特別インタビュー
Bリーグ選手・内尾聡理が子ども支援プロジェクトを立ち上げた理由
2025.02.26

Bリーグ・ファイティングイーグルス名古屋の内尾聡理は、インタビュー中、たびたび感謝の言葉を口にした。2024年11月、プロ1年目にして社会貢献活動(子ども支援)プロジェクト「S.U future」を立ち上げたことについても、「僕ひとりの力では成し遂げられなかったこと。多くの方々に協力していただき本当に感謝しています」と述べた。
「ひとり親家庭で育ち、母が忙しいなか送り迎えをしてくれたり、シューズを買ってくれたり、苦労しながら僕を支えてくれました。バスケットボールを続けられたことが奇跡のような状況。幼い頃からコーチにも『それは当たり前のことじゃないぞ』と言われました。親元を離れて熊本で過ごした中学時代には、熊本地震(2016年)に遭いました。数カ月間、学校に通うことができず、日常生活を送れること自体が当たり前ではないと強く実感。バスケットを続けられたのは、多くの人の支えがあったからこそだと思っています」
小学校1年から始めたミニバスケットボールの監督、小・中学校の先生、福岡第一高校の井手口 孝監督……素晴らしい指導者や先生に恵まれたと語る。「恵まれた」と言ってもそれは単に運がよかっただけではない。周りの大人たちは、「たまの息抜きに」と映画など遊びに連れて行っても「早く帰ってバスケの練習がしたい」と言う少年・内尾のひたむきさに心打たれたからこそ、長きにわたって寄り添いつづけているのだろう。小学生のころから今なお折に触れ食事などに連れて行ってくれる人もいれば、何も言わずに試合を見守りつづけてくれる人もいる。
「僕が選んだ道に対して真剣に向き合ってくれたことが子ども心にうれしかった」
そうした大人たちの影響で、「将来は自分も子どもたちを支えられる存在になりたい」と考え、学校の先生を目指したこともある。実際、社会科の教員免許も取得した。
子どもたちの喜ぶ顔は、プロ選手になった価値のひとつ

「S.U future」では、2024年12月に、コスメブランドとコラボしたチャリティ商品を販売。今後は、ふだんエンターテインメントに触れる機会が少ない子どもたちを試合に招待したり、子どもたちを地域で見守る施設「子ども第三の居場所」(日本財団)に赴き、一緒にスポーツを楽しむ時間を持ったりといった活動を計画している。また、受験偏重の学校教育から外れてしまった子が、将来的に貧困に陥る傾向があるという社会の仕組みに疑問を感じ、授業では教わらない生きるための知識を直接伝えていきたいという思いも強い。寄付活動のみならず、子どもたちと直接触れ合うことを重視している背景にはこんな経験がある。
「2024年、千葉ジェッツふなばしに在籍していた当時、児童養護施設を訪問しました。大学生のころにも子どもたちと触れ合う機会はありましたが、『大学生』として接するのと、ふだん関わる機会が少ない『プロバスケットボール選手』として接するのとでは、子どもたちの反応がまったく違いました。目を輝かせて喜んでいる姿を見てプロ選手になったことのひとつの価値だと感じ、自分自身のモチベーションも高まり、『何かをしてあげる』というよりも僕自身にとっても元気をもらえる時間となりました」
自分の好きなことを見つける助けとなりたい

自分がプロバスケットボール選手に憧れたように、子どもたちに夢や希望を持ってもらいたいと願う内尾。自身が夢をかなえるまでには挫折も経験した。バスケをやめたいと思うこともあった。そうした経験を踏まえ、子どもたちへエールを送る。
「自分の好きなことに取り組んでいると、周囲からさまざまな意見を言われることがあります。また、自分が成長していくと、さらに上のレベルが見えてきて、他人と自分を比べてしまうこともあります。僕も今もまだ悔しいと思うことはたくさんあります。でも、悔しい気持ちを持つということは、まだ頑張れるということ。だから、そうした気持ちを持てる自分を大切にしてほしい。一方で、今見えている世界だけがすべてではなく、あくまでひとつの視点。もしかすると、本当に自分が好きなことは何かまだわからないかもしれません。違う分野に足を踏み入れることで『自分はこれが好きだ』と発見できることもあるでしょう。いろいろな世界や価値観、文化に触れることが難しい子どもたちに、僕が少しでも新たな世界を見せる役割を果たせたらと思っています」

これまで支えてくれた大人たちへの感謝の気持ちを、子どもたちへのサポートに還元して未来へとつないでいく。一番近くで支えてくれた最愛の母には、姉(内尾聡菜/富士通レッドウェーブ所属)と共に、毎年母の日にささやかなプレゼントを贈っているという。
内尾聡理(うちお・そうり)
2001年4月12日生まれ、福岡県出身。184cm、81kg。PG/SG。小学1年のときに小倉ミニバスケットボールクラブに加入。中学3年時にはU-16日本代表に招集される。福岡第一高校3年時にはインターハイ、国体、ウインターカップの三冠を達成。中央大学4年時に千葉ジェッツに特別指定選手(16歳以上22歳以下の選手が試合に出場できる制度)として加入。2024年6月にファイティングイーグルス名古屋に移籍。
Photograph: Yuji Kawata(Riverta Inc)
Text: Yukiko Anraku
Styling: Masahiro Tochigi (QUILT)
Hair & Make-up: Yuna Teraoka