週末の過ごし方
ブルネロ・クチネリ氏が考える、
一千年先を見据えて今、行うこと。
2022.02.25
世界が経済低迷に揺さぶられたパンデミックでもユニークな経営哲学で成長を続けるラグジュアリー・ブランドの創始者ブルネロ・クチネリ。搾取がまかり通るアパレル産業界で“人間のための資本主義経営”という真逆の理念を貫き各国の政財界から注目されるなか、昨年末には「一千年先を見据えたプロジェクト」を発表し、またしても世界を騒がせた。彼のたゆまぬ挑戦の源はなんなのか、本拠地のある中部イタリアのソロメオ村を訪ねてみた。
命を吹き返したソロメオの谷
ウンブリア州の州都ペルージャの南方に車で30分ほどの静かな谷の高台にソロメオ村がある。しばらくぶりに訪れた村からの眺めに息をのんだ。ゆるやかな丘から糸杉と地中海松の並木に縁取られたブドウ畑がイタリア式庭園さながらに平野部に延び、アースカラーの建築物が優雅にたたずんで、なんとも甘美な景観が広がっていた。
ブルネロ・クチネリは妻の故郷であるソロメオ村に魅せられ、朽ち果てた中世の城を手始めに村全体を修復し、地域住民の豊かな生活を願って劇場や職人養成学校などの文化施設も建てつづけてきた。常に“人間のための資本主義経営”を貫くこと40年あまりを経て、片田舎の小村であった谷全体をいつしか活気ある麗しい田園地域に復興させていた。
シリコンバレーの巨人たちとブルネロ・クチネリとの“対話”
2019年、新緑まぶしい5月のソロメオ村に密かに結集した16人がいた。ジェフ・ベソスを筆頭にシリコンバレーの巨大IT企業家らで、バラ咲き乱れる古城の中庭に車座になりブルネロ・クチネリと対話を続けた。「皆さんは3千年紀のレオナルド・ダ・ヴィンチにも匹敵する天才たちです。レオナルドの芸術のように人類の遺産を作り出すパワーを持っています。でも何が違うのか? 基本的にレオナルドは人文主義者でした」というブルネロ・クチネリの問いかけに始まり、3日間も携帯電話使用禁止でそれぞれの「理想」について話し合ったという。その後、この集いは「経済と魂のシンポジウム」と名付けられた。
「人間のための資本主義経営」
そんなカリスマたちをもとりこにするブルネロ・クチネリの『人間主義的経営』とは? おこがましくもひと言にすると「人間の尊厳を守ることを目的とする経営」らしいが、その過程には森羅万象との調和、美、尊厳、愛への高いコミットメントがある。詳しくは 昨年出版された日本語版『人間主義的経営』(クロスメディア・パブリッシング刊)をご一読いただきたい。原題は『ソロメオの夢』で“私の人生と人間のための資本主義の理念”と副題がついており、ビジネス書というより回想録のようで、ブルネロ・クチネリの生まれ育ったなかで育まれた思想がこのテーマにつながることが読み進めるうちにわかってくる。
幼少期の思い出に始まり、青春期に出会った偉人たちの名言に天啓を受け、やがて魂の血肉として人間性を形成していく様子がみずみずしい感性でつづられている。とりわけビジネスにおいて、経済と倫理の両立を模索しながら理想にたどり着くブルネロ・クチネリの精神の軌跡は、読み物としても大変面白く、夢と示唆ある言葉に満ちている。
ユニバーサル・ライブラリーという一千年未来プロジェクト
2021年の10月末に行われたブルネロ&フェデリカ・クチネリ財団による「一千年先を見据えたプロジェクト」の発表は、当日まで内容が伏せられていたため、会場となったミラノのストレイラー劇場には好奇心に駆られて、はるばるシリコンバレーから飛んで来たVIPなどの招待客も大勢駆け付け、ブルネロ・クチネリの意気込みと世間の関心の高さを感じさせた。ネットでのストリーミング発表会などという人間味のないことはしないのだ。
ブルネロ・クチネリの友人でもある建築家、マッシモ・ディ・ヴィーコ・ファッラーニと共に登壇したブルネロ・クチネリは、脇に立つ大きな純白の胸像に手を差し向けて「(古代ローマ皇帝)ハドリアヌスは『書物は人生の指標。図書館の建設は国家の穀倉をつくるようなもの』という言葉を残し、それに刺激されエジプトのプトレマイオス1世は伝説のアレクサンドリア図書館を建設しました」と口火を切った。書籍をこよなく愛し、『ハドリアヌス帝の回想』や、マルクス・アウレリウスの『自省録』を愛読書とするブルネロ・クチネリは彼らに感銘を受け、千年先の時代の人々にとって、深遠な成長をしていくことのできる文化の殿堂のような『ソロメオの普遍的図書館』を創設すると発表。リベラルアーツ系の出席者も多く見受けられた会場は大変な興奮と拍手に包まれた。
図書館はソロメオ村の教会の裏側にある18世紀の貴族の館とその広大な庭にオープンする。工事や書物収集はすでに始まっており哲学、建築学、文学、職人工芸の分野にまたがる50万冊の蔵書を目指し、資金はすべてブルネロ&フェデリカ・クチネリ財団でまかなうという。総合文化の殿堂を目指す「ソロメオの夢」の総大成である。
都会のビジネスパーソンへのメッセージ
中世さながらのソロメオ村を散策すると広場や小道の石壁に純白の頭像や小さな銘板に出合う。ソクラテスや孔子など賢人たちとその言葉は、ブルネロ・クチネリの思考の世界に誘われるようだ。彼はこの村を精神の宿る村と呼び、数多のインスピレーションを受けてきた早朝の散歩を欠かさない。土地と調和して生きた農民時代の価値観を大切にしながら、人間の尊厳をまもる実業家として大成したブルネロ・クチネリに、都会で生き抜くビジネスパーソンへのアドバイスを書面にて尋ねたところ、長文の熱い返答をいただき驚いた。最後に要約して紹介したい。
<ブルネロ・クチネリからの手紙>
私は創業時より利益追求だけでない人文主義的な経営を心掛けてきました。パンデミックを経たいま、さらに必要だと思うのは「森羅万象との社会契約」です。おのおのが自然、環境、公共財産などとの関係を見直し、守り育てるという意識をもち、単なる「サステイナビリティ」ではなく、「人間のサステイナビリティ」について考えていきたいと思っています。イタリアの小村の起業家でも東京のビジネスマンでも同じように、人間の尊厳と次世代の若者たちに意識を向けながら、少しでも美しい世界を残してゆきましょう。
パンデミックにより人類は物心両面でのダメージを受けましたが、かたやとても大切な“きづき”をもたらしました。人間の絆への信頼、そして助け合いの大切さです。世界の貧困に背を向けることなく、困難にある人、とりわけ繊細な若者たちに、成熟した大人たちが順番に「信頼」を伝えてゆくべきだと思います。「バランス回復の時代」であるいまこそ、新しい人文主義による新しい社会のありかたが求められているのです。
Text:Michiko Ohira