お酒

タイムレスとは何か?
ジョン・モーフォードが生んだ無口なホテルの雄弁な美を探る
【センスの因数分解】

2024.06.06

01_ガッツィー
ガッツィーが迎えるエントランス。

“智に働けば角が立つ”と漱石先生は言うけれど、智や知がなければこの世は空虚。いま知っておきたいアレコレをちょっと知的に因数分解。まずは「無口な本物」の話から……。

ル・コルビュジエやココ・シャネルにスティーブ・ジョブズ……、どの世界にも道を切り開いた人物が存在し、後世まで名言が語り継がれています。日本のラグジュアリーホテルの新しい道を開いたといえば、パーク ハイアット 東京(以下PHT)のインテリアをデザインしたジョン・モーフォード(JM)でしょう。

02_2000冊の本
2000冊の本が並ぶ回廊。

開業は1994年、外資系ラグジュアリーホテルの先駆的存在です。スタンダードルームの専有面積が50㎡以上であること、華美さや重厚さではなく洗練かつミニマムな意匠であること、ホテルのダイニングシーンに活気というエレメントを加えたこと、そして本を多用する演出……。枚挙にいとまがありませんが、今ではあまたのラグジュアリーホテルに散見されるコンテンツが、実はここを発端にしています。

JMはそれらをすべて、一人で手がけました。開業30周年を迎えるホテルは、老朽化した設備のアップデートなどを目的としたリニューアルのため、5月初旬より約1年間休館します。つまり、JMオリジナルは、あとわずかで姿を変えるのです。

  • 03_トーキョー スイート
    結城作品の仮面が印象的なトーキョー スイート。ニューヨーク バーと共にリニューアル後も残る。
  • 04_客室
    機能的動線も画期的だった客室デザインは30年ほぼ変わらない。

ホテルデザインにおいて、数々の影響を与えたJMですが、彼がPHTへの思いやプレゼンテーションをメディアなどを通し伝えたことは一度もなく、取材オファーに応えたことはありません。JMがホテル全館をデザインしたのはこれが最初で最後。間違いなく人生をかけた大仕事です。その後映画『ロスト・イン・トランスレーション』の舞台になるなど、世界的に話題となったにもかかわらず、彼の思いはずっと霧の中です。今回は、JMのホテルデザイン構築について、仲間たちの言葉から、彼に近づいてみたいと思います。

「完璧主義だったJMを前に、ホテルスタッフの方々は緊張することが多かったかもしれませんね。私の印象はとても知的で紳士的な方。ホテルのアートを頼まれた際はどうなることかと思いましたが、自由にやらせてもらいました」

05_ニューヨーク バー
ニューヨーク バー。

そう語るのは、アーティストで俳優の結城美栄子さん。エントランスでゲストを迎えるホテルの象徴的存在の「ガッツィー」をはじめ、エレベーターやデリカテッセン、客室などいたるところに彼女の作品が配置されています。出会いのきっかけは1冊の本でした。

「彼は大変な読書家で書店好き。88年に出版した私の作品集を見て、依頼がありました。ガッツィー制作の際は、(ゲストが最初にコミュニケーションをとる)ホテルのベルには熱いハート・ガッツを持っていてほしいという彼の思いが込められています」

PHTには、アートや古美術、民族衣装などの装飾品が数多く配置されていますが、それらもJMが依頼や選定をしています。170室を超えるラグジュアリーホテルでは異例中の異例といえます。また完成したら変わらない装飾品のみならず、変化する装飾に対してもディレクションは及びました。「あるべきところに花が生けられていることが大切です。ではこのホテルのどこに据えられるべきか、それはすでにデザインしてありますJMにはまずそう伝えられました。また色みに関しても何がふさわしいか、共通認識をしっかりと持つことを重要視していましたね」とは、生花のアレンジメントを担当するフラワーデザインアーティストの小林祐治さんの弁。

06_コラージュ 9
大胆なフラワーアレンジと写真のコラージュがゲストを魅了するダイニング、ジランドール。

デザインとして完璧な構築がされているのだから、それ以外のデコレーションは不要。小林さんの話からは、そんなJMの完璧さが垣間見えてくるように思います。

一方、ホテルスタッフはどう思っていたのでしょうか。PHTの伊秩裕子さんは開業準備の段階からプロジェクトに参画、JMを近くで見続けたひとりです。

「彼はアシスタントをつけずすべてのデザインを一人で行いましたが、PCソフトを使ったデータはなく、手描きの図面があるのみでした。すべては彼の頭の中、われわれはそれを信じてついていったということでしょうか。説明がなく最近になって気づいた、というようなデザインや仕掛けがまだあります。彼はとにかくビジネスライクなことや自己PRが嫌いです。謙虚かつシャイでありながら、自身のゆるぎない美意識を持ち、それを追求する完璧主義者でした。彼はこのホテルが、多くの人に上辺だけで支持されるより、わかる人だけわかればいい、という意思と覚悟がありました」

07_41階の大開口
アライバルエクスペリエンスをJMは重要視していた。その表れといえるのが41階の大開口と竹林だろう。

デザインというと机上で物事が完成される印象がありますが、彼はホテルの完成後も現場を取り仕切り、ホテルの理想形を実現し継続させていったそうです。たとえば書棚。JMはそのハコをデザインとセレクトしただけでなく、並べ方も定め、さらには自らの手で11冊を収めていったのだとか! どんな要素も妥協なき情熱で進め、照明の色や明るさ、リネンの織りや色、さらには客室撮影の時間帯までJMの指定があるほど。そんなホテルは世界中探してもここしかない、そう断言して構わないと思います。

そんなPHTのオリジナルがどう変わるのか。ファンならずとも気になるところですが、その重要性は現在のチームが認識しているようです。

JMによるPHTは、ハイアットグループにとっても大きな財産であり、どう変わっていくのかに注目が集まることは理解しているつもりです。結果から申し上げますと、ドラスティックに変える予定はありません。たとえば、ファウンダーが生み出したファッションブランドは、デザイナーが代わっても(ブランドは)継続しますよね。PHTはホテルにおいてそれを実践できればと考えています。スピリットはそのままに、時代の変化に沿うような機能や新しさが実現できればと」

08_ホテルの素材_パーツ
ホテルのすべての素材はJMのチェックがないと採用されなかった。そのパーツは今でもホテルが保管している。

フレデリック・ハーフォース総支配人はそう言います。

道を開いた人物は、哲学や名言をいくつも遺し、それが本や映画になることも少なくありません。そうやって理念が受け継がれる術すべのひとつとなっています。PHTの場合は、無口なデザイナーがつくった雄弁なホテルデザインを自分たちで解き明かし、次世代へどんな核を遺していくかを見極めていくことになるのでしょう。それを選択した総支配人の言葉には、JMへの敬意がにじんでいるようでした。忖度(そんたく)やマーケティングでは決して生まれない無口なホテル。そのオリジナルに身を置けるのは、あとわずかです。

パーク ハイアット 東京
東京都新宿区西新宿3-7-1-2
03−5322−1234

「アエラスタイルマガジンVOL.56 SPRING/SUMMER 2024」より転載

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