週末の過ごし方
松山・道後温泉
アート“エンタメ”で生まれ変わる
【センスの因数分解】
2023.05.22
〝智に働けば角が立つ〞と漱石先生は言うけれど、智や知がなければこの世は空虚。いま知っておきたいアレコレをちょっと知的に因数分解。今回は漱石先生ゆかりの温泉から…。
90年代、香川県の直島がベネッセホールディングスや福武財団と共に、アートプロジェクトを本格的に開始。大きな成功を収め世界的に知られるようになりました。その成功を受け「アートを町おこしに」という気風は2000年代以降全国的に高まりましたが、全てが直島のように成功したわけではありません。
愛媛県松山市は、2014年より道後温泉を舞台とするアートプロジェクトを開始しました。それは従来のものとは趣を異にする、ユニークな切り口を持っているようです。
「温泉×アート=オンセナートと名付けたプロジェクトは東京のスパイラル/ワコールアートセンターの方々や地元の有志と一緒にスタートしました。スパイラルから“アートだけではない、アート・エンタメ”というコンセプトが挙がり、当初よりそれを掲げて進めています」と松山市の職員として現在オンセナートを担当する岡田直人さんは言います。
ご存じ文豪・夏目漱石の『坊っちゃん』にも登場する道後温泉では、昔から温泉に入ったあと休憩所でお茶とお菓子を味わいながらリラックスする…までがセットだったといいます。アート・エンタメは、そんな個性をアートと融合させ、ここでしか体験できない事柄へと昇華させるべく導かれたコンセプトでした。しかしその道程には、解決しなければいけない課題がありました。
まず必須なのが、地元観光事業者の協力。宿泊施設としては、アートの設置や制作によって、営業に支障がきたすことを不安視する人も少なくありませんでした。オンセナートは客室とアーティストのコラボレーションを企画。アート・エンタメにふさわしく、客室には実際にゲストが宿泊可能に。これによりPJをリアルにプレゼンテーションすることと、宿泊施設への誘客の双方を実現しました。観光事業者の理解や協力を得ることにつながっていったのです。
その後、蜷川実花のインスタレーションや、彼女の作品の浴衣の貸し出しが全国的に大きな話題をさらい、浴衣姿でインスタレーションと共に自撮りした写真がSNSにあふれるようになります。作品を見るだけでなく、体験がともなうことで、よりアートを身近に感じる仕掛けが組み込まれた形は、アート・エンタメを大きく外へ打ち出すフックとなりました。
現代アートイベントや自治体とのプロジェクトを手がけるスパイラルから薫陶を受けた松山の若者たちも、開催を重ねるごとに依存するのではなく、積極的に動くようになっていきます。
「最初は右も左も…でしたが、経験を積むごとに自分がどのような役割を担わされているのかわかってきました。また自治体の職員の方からも、こちらから相談する前に“やっておきました”と言ってもらえるようになったんです」と、地元とアーティストの調整役をしている二宮 敏さんは言います。彼はオンセナートが発端となり、出会ったアーティストの海外PJをサポートすることもあるそうです。オンセナートは地元の“アーティストリテラシー”を上げるきっかけとなっていました。さらに独自の企画も実現するようになっていきます。
東京からUターンしたアタッシュ・ド・プレスの松波砂耶さんは、広報や企画の一部にも参加。道後温泉本館の保存修理工事自体をアート・エンタメとするべく、地元チームと大竹伸朗に直談判。巨大な作品に覆われた館が出現しています。また若者たちの推し活にも注目。オンセナートらしく表現しようと、アーティストとのコラボレーションを実現させました。これにより全国の推したちが、写真に収めたいと道後を目指したのです。彼女の企画と行動力もまた、地元の若者に響いたことは容易に想像できます。
ただ見るだけではない、参加型で楽しめるアートは、地域を彩るだけでなく、地元のプレイヤーを育てることとなりました。そしてさらに、町を生まれ変わらせることへとつながっていったのです。
「私が小さい頃、道後温泉は歓楽街の側面もあり、子どもや女性が安易に近寄りがたかったんです。しかしオンセナートを開催するようになってから、訪れる人が変わり、そのニーズに合うように周辺の店舗も変化していきました」(松波さん)。
そうやって町はかつての歓楽街のイメージから、ユニークな観光地へと変革を遂げていくことになったのです。
まちづくりにおいて鍵となる人たちを、よく「よそ者、若者、バカ者」と言います。アート・エンタメで町を変えた松山・道後温泉は、その三者が理想的なハーモニーを奏でたケースと言えるのではないでしょうか。それはきっと、二匹目のドジョウを狙うのではなく、一匹目を見習いながらも、自分たちにふさわしい獲物を求めた結果のように思うのです。