お酒
必然を醸す。
「日本酒」に革命をもたらした男の思考と選択とは─?【後編】
2026.09.02
新政酒造株式会社代表取締役社長、八代目蔵元。1974年生まれ。東京大学卒業後、家業に入り2012年に社長就任。協会6号酵母のみを用いた酒造りをかかげ、生酛・木桶・無添加といった伝統技法を現代的に再構築。秋田県産米に限定したテロワール思想で、日本酒の価値観を更新してきた。
米に対しても、佐藤は固定観念にとらわれず、チャレンジを繰り返す。たとえば、酒米の「フクノハナ」。1966年に開発された品種だったが、栽培が難しいということでいつの間にか消えてしまった酒米だ。佐藤はこの種を国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構の東北農業研究センターから手に入れ、育てはじめた。
「こういういい米がなんでなくなるんだろうと思い、つくってみた。これで酒を造るとミカンっぽい味がするんですね。それで、できた酒には『タンジェリン』って名前を付けました」
あるいは、貴醸酒に向いているとわかれば、稲の背が高くなり育てにくいということで廃れていた酒米「改良信交」を使って、「見えざるピンクのユニコーン」を造る。いいアイデアが浮かべば、それを現実化するために多少の困難は気にしない。それが佐藤の流儀なのだろう。
これら「新政」で使う酒米のほとんどは、秋田県内の鵜養(うやしない)で契約農家と新政の社員自らが栽培している。
大又川がもたらすミネラルに富んだ水が集落内を流れる。伏伸(ふし)の滝や岩見神社などもあり、景観的にも抜群だ。
この地域で、2016年に初めて酒米をつくり出して、徐々に作付け面積を増やしてきた。現在までに約30町歩に達し、そのすべてが無肥料・無農薬の自然栽培田だ。
しかし、もちろん、現代において無農薬栽培は容易ではない。
「一枚の田んぼをやるだけでも大変。テクニックがないと無理です。雑草とかの生態を全部知り尽くしてないと、この面積をやるのは難しい。たとえば、水を入れる高さを数センチ間違えただけでも、雑草がガーっと生えて手に負えなくなる。でも、逆に雑草の生長点とかを理解すれば、ある程度は抑えられる。雑草の種類とかを見ながら、水の高さを上げ下げしていくんですね。でも、そんなことは、農薬がない江戸時代の人は当然知っていたわけです」
もっとも、どんなにテクニックを駆使しても、最低でも5、6回は田んぼに入って草むしりをしなければならない。かつては集落に数百人の人々が暮らしていたから人手はあったが、今では数人で田んぼを管理するから負担も大きい。それでも、佐藤の中には、農薬を使うという選択肢はない。
鵜養地区の地図を見ると、それはあたかもブルゴーニュの畑のようでもある。川上から川下まで、数種類の酒米が集中的に育てられ、この田んぼは「ヴィリジアン」ここは「№6」と作付けされている。風通しや日当たりを考慮して、振り分けているのだ。
ここの風土こそが「新政」の酒の味であるわけだが、佐藤の中では、この鵜養に対する思いは、田んぼと酒造りにとどまらない。
「いま住民は60名ほど。廃屋も増えてきて、これらの廃屋を有効活用しないとまずい。まずは味噌や醤油、酢を造る場として使う。そして、いずれは、レストランをやりたい。シェフのいないレストラン。秋田の食材と鵜養でつくった調味料を使って、世界中の有名シェフがやって来ては入れ替わりで料理をつくる。秋田県の人口は確かに減りつづけるわけだけど、そういう面白い取り組みがあれば、交流人口は増えるでしょ。いろいろやりようはあると思ってます」
佐藤祐輔のアイデアは、日本酒を軸に広がりつづける。来夏にはこれまでやってきたコラボ作品を集めたアート展「新政展」を国内外で開催する計画もある。
それらもまた、結局は、日本酒の地位向上を目指してのことだ。
「日本酒は、世界最高峰の醸造酒になりうるポテンシャルがあるのにまだ発揮できてない。もっとうまくなるし、もっといける、僕はそう思っている。世界最高クラスの醸造酒を集めて戦ったときに勝てる、そんな日本酒を造りたい。そのためにも、味だけでなく、文化的な側面でもちゃんと表現していきたいんです」
天性の表現者の志は、果てしなく高く、美しい。
一志治夫(いっし・はるお)
ノンフィクション作家。『狂気の左サイドバック』で第一回小学館ノンフィクション大賞を受賞。『たったひとりのワールドカップ』『庄内パラディーゾ』『幸福な食堂車』『旅する江戸前鮨 ─「すし匠」中澤圭二の挑戦』『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦』ほか、著書多数。
Photograph: Hiroyuki Matsuzaki (INTO THE LIGHT)
Text: Haruo Isshi