週末の過ごし方
ピエロギから巡る、ポーランドのおもてなしの心<前編>
2023.10.19
国民性から、その国に興味を持つことがある。たとえばポーランド人には、心の温かさやおもてなしの精神に、日本人なら誰もがはっとさせられる、何か通ずるものを感じることができる。遠く離れた国でありながら、どこか日本人の精神性にも似た、助け合いの心を持ちつづけるポーランド。国民食のピエロギから興味を持ったこの国にもっと旅してみたい理由が、また見つかった。
初めてポーランドを訪れたのは、約10年前の春のこと。当時、バルト海に浮かぶデンマークのボーンホルム島に遊学中、海の向こうである隣国ポーランドに卒業旅行で訪れることとなった。そのとき立ち寄ったのが、バルト海南部に面するポーランド最大の港湾都市グダンスクと、第二次世界大戦の戦火を逃れた世界遺産の中世都市トルンだった。
ポーランドと言えば、何を思い浮かべるだろうか? 初めてのポーランドで20代のわたしの心をつかんで離さなかったもの。それが、トルンで食べたピエロギだった。ポーランドの国民食であり、東ヨーロッパの伝統的な料理であるピエロギ。日本の餃子やイタリアのラビオリにも似ている水餃子風のもちっとした食べ物にひと口でとりこになり、お肉やじゃがいも、きのこ、チーズなど、ノンベジからビーガンまで、多彩な中身の選択肢に、「こんなに懐の広い食べ物がこの世にあるのか!」と、心が躍った。
成田から直行で行ける東欧ポーランド
ピエロギへの熱い思いを温めつづけ、約10年の時を経て、改めてポーランドに降り立つ機会を得た。LOTポーランド航空で、成田空港から首都ワルシャワまで直行便で約14時間半。コロナ禍明けの機内では、ポーランドやヨーロッパへ帰国する人々が大半を占め、成田を出発するときから、久しぶりに海外へと飛び立つふわふわとした高揚感を味わった。
首都ワルシャワに到着すると、機内で流れてきた音楽は、フレデリック・ショパンだった。5年に1度開催されるショパン国際ピアノコンクールでの日本人の活躍も記憶に新しいが、ポーランド生まれのショパンは、20歳でウィーンに移り住むまで、ポーランドでピアノの才能を育んでいたことから、ワルシャワ市内にもショパンゆかりの地が点在している。ちなみに、ワルシャワにある空港の名前はワルシャワ・ショパン空港。ポーランドの誇りである偉人による手厚い出迎えは、ポーランド旅のおもてなしの始まりの合図だった。
複雑な歴史からもたらされる、日本人に通ずる精神性
2回目の旅を通じて感じたポーランドの魅力は、ポーランド人の精神的なたくましさと、おもてなしの精神。それはもしかすると、ポーランドの歴史と深く関係しているものではないかと思っている。
西はドイツ、東にロシア、南にオーストリアに挟まれ、幾度となく戦争を繰り返し、領土を奪われ、120年ほど地図上から国自体が消えてしまった複雑な歴史をたどってきたポーランド。第二次世界大戦ではナチスドイツに侵略され、国内外に住むユダヤ人たちが、アウシュビッツ強制収容所に収容されたという悲惨な歴史を思い出す人は多いかもしれない。
今回、私たちがまだ知らない、ポーランドの本当の歴史や姿を知ることができる場所「ワルシャワ蜂起博物館」や「パルミリ・メモリアルミュージアム」を訪れる機会があった。「ワルシャワ蜂起博物館」では、第二次世界大戦中に人口の約3分の1となる10万もの人がナチスドイツやソ連に虐殺されたこと。「パルミリ・メモリアルミュージアム」では第二次世界大戦中、広大な森の中で1700人以上もの知識人たちが虐殺され、埋められるという残酷な歴史があったこと。アウシュビッツ強制収容所だけではない、歴史の教科書に載っていないポーランドの苦難の歴史と向き合ったことで、平穏に暮らせることがどれだけ幸せか、迫害という苦難のない時代に生きられることがどれだけ幸せかをかみ締める機会となった。
過日、ウクライナ侵攻が始まったとき、ポーランド市民は国の決定よりも早く、同胞であるウクライナ人に真っ先に手を差し伸べたそうだ。長い歴史のなかで、周りの国に翻弄され、苦難の歴史を歩んできたポーランド。だからこそ、ポーランド人の持つ助け合い、おもてなしの精神が、同胞であるウクライナの人への温かなまなざしとして向けられたのだろう。
取材協力:ポーランド政府観光局
Photograph: Reiko Masutani
Edit & Text: Ai Yoshida