なお話を聞かせてくれた。 参加者に配られる和菓子の「ちまき」。お守りと同じく厄除けの意味合いがあるという。