特別インタビュー
パタゴニア日本支社 支社長
マーティ・ポンフレー インタビュー[前編]
[ニッポンの社長、イマを斬る。]
2022.11.24
環境と利益、2つのハットを同時にかぶる
マーティ・ポンフレーはミズーリ州で生まれ、先住民族たちと交流する、そんな幼少時代を送った。社会人になってからはナイキやフォッシルなどさまざまな企業でキャリアを重ね、日本と米国を行き来する年月が続いた。
「初めて『パタゴニア』を買った店は実は日本の渋谷店なんだよ(笑)。1997年か98年か。以来、ずっと大好きなブランドだ」
帰国後は自らビジネスを興した。その際にパタゴニアの創業者であるイヴォン・シュイナードの著作をむさぼるように読んだという。
「イヴォンは文字どおり、僕にとってのビジネス的なヒーローでもあった。迷ったときに自身を導く北極星のような存在と言えばいいのかな」。そんな創業者のもと現在は日本支社のトップに就いているわけだが、どんな経緯があったのか。
「きっかけは環境への危機感だね。当時の僕はフロリダに住んでいた。ある日、海岸に行くと赤潮で覆われ、酷いありさまになっていた。赤潮は西海岸のほうで時々発生していたんだけど、一定地域の問題ではなくなってしまったんだ。もはや全員が当事者として考えなくてはいけない段階なんだと痛感したよ」
この出来事は人生そのものを省みるきっかけにもなった。40代後半に差し掛かり、自身のスキルを今後どこに使うべきなのかも思索した。
「明確だったのは株式公開をしているような企業にはもう戻りたくなかったということ。株主利益を考え、四半期ごとの目標を掲げ、気づけば自分が望んでいるものとは違う方向に進んでいる。やりたいのはそんなことじゃない。キャリアを考えたとき、脳裏をよぎったのは『パタゴニア』だ。ずっと心の中にあったけど、それがはっきりとした意識下から動いた瞬間でもあった。『そうだ、人事に知り合いがいる。連絡を取ってみよう』って」
しばらくして、創業者のイヴォン・シュイナードと面談した。印象的だったのは彼が経歴書をほとんど見なかったことだ。マーティがどんな人間であるかを知るための数時間だった。
「パタゴニアで仕事をするなら『地球環境を守るハット』と『利益を出すハット』、両方のハットをかぶりなさいという話もあったね。2つは相反するように思えるかもしれないけど、考え抜かれたビジネスモデルがあれば実現可能なことだと思う」
2019年秋、マーティは日本支社長として着任した。2018年、パタゴニアの理念も30年ぶりに変わった─『私たちは、故郷である地球を救うためのビジネスを営む』。従来の理念にも環境の文字こそ入っていたが、よりシンプルに、より覚悟が伝わってくる一新となった。
「非常にチャレンジングなミッションステートメントだし、社員一人ひとりにその責任を託すのも重要な点だった。その一方、日々の仕事にどう落とし込んでいくかはグレーな部分もあったと思う。それが、今回のイヴォンの決断で方向性が明確になったんだ」
イヴォンの決断とは彼らファミリーが所有していた全株式、つまり、パタゴニアの全株式を環境保護の非営利団体と信託に譲渡したことだ。言い換えれば、会社の全財産を環境危機のために投じたということ。寄付ではないし、パタゴニアは今までどおり、営利企業として存続する。環境支援を半永久的に続けるための仕組み作りではあるが、類のなさに絶句する人は少なくないのではないか。
「最初に聞いたとき、どう感じたかって? 同じことを社員にも聞かれたよ(笑)。周知される1カ月前に知ったけど、イヴォンがどれだけ責任を持ってパタゴニアを展開してきたのか、その気概に圧倒される思いだった。この仕組みにより余剰利益も環境問題の活動に充てられる。つまり、株主が地球になったということ。全ての企業が取り入られるようなものではないけど、『こういうやり方もあるのか』と考えてもらえるだけでも素晴らしいよね。発表以来、確実にわれわれチームの士気が上がったと感じているよ」
インタビュー後編は12月1日(木)公開予定です>>
プロフィル
マーティ・ポンフレー
1970年生まれ。米国・ミズーリ州出身。日本ではナイキジャパンでキャリアをスタートした後、カテゴリーセールスマネージャーに就任。腕時計のフォッシルジャパンを経て、アメリカ本社で複数の副社長ポジションを歴任した。2007年以降はコンサルタント、起業家として多数のプロジェクトに携わる。19年10月にパタゴニア・インターナショナル・インクの日本支社長に就任。写真は「パタゴニア」鎌倉ストアにて。
Photograph: Kentaro Kase
Text: Mariko Terashima