紳士の雑学
召しませ結城。究極の贅沢紬と機械式時計の共通点
[センスの因数分解]
2017.10.24
確か「スーツ3着もったならタキシードを」は、エッセイストで映画監督の伊丹十三の言葉だったと思う。スーツにはないつやっぽさと格式をもつタキシードは、明らかに男っぷりが上がるし、昨今ではタキシードの普及率も上がってきているようだ。しかし、日本男子の最高の正装といえば間違いなくきものだろう。そんななかでも強力におすすめしたいのが結城紬、言うなればこれは究極の贅沢なのだ。なぜかというと……。
「パリがZARA化している!」。2年前、久しぶりに訪れたパリの風景を見て、ふと口から出たのがこの言葉です。道行く人たちは、格好が悪いわけではない。けれどみな「トレンド」という掟に縛られているかのように、同じようなスタイルでいるのです。これは世界中の都市で言えることかもしれませんが、パリのうなるようなシックで洒落てる着こなしのマダムはどこに行ったのか……と、ファッションの都の行く末を勝手に案じたのでした。
人はパンのみに生きているわけではないように、服だって体をただ覆うためにまとっているわけではありません。服を着るという行為には、少なからず好みが反映され、それは自身を表現する手段でもあります。表現の方法はもちろんそれぞれです。そんななかでも、まとっていることが高揚感となるものを選ぶのはとても大切な気がします。流行りという一時しのぎではなく、高揚感から生まれる思い入れを大事にすることとでも言いましょうか……。かく言う私も、自分が「アガる」服を探し、求め、着ることが大好きでした。しかしそれがどうも楽しくなくなったのが、ここ3?4年のこととなります。追い打ちをかけるようなパリのZARA化を目の当たりにして、そこそこのお洒落というものが実は人を高揚させてはくれないということを再確認したのでした。
そんな日々を過ごしているなかで、ひょんなことから出合ったのがきものです。ある人に紹介されて行ってみたアンティークきもの店で、ウズベキスタンの絣布で仕立てた帯と結城のきものを試着したことから始まりました。去年のことです。
結城というのは、鬼怒川沿い茨城県と栃木県にまたがる東日本有数の絹織物の産地。その地で産まれる紬は、まず繭(まゆ)を煮て真綿に引き伸ばし、撚(よ)りをかけない糸を紡ぎます。それを手で絣くくり地機によって織っていくのですが、この完全手作業の本場結城紬、2010年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。これは絹織物としては国内唯一の世界遺産であり、日本の重要無形文化財でもあります。
紬といえば一般的にハレではなくケ、つまり日常づかいのきものであると言われています。しかし江戸時代の殿様も愛したこの結城紬は別格とされています。夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』でも先生が愛用しているのはこの結城紬だし、白洲次郎が妻の正子から贈られたきものもそう。かつてインタビューした尾上菊之助さんが結城紬をお召しになって現場に現れたときには、そこに居合わせたスタッフから感嘆のため息が漏れたことがあります。ユナイテッドアローズの重松理・会長もこの結城紬に魅せられたひとりだとか……。高い技術を必要とするところ、質の高さもさることながら、この紬が美意識の高い数寄者(すきもの)に愛されてきたのは、なぜか。それは世界の一流に通じる美学があるからではないでしょうか。
「華美なところはないけれど、着てみると驚くほど軽くて温かい結城紬は、渋くて通好み。着ている本人がそのよさをわかっているということに注力された織物です」と話すのは地元結城でいちばんの織物問屋である奥順の奥澤順之専務。世界に誇れる伝統工芸の未来を担う若きリーダーで、個人的に産地を訪れた際に知り合いました。シックな色みの結城紬を着た姿は、30代という年齢よりもずっと大人びて見えます。
「結城紬は知れば知るほどそのよさがわかる、何かを狙って服を着ることがいかに野暮かを教えてくれるんです」
30代の男性に、野暮とは何か、粋とは何か、見た目ではなくモノを見る目の大切さを教えてくれる。それが結城紬だとしたら、これはもう服という範疇(はんちゅう)を超えた何かと言ってもよいのではないでしょうか。またパッと見の派手さという外に向かったベクトルよりも、自己の充足やわかる人だけわかればいいという洗練といえば、これをお読みの紳士のみなさんならお気づきかもしれません。それはまさに、ヨーロッパをはじめ、世界の名品に通じる世界ではありませんか? たとえばスイスの機械式時計は決して華美ではないけれど、高い技術と質の高さを併せ持ち、世界中で敬意を払われる存在です。そして世代にわたって愛されつづける普遍性があります。結城紬も、まさに一生モノではなく世代モノであり、時代を超えて愛されるにふさわしい丈夫さと味わいをもっているのです。しかも無地や無地調でシックな色合いの多い結城紬なら、スーツ感覚でコーディネートを考えることができるでしょう。そういう意味でのハードルもぐんと低いはず。そういえば、夫の白洲次郎のために結城紬を選んだ白洲正子は著書『きもの美』でこうつづっていました。
「美に東西はないように、好い趣味というのは世界共通のものなのです。だから、きもののよさとか美しさというものは、それはたしかにありますけれども、パリに持って行けば、ただちにシックで通用するものです」
「スーツの次にタキシードを」とは伊丹十三の言葉。もちろんタキシードもいいけれど、日本の男性には結城紬をぜひに、とお伝えしたい。白洲正子ではないけれど、間違いなく国内外問わずレストランでも劇場でもそのシックさは通用しますし、モノを見る目の大切さを教えてもくれる。そして何よりも誰よりもまとっているあなたを幸せにしてくれる服であります。休日やパーティーで、粋に結城紬をお召しの殿方が増えるだけで、この国は美しく変わっていくと思います。
プロフィル
田中敏惠(たなか・としえ)
ブータン現国王からアマンリゾーツ創業者のエイドリアン・ゼッカ、メゾン・エルメスのジャン=ルイ・デュマ5代目当主、ベルルッティのオルガ・ベルルッティ現当主まで、世界中のオリジナリティーあふれるトップと会いながら「これからの豊かさ」を模索する編集者で文筆家。著書に『ブータン王室はなぜこんなに愛されるのか』『未踏 あら輝 世界一予約の取れない鮨屋』(共著)、編著に『恋する建築』(中村拓志)、『南砺』(広川泰士)がある。