特別インタビュー
フランク ミュラーCEOインタビュー。
「DNAを継承して、未来の時計をつくる」
2024.07.10
スイスの高級時計業界はいま、世代交代の時期を迎えている。今日の高級時計ブームの萌芽となったのは、1980年代から1990年代前半にかけて独立時計師や起業家たちの活躍により、老舗&名門時計ブランドへと波及した機械式時計ブームだ。
1958年にスイス時計の中心都市のひとつラ・ショー・ド・フォンに生まれ、ジュネーブ時計学校で3年間のカリキュラムをわずか1年で終えた天才時計師フランク・ミュラーはこのブームの最大の主役のひとり。そして彼が1992年に創立した高級時計ブランド「フランク ミュラー」もまた、この世代交代の時期を迎えている。創業からわずか30年あまりで、スイス時計界の伝説となったこのブランドを2021年からCEOとして率いるニコラ・ルダース氏に、ご自身のこと、そして「フランク ミュラー」の現在と未来について聞いた。
トップのホテルマンから時計ブランドのCEOへ
スイスの時計業界では、世界中からさまざまな人材が集まってトップマネジメントの地位に就いている。時計製造の現場からのたたき上げがいれば、プロダクトデザイン、マーケティング、金融のプロもいる。そしてこの20年あまり、目立っているのがファッションやIT業界の出身者だ。だが、ニコラ・ルダース氏の経歴は時計業界ではちょっと珍しい。なんとホテル業界からの転身だからだ。ルダース氏は1970年、スイスのローザンヌ生まれ。イギリスのウエストロンドン大学でホテル経営学を専攻。卒業後の1995年にロンドンの一流ホテル「フォー シーズンズ パーク レーン」に就職し、ホテルマンとしてのキャリアをスタートした。
「人よりちょっと遅いスタートで、最初はナイトスタッフとしての勤務でした。ただすぐにマネージャーに昇格させていただき、夜から昼の勤務になりました。ホテルのお客さまは各国の元首クラスなど、世界でも本当にハイクラスの、一流の方々ばかり。そうして親しくなったお客さまのなかには、カタールで『フランク ミュラー』の販売代理店を経営されている方もいらっしゃいました。振り返ってみると、そのときからご縁があったのかもしれませんね」
1999年にイギリスからスイスに戻ったルダース氏はジュネーブの「ル リシュモン」「デ ベルグ」など5つ星ホテルでマネージャーとして活躍。当時、日本の天皇陛下(現・上皇陛下)のジュネーブ滞在を担当したことは、自分のキャリアのハイライトのひとつであり、大きな誇りだという。2001年にはジュネーブ郊外、フランク ミュラー ウォッチランド グループの本社のあるジャントゥの近くにある、ジュネーブ屈指のラグジュアリーホテル「ラ レゼルブ」の立ち上げから運営まで経営陣のNo.2として関わり、ホテル業界でもトップマネジメントのひとりとなった。
直接のきっかけはWPHH
「ラ レゼルブは2003年に開業しました。そしてこれが『フランク ミュラー』そして『フランク ミュラー ウォッチランド グループ』と直接関わることになるきっかけでした。シャトーで行われる新作発表会WPHHに世界中から訪れるお客さまにラ レゼルブにご宿泊いただいたのです。そして世界中の『フランク ミュラー』のディストリビューターやお客さまと本格的に知り合うことになりました。さらにこれが、当時同社のCEOで、現在は会長を務めるヴァルタン・シルマケス氏との出会いでもありました」
このとき、最上級のおもてなしで顧客から絶賛されたルダース氏は、シルマケス氏から「フランク ミュラー ウォッチランドに来ないか」とスカウトされた。だがこのとき、ルダース氏はこの誘いを断った。まだホテル業界でやり残したことがある、と思っていたのだという。
その4年後の2007年、ルダース氏はシルマケス氏から再び「わが社に来ないか」と勧誘される。このとき、ルダース氏には迷いはなかったという。
「ラ レゼルブの経営体制が変更になり、これは新しい挑戦を始める潮時かな、と思っていたところでした。そこで転身を決断したのです」
ホテル業界から時計業界へ。シルマケス氏と同じオフィスでフランク ミュラー ウォッチランド グループの最高執行責任者(COO)としてのキャリアが始まった。そして2021年には現職の最高経営責任者(CEO)に就任する。
