お酒
岸谷五朗が紡ぐショートストーリー
神々の国、伊勢志摩にて――。【01】
2019.12.03
喜怒哀楽、重ねた杯に飲む人の人生が交差する。束の間の酔いに垣間見える一瞬のきらめきは人生の結晶だ。そんな酒にまつわるショートストーリーを俳優・岸谷五朗が紡ぐ。今回は神々の国、伊勢志摩でひとりの女性の再生が描かれる。ビルで切り取られた都会の空に絶望した彼女が、雄大な黄昏の海で見つけたものとは……。
「清らかなる地で……酒(さけ)った」
作・岸谷五朗
皮膚が……驚いている。当たり前に存在していた空気との触れ合いが……こんなに違うなんて……特別なものとして感じられている……初めて……。
高校卒業と共に東京へ出た。勿論、ふるさと岡山が嫌いな訳ではなく、東京に対する絶大な興味と憧れ、魅力が私を突き進め、もはや動かざるをえなかった。今思えば、それなりに、必死に……私なりに頑張った……と、思いたい……。その気持ちと一緒に新幹線のぞみ博多行きに乗っている。先に送った急な大荷物に母は驚いていることだろう。
「さようなら、東京の私……」
声に出して言ってみた。
クリスマスにできた初めての彼には、キチンと東京からの洗礼を受けるように、初めてのお泊まりの次の日から連絡が取れなくなり、馬鹿みたいに追いかけて捨てられたと気付いた時には神宮の銀杏並木が紅葉に染まっていた。それなりに大きなショックを受けて、何と熱が出て寝込んだ。高校時代からバレー部で、どちらかと言えば、皆よりは精神的にも強くキャプテンを任され皆を常に激励し励ましてきた私の卒業後の東京行きは皆に賛成され「裕子ならできるよ」と太鼓判を押されて送られた。その私が紅葉と共に枯葉の様に地に落ちて動けなくなった。東京の遊び人男の何と分かりやすい事。捨てられた時「ポイっ」って音が間違いなく聞こえた。私はとっても軽かったのだ、彼にとって。
「只今、三河安城駅を定刻通りに通過いたしました」
必ず定刻通りに通過する三河安城のアナウンス……。私に任された東京での仕事は、いつもノックしてその度に時間は遅れ生活は乱れた。そして、迷宮の迷路に入り込み、行き止まりに何度もぶつかり引き返してはまた迷った。目的に定刻通り進めたことの記憶がない。気づけば私のポーチには常に安定剤があり、無くては不安で、また飲みきっては不安になった。
「Next station is NAGOYA」
上京してから16年。新幹線ではお正月に帰省する時に東京駅から乗り、殆ど深い眠りに就いて気づけば岡山に着いている状況であった。
……何故だろうか。名古屋で降りてしまった……。
何故だろうか……。近鉄志摩線に乗り終着駅まで乗ってみた。終着駅に辿り着きたかった? いや……おそらく、故郷に帰る時間を、心の底にある僅かな何かが・・少しだけ遅らせたかったのかもしれない……。「定刻通り」を自分から破った。
終着駅と呼ばれる初めて降りる最終の地「賢島駅」。
そう言えば、数年前に世界の要人が訪れた地、伊勢志摩サミットが行われ大騒ぎ大賑わいであった場所だ。そんな事には目もくれず気にもとめなかった、切羽詰まった日々を繰り返していたあの頃、その余裕が全く無かった。海外の代表達を唸らせた絶景と料理。東京で16年頑張った自分に御褒美をプレゼントしてみたくなった。最高の一日の旅を。ゆっくり、ゆっくり歩いてみた。こんなペースで歩く坂道は何時(いつ)ぶりであろうか……。
もっと、もっと、空気に触れる場所! 風を感じる所に行きたい!
無数に浮かぶ島々を縫って走る船に飛び乗った。風を吸い込み瞳を閉じれば苦しかった情景が浮かんでは薄れ消えていった。体の中を新しい血液が巡った。そして無表情な涙が止めどなく流れては伊勢志摩の海に一つ一つの出来事と共に落ちて消えて……溶けた。
乾いた頬が夕日に染まる。こんなに美しい夕日が少し線路の方向を変えただけで存在していた。ゆっくり沈む夕日と同じ時間をゆっくり過ごす……。
遂に沈んだ太陽……ところが。
Photograph: Satoru Tada(Rooster)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair: AKINO@Llano Hair(3rd)
Make-up: Riku(Llano Hair)
Text: Mitsuhide Sako(KATANA)