特別インタビュー
クレドール、世界へ。
―Watches and Wonders初出展に込めたセイコー次なる一手
セイコーウオッチ 内藤昭男社長インタビュー
2026.05.19
スイスのジュネーブで開催される世界最大級の時計見本市「Watches and Wonders Geneva」。グランドセイコーに続き、2026年、セイコーウオッチのドレスウォッチブランド「クレドール」が初出展を果たした。
なぜ今、クレドールなのか。グランドセイコーとはどう違うのか。海外市場でどのような存在を目指すのか。セイコーウオッチ代表取締役社長の内藤昭男氏に現地で聞いた。
「いつか海外へ」――2010年から続いていた構想
グランドセイコーがグローバル展開したのは2010年。内藤氏によれば、それ以前から、社内では「高級セグメントを海外へ持っていくなら、クレドールか、グランドセイコーか」といった議論があったという。最終的に選ばれたのはグランドセイコーだった。理由は明快だった。
「高精度、視認性、時計としての機能を突き詰めるブランドであり、“セイコー”の名も付いている。海外市場で切り口を明確にしやすかった」
一方でクレドールは、日本国内では高い評価を得ていたものの、彫金や漆といった日本的な美意識が海外でどこまで受け入れられるか、当時はまだ確信が持てなかったのだ。
ただし、クレドールを海外に出したい思いそのものは、当時から持ちつづけていた。
グランドセイコーの成功が、クレドールの扉を開いた
2010年当時、海外でのセイコーのイメージは“中価格帯ブランド”だった。高級時計として受け止められず、「なぜセイコーなのにこんなに高いのか」といった反応も少なくなかった。転機となったのは2017年。グランドセイコーが独立ブランド化し、ロゴ、流通、組織を刷新した。
「グランドセイコーはセイコーとは異なるDNAを持つブランドだと明確に打ち出したことで、それが受け入れられた」
アメリカでの成長を起点に、欧州、アジアでも認知が広がった。そしてその成功が、クレドールへの期待へとつながっていった。
「メディア、時計ファン、小売店から“そろそろクレドールではないか”という声が強くなってきた」
今回クレドールが出展したのは、大規模なブースではない。独立系・少量生産ブランドが集う、「Carré des Horlogers(カレ・デ・オロロジュ)」という特別なエリアだった。
「クレドールは大量生産ブランドではなく、どちらかといえばマイクロメゾン的な個性を持つブランド。その意味合いを、主催者側もよく理解してくださった」
華やかな展示競争ではなく、作り手の思想や技術そのものを見せる場。クレドールにとって、むしろ自然な選択だったと言える。
海外展開は、まず10店舗から
今年の計画として、海外では10拠点で展開を始めると明かす。
そのうち8店舗はグランドセイコー直営ブティック、残る2店舗は、東南アジアの高級時計リテーラーSHHで展開している。さらに今回の出展後、欧米の高級リテーラーからも強い関心が寄せられているそうだ。
「想定以上に手を挙げていただいている。ただ、最初は数が作れない」
供給量を追うのではなく、限られた本数を適切な場所に届ける。それがクレドールの前提となる。
“売上目標”よりも共感を重視するブランドへ
内藤氏は、クレドールについて「通常のブランドのような売り方をしてはいけない」とも語る。
「社内では当然、予算や販売計画があります。ただ、クレドールは右肩上がりの数量目標を追うブランドではないと思っています」
大切なのは、この価値観に共感する顧客へ届けること。価格は決して安くはない。それでも理解し、愛してくれる人に買ってもらうブランドにしたいという。大量販売ではなく、選ばれる存在へ――。そこには高級時計ビジネスへの明確な哲学がある。
グランドセイコーとの違いは「美」と「自由」
グランドセイコーは精度、耐久性、実用性を追求するブランドだ。たとえコンプリケーションモデルであっても落下試験まで行うほど、日常使いの性能にこだわる。一方、クレドールは異なる軸に立つ。
「美しさ、繊細さ、エレガンス、知性。そこに思い切って振ったブランドです」
さらにクレドールには“自由”があると語る。グランドセイコーはデザイン文法が決められており、日本の自然や職人技を軸に据えるが、クレドールは国籍に縛られない。ブランド名もフランス語由来で、どこか、国を超えた響きを持つ。掲げる新たなタグラインは、The Creativity of Artisans。
「美を追求する職人たちの創造性。それを表現するブランドにしたい」
ジェラルド・ジェンタとの物語、そして未来へ
その象徴が、「ロコモティブ」である。1970年代にジェラルド・ジェンタ氏がクレドールのために手がけたデザインを現代に復活させたモデルだ。当時、クオーツショックでスイス時計業界が日本勢に強い対抗意識を持っていた時代。ジェンタ氏はセイコーの仕事を公にしなかった。復活にあたって内藤氏はロンドンで夫人と直接会談。ブランドの未来像を説明し、全面的な協力を得た。
「クレドールでセイコーウオッチがやるなら、私は100%協力しますと言っていただいた」
今後もロコモティブの追加展開は続く予定だ。さらに将来的には、クレドールとしてアジアを含む世界の建築家やアーティストとの協業にも可能性を見ている。
「グランドセイコーでは難しくても、クレドールならできる」
注目作は“静かなすごみ”を宿す漆モデル
今年の新作で特に注目してほしいモデルとして、内藤氏が挙げたのは、黒から青へと移ろう漆ダイヤルの一本だった。プラチナ粉末でロゴとインデックスを表現し、外周へ向かって深まる青のグラデーションを漆で実現したモデルだ。
「ぱっと見では派手さはない。でも話を聞くと“おおっ”となる。そこにひかれます」
見せびらかす豪華さではなく、知る人がうなる完成度。英国流の言葉で言えば“アンダーステートメント”――控えめでありながら、本物だけが持つ強さだ。
クレドールは、新しい顧客を連れてくる
最後に内藤氏は、クレドールが開拓する顧客像について示唆した。
「時計ファンだけではない。アートが好きな人、建築が好きな人、美しいものに価値を感じる人たち。その層に届く可能性があるブランドだと期待しています」
グランドセイコーは、“時計の王道”を世界で切りひらいてきた。そしていま、クレドールは“美の王道” を静かに切りひらく存在となるはずだ。
Text: Teruhiro Yamamoto (AERA STYLE MAGAZINE)