「最初の仕事はホテルビジネスでの人材マネジメントのノウハウを生かした人材管理やプロジェクト、情報の管理など。宣伝、広報活動にも関わるようになりました。あれから17年になりますが、当時も今もシルマケス氏から日々多くのことを学びながら、ブランドの運営を行っています」
ホテルも時計も、すてきな夢をお客さまにお届けする仕事
異色の転身とも言えるが、ルダース氏には不安はまったくなかったという。5つ星ホテルの顧客も『フランク ミュラー』の顧客も、カスタマーとしては世界トップクラス、あらゆる意味で最上級のラグジュアリーを知る人たちばかり。だから不安も違和感もまったくなかったとルダース氏は言う。ホテルマン時代に親しくなったお客さまなど、ホテル時代の人脈も大いに役立ったという。
「ただ、ホテル業界は『毎日が勝負』。つまり毎日、部屋を空けることなくできるだけ多くの方々にご宿泊をいただくことが何よりも大切になります。しかし、時計業界ではそれとは違う長いスパンでビジネスを考えなければいけません。ひとつのプロジェクトが短いものでも3カ月、ひとつの時計を世に送り出すためにはだいたい5年もの時間がかかります。長いスパンで、でもいつも時計の新しいアイデアやメカニズム、デザインを開発していかなければなりません。ただし、ジャンルは違いますがどちらも『すてきな夢をお客さまにお届けする』仕事です。非常に共通したところが多いのです」
「フランク ミュラー」の素晴らしさ、そのDNAを未来へ
CEOに就任したニコラ・ルダース氏がいま最も力を注いでいること。それはふたつあるという。ひとつはまだ知らない方々に「フランク ミュラー」の時計の魅力、その素晴らしさをひとりでも多く理解してもらうこと。
「わたしが皆さんにお伝えしたい『フランク ミュラー』のいちばんの魅力。それはほかの時計ブランドとはまったく違う、独創的な複雑機構、デザイン、美しさです。天才時計師フランク・ミュラーのこの30年間に及ぶクリエーションは本当に素晴らしい。とにかくすべてがユニークです。特にトゥールビヨンの分野では、私たちは間違いなくNo.1です。ダブルアクシス(2軸)、トリプルアクシス(3軸)のトゥールビヨンも、5秒でキャリッジが1回転する超高速トゥールビヨンも、世界最大のトゥールビヨンも、世界で初めて製品化したのは私たち『フランク ミュラー』です」
どれだけの複雑機構を腕時計サイズに組み込めるかという“コンプリケーションウォッチの究極”に挑戦した「エテルニタス」コレクション(2006〜2007にかけて製品化)や、「時刻を知る道具」という時計の概念を一変「時からの解放」を表現した「クレイジー アワーズ」(2003)など、「フランク ミュラー」という時計ブランドは、わずか30年あまりの歴史のなかで時計の歴史に残る数多くの偉業を成し遂げてきた。そのことはもっと広く知られていい。
そしてもうひとつ、ルダース氏がCEOとして最も力を注いでいること。それが天才時計師フランク・ミュラーの時計づくりのDNAを、今のウォッチランドのマニュファクチュールのメンバーの手で継承し発展させること。フランク・ミュラーの時計作りの志を未来のクリエーションへとつなげることだ。
「すでにフランク・ミュラー自身は時計づくりからは引退していますが、時計技術者からデザイナーまでマニュファクチュールのスタッフのほとんどが、フランク・ミュラー本人と仕事をし、そのDNA、時計作りに対する熱い思いを継承している人々です。彼らの手で『フランク ミュラー』は未来に向かってさらに発展していく。その体制をしっかりしたものにすることが、わたしの最大の使命だと考えています」
ニコラ・ルダース氏はフランク・ミュラーその人と、未来の時計について語り合っているという。ミュラー氏は今年の新作のなかでも、3つのジャンピングアワー機構を搭載した「グランド カーベックス マスター ジャンパー」が特に気に入りで「このクリエーションは本当に素晴らしい。まさに我々の革新と情熱の結晶だ。この偉業は未来への大きな一歩だ」と話したという。
「スイスには、2種類のチーズを溶かし合わせて食べるスイス料理のチーズフォンデュにちなんで『チーズは一緒に溶かさなければ意味がない』ということわざがあります。天才フランク・ミュラーその人の素晴らしいクリエーションを未来に継承するために、私はCEOとしてミュラー氏はもちろん、時計界の素晴らしい人々と『チーズを一緒に溶かし続けて』新しい、素晴らしい時計作りに挑戦を続けます」
Photograph:GENKI
Text:Yasuhito Shibuya