旅と暮らし
祝・令和元年。映画『言の葉の庭』に見る万葉集とエモいの世界
[美しき映画ソムリエ]
2019.05.10
「元号は、令和です」
菅官房長官の声にのせ、新しい元号が発表された。日本中が沸くという瞬間はワールドカップやオリンピックなどで体験したことがあったが、元号発表のそれはそのどれもと異なっていた。そして、その令和という言葉が「万葉集」の1編「梅の花」からとられた文芸的なワードだと発表された日の午後、各局のワイドショーが放送した。
すぐにAmazonで万葉集にまつわる本を検索すると、翌日到着の万葉集にまつわる本がスクロールする指が疲れるほど何種類も販売されていた。
「こんなに種類があるのか。ゆっくり選ぼう」
しかし、その計画は瞬く間に幻となった。なぜなら、その日の夕方にはほとんどが「一時的に在庫切れ」状態となってしまったのだ。せっかくなら万葉集に触れたい気分なのに。しかし、筆者の記憶のなかの映画リストが脳内に浮かぶ。そうだ『言の葉の庭』があるじゃないかと……。

『君の名は。』で世界有数のアニメーション作家の地位を確立した新海 誠監督は今年7月19日には新作『天気の子』が公開を控えている。今年の夏も話題をさらうことが予想されているが、新海監督の『君の名は。』の前作にあたる2013年に公開された映画『言の葉の庭』は、万葉集のとある詩が物語の入り口となっている映画だ。
上映時間は約45分と小学校の授業1コマ分。SVO系だとNetflix(2019年5月現在)でも鑑賞可能だ。梅雨を迎える前の陰鬱(いんうつ)な気分を片っぱしから追い払ってくれるほど、雨の東京都心部の景色が美しい映画だ。
舞台となる新宿御苑の新緑に、キラキラとした雨粒がつやを施す。つやめいた木々はその生命力を最大限に、いかんなく発揮させる。雪化粧という言葉があるのなら、雨化粧もあっていいはずだ。そう確信させるほど、ノスタルジックで美しい東京の景色に久しぶりに出合った映画だ。「あした雨が降れば良いのに」なんて願ったのは、出たくなかった運動会ぶりかもしれない。
この映画の主人公は、靴職人を夢見る高校生の孝雄(タカオ)。彼は雨の日になると、決まって午前中の授業をサボり新宿御苑の東屋(あずまや)で靴のデッサンを熱心に描いていた。とある雨の日。タカオはいつもように公園の東屋に向かう。すると、ひとりの見知らぬスーツ姿の女性を見つける。謎めいた年上の女性は、チョコレートをつまみにビールを飲んでいた……。
これが彼らの出会いだった。
雨の日になれば、ふたりは会える。
――雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ――
彼女は別れ際、彼にその短歌を詠(よ)む。飛鳥時代の歌人“柿本人麻呂”が詠ったいわれるこの句は、「万葉集」に収められた一篇の和歌だ。「雨が降ったら 君はここにとどまってくれるだろうか」という意味を持つ。数日後、彼はその返歌として、
――雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも 我は留らぬ 妹し留めば――
と返す。「雨なんか降らなくても ここにいるよ」そう伝えている。和歌がラブレターの役割を果たしていた平安時代のように。万葉集の一篇に導かれ、切ない恋物語が生まれた瞬間だった。
若者を中心にSNSでもよく使用されている「エモい」という言葉の定義。エモーショナルに「い」をつけたこの造語は、感情を揺さぶることを意味しているらしい。私は、このふたりのやりとりこそ真のエモいに相当するものだと思う。
心と心を通わすことがなおざりになっている現代。どんどん簡略化されていくコミュニケーションも確かに便利だけど、目の間を通り抜けてはすぐに忘れてしまうようなやりとりも増えた。「イイね」ボタンやスタンプで便利に相手にキモチを伝えられる時代にあっても、“言の葉”の大事さをいま一度振り返ってみるべきなのかもしれない。
令和という言葉も何千何万もの書物のなかから、学者たちが大切に選び出し何度も推敲され、決まった。人々が美しく心を寄せ合うなかで、文化が生まれ育つという意味が込められたこの元号のもとになった万葉集は、1000年以上前を生きた人々の大切にしてきた言葉たちが収められた現存する我が国最古の歌集だ。
そんな万葉集の奥深い世界の一部に触れられる映画を、梅雨前に、そしてこの夏上映の『天気の子』の公開前に、絶好のタイミングで見るのはいかがだろうか? しっとりした雨の世界へ、画面からマイナスイオンを感じられるほど癒やしの時間になることと思う。
最後に、興味深い情報を。このスーツ姿の女性は次回作にあたり、新海 誠監督のターニングポイントとなるあの『君の名は。』にも学校のシーンで登場していると言われている。このような粋な演出は、新海 誠監督からファンへのプレゼントだ。そんな関連性も楽しみながら、この夏の公開作を期待してほしい。
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