週末の過ごし方
行き違う道。─ 彼女の場合─
【Beauty in MOTION Short Short Story】
2026.04.22
免許を取ったきっかけは、恋の終わりだった。都会に住む私にとっては、必要ないかなとも思っていたが、ある人がきっかけで、ドライブの魅力に気づいてしまったのだ。理由はそれだけではないけれど。
彼は春と秋になると、奥湯河原にある、文豪が住み込みで小説を書いていそうな老舗の温泉宿に宿泊していた。
「夏に備えて温泉に行く」「冬に備えて温泉に行く」。そんなとってつけたような理由を教えられたが、きっと何かがあるはずだ。私はそれが何なのかとても知りたくなり、いつの間にか同行させてもらうようになった。
クルマに乗る彼は、いつもと違って見えた。後ろを確認する目線、ハンドルを操る感じ、慣れた手つきでシートベルトを外すところ、今思えばなんてことない仕草に、たまらなく魅力を感じた。そして、真っすぐ前を見つめる横顔をずっと見ていたいと思った私は、恋に落ちていることに気づいてしまった。
ずっと見つめているわけにもいかず、ふと風景に目をやると、知らない世界が広がっていた。きっと誰かの日常風景なのだろうけれど、街からあまり出ない私にとっては、新鮮だった。
いつでも思い出せるように、私は目に映るおもしろいものすべてを写真に収めた。おかげでいつでも見返してしまう、そんなことだから前に進めないのはわかっているのに。
いつの日か彼に恋人ができたことを知り、私は彼と会うのをやめた。彼が恋人という存在を求めたことに、なにより驚いた。大切な関係が壊れるのが怖くて、「好きだ」なんてことは言えなかった。もし言っていたら、私は恋人になれたのだろうか?
私は前に進むために、同じ道を走っている。何度も忘れようとしていたが、あまりにも眩(まばゆ)く、記憶から消せそうにない。
消せないのならば、抱えながら、少しでも歩けるようになればいい。運転席から見える景色は、不思議と私の記憶とは少し違って見えた。東京タワーが見えるころにはきっと……。
鮎川ジュン(あゆかわ・じゅん)
アエラスタイルマガジンの雑誌やWEBで数多く執筆。バーテンダー、音楽家、DJなどの顔も持つ。
Illustration: Taku Bannai