週末の過ごし方
古代東ローマ帝国からオスマン帝国へ。
─「イスタンブル建築」が語る世界帝都の魅力─
2024.12.04
海峡の西はヨーロッパ、東はアジアという世界に類を見ない都市・イスタンブル。太古より世界中の人々を魅了してきた帝都の面影を求め、建築を巡る旅に出る……。
ヨーロッパとアジアにまたがる世界唯一の都市であり、数千年にわたり都としての歴史を刻んできたイスタンブル。この地の建築に、それぞれの時代背景が色濃く投影されているという。つまり伝統的建築から現代建築までを巡ると、都市の歴史をなぞることになるのだ。
「イスタンブルには、西洋建築と東洋建築双方の意匠が組み込まれています。ですからこの地の建築を見るだけで、世界の建築史の大枠を語ることができるのです」
そう話すのは、イスタンブル工科大学で建築史を教えるジラルデッリ青木美由紀さんだ。彼女のナビゲートと共に、時代を追って建築を巡る旅をしてみたい。
「聖なる知」というビザンチン時代の最重要建築
キリスト教とイスラム教の聖地・アヤソフィアへ
まずはビザンチン帝国の首都・コンスタンチノープルと呼ばれていた時代までさかのぼる。全盛期には認められる世界面積の4分の1を占めその名をとどろかせていたが、『アヤソフィア』はそんな時代の建築物である。西暦370年に教会として建てられ、現在の姿は537年に完成されたものだ。
「ビザンチン帝国時代の代表的建築であり、東方キリスト教の大聖堂であったアヤソフィアは、ひと言で表すと神秘性の建築です。内部は薄暗く、その中でモザイクで描かれたマリアやキリストの像が浮かび上がるように見えます。この建築上の演出が人々の信仰心を触発する一助となっています。ちなみにオスマン帝国のスルタン(王)であったメフメト2世はコンスタンチノープルを征服後、まずアヤソフィアに赴きイスラムの祈りを捧げたと言われています」
ビザンチン帝国の人々が信じた東方キリスト教の中心であったアヤソフィアだが、その後も破壊されるのではなくモスクとして存続。オスマン帝国の祈りの場となり、4本の尖塔やアラビア文字の円盤などが加わった。
Ayasofya
Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı
No:1, 34122 Fatih/İstanbul
偉大な統治者と天才建築家の出現により生まれたモスク
オスマン帝国の栄華を語るジャーミィ
ビザンチン帝国が滅んだあと、コンスタンチノープルはオスマン帝国の首都としてイスタンブルと名を変えた。その後も領土を広げていき、スレイマン大帝時代にピークを迎える。その時代の栄華を内包するのが、『スレイマニエ・ジャーミィ(モスク)』である。
「時代を代表する建築とは、権勢を極めた統治者が天才建築家と組むことによって生まれますが、オスマンにおいてのそれはスレイマニエ・ジャーミィです」
大理石造りの威風堂々としたモスクが建立されたのは1557年、オスマン帝国時代の最も有名な建築家ミマール・スィナンによって建設された。
「神秘性が特徴の東方キリスト教に対して、イスラム教は合理性が鍵となります。スィナンはモスク建築のシステム化を進め、合理性のもとにいくつも手がけました。礼拝者が空間を一望できるようにドームを支える分厚い扶壁の代わりに4つの柱でドームの荷重を分散しました。またガラス板を集めた開口部を据えて明るさも確保。窓が多くなれば建築構造的には強度が弱くなりますが、スィナンはこの課題を克服します。100以上の建築を生涯で手がけました。ルネサンス期のミケランジェロが存命中に自身の完成作を見られなかったことと比べると、その建築生産システムの合理性がいかに際立っているかがわかります」
建築には石が用いられているが、それは切石のギリシャ建築の伝統を併せ持っているということになり、石の加工や運搬の技術も要する。オスマン帝国の栄華を伝えるスレイマニエ・ジャーミィは、偶像崇拝を禁じるイスラム教においてどう信仰を表現するかと、それを実現する高い技術力や知性を教えてくれる。
SÜleymaniye Camii
Süleymaniye, Prof. Sıddık Sami Onar Cd.
No:1, 34116 Fatih/İstanbul
オスマン時代からの交易の都のにぎわいが今も続く市場
オスマン帝国時代の市井の人たちの息づかいを今に伝えるのが、『グランド・バザール』だろう。建設は1460年。3万平方メートルを超える広さがあり、約4000の店舗がある。かつての交易の中心は、現在も世界最大規模の市場で、多くの人でにぎわう。
「現地の言葉では屋根のある市場という意味のカパル・チャルシュと言います。その名のとおり小さなドーム型の屋根が続いていて、金の取引はオスマン帝国時代から現在までここで行われています。ハーンと呼ばれる商館が中庭の周りを囲むように立っているのが特徴で、貴金属や衣類、革製品など扱うものによってハーンが分かれており、市場では販売だけでなく生産も行われています」
グランド・バザールは、交易で栄えたオスマン帝国時代の活気だけでなく、現地の暮らしの双方を知ることのできる建築なのである。
Kapalı Çarşı
Beyazıt, Kalpakçılar Cd.
No:22, 34126 Fatih/İstanbul
時代様式が混在するトプカプ宮殿
「ボスポラス海峡の南端、丘の上に立つトプカプ宮殿は、15世紀半ばから19世紀までの異なる様式の建築が見られるのがいちばんの特徴です。ずっとスルタンの居城でしたので、必要に応じた機能が加わっていったのです。また、ひとつの巨大建築ではなく、機能ごとにいくつかの建物が点在しているのも大きな特徴。入り口から奥へ第1〜第4まで庭があり、進むほど支配者のプライベートな場になります。誰もが入れスルタンに直訴できる場から、台所や厩(うまや)などの機能的部分、国会議事堂、謁見の間、宝物庫を経て私的な間となりますが、わざと迷うようなつくりになっていて、それは簡単にアクセスできない存在と感じさせる王の演出法だと思います」
Topkapı Sarayı MÜzesi
Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul
※トルコ語の発音に即して、この記事内ではイスタンブルと表記しています。
ジラルデッリ青木美由紀(じらるでっり・あおき・みゆき)
美術史家、イスタンブル工科大学建築学部建築学科准教授補。著書に『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』。
<<西と東の交差点で時空を超える旅へ。記事はこちらから
②帝都から共和国への過渡期 記事は近日公開>>
取材協力:Go Türkie/トルコ共和国大使館 文化観光局 https://goturkiye.jp/
Edit & Text: Toshie Tanaka(KIMITERASU)
Photograph: Kosuke Mae