お酒
今宵(こよい)、男と女はバーにいる。【前編】
―岸谷五朗が綴(つづ)る、男と女の物語―
2024.04.05
俳優・岸谷五朗が綴る小説に、そこからインスパイアされたビジュアルストーリーを添えるシリーズ企画。上質な「時」が静かに流れるバーで、大人の男と女は……。
大切な時を刻むバー。
作・岸谷五朗
女は一人の時間が好きだった。いわゆる、大卒の就職活動をこなし、数年後、気付けば執行役員の秘書となり、その上司の出世と共に自分も社長秘書にまで上り詰めた。私の力ではないのに……とどこかで思いつつ、「弊社」の方々からも大切に扱われ、おそらく、自分の少し勇気ある行動、仕事ぶりも一目置かれ、勢いを増していった。いわゆる、自己評価は「ラッキー」であったと思う。
それでも仕事内容は、一日が嵐のように通り過ぎ、疲労と渇きに心身は悲鳴をあげる毎日であることは確かである。
一人になれる異次元に逃げ込む。
「止まった時をくれるBAR」……。呼吸をしていなかった自分に気付き、大きな深呼吸と共にカウンターの椅子にもたれ掛かってみる。「緊張」という仕事上必要不可欠なエナジーは、逃避するように心身から抜けていき「緩和」が訪れる。女は、一人の時間が好きなのではなかった……。必要だった。
男は、一人の時間が好きだった。がむしゃらに、戦うように仕事に没頭してきた。「切れる」男として社内でも高評価をもらい、確かに彼の活躍は会社自体を大きく飛躍させていった。海外進出も手がけ日本人のやり方で我を通し、腕力で会社の威信を貫き通した。結果、その影響と実績は母国日本で大きな躍進を遂げることになる。彼の采配が海を越え
て自国に反映したのである。
窮屈すぎる異国の人間たちとのビジネスは、彼の肉体も精神も、業界へのチャレンジという手術台に雁字搦(がんじがら)めに縛り付けられていた。もちろん本人がそれに気付く余裕はなく、それほど、一心不乱に前を向いて慢心していた。逆に言えば、充実感溢れた自分だけのオリジナルな日々とも言えた。
「止まった時をくれるBAR」……。呼吸の仕方を忘れていた自分に気付き、固まった背骨を恐る恐る曲げながらカウンターの背もたれにすべてを委ねる。大きく溢れた吐息が自分自身を包み込む。時計の針が止まる瞬間が訪れる……。一人の時間が必要だった。
岸谷五朗(きしたに・ごろう)
東京都出身。1983年、大学在学中に劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団、舞台を中心に活動をスタート。94年に寺脇康文とともに演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成、すべての作品で演出を手がけるほか、ほとんどの作品で脚本も執筆、累計120万人の観客動員を超え、テレビ・映画でも多彩な活躍を見せる。4月には待望の新作『儚き光のラプソディ』の公演が控える。
男性:スーツ¥242,000/ラルディーニ、シャツ¥27,500/ジャンネット(ともにトヨダトレーディング プレスルーム 03-5350-5567)、その他はスタイリスト私物
女性:ジャケット¥69,300/チルコロ 1901、ブラウス¥40,700、パンツ¥56,100/ともにアスペジ(すべてトヨダトレーディング プレスルーム 03-5350-5567)、その他はスタイリスト私物
取材協力/オークラ東京
Photograph: Yuji Kawata(Riverta Inc)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair & Make-up: Taichi Nagase(VANITES), Maki Tokuji