旅と暮らし

俳優・岸谷五朗、街を呼吸する。
第12回 新宿

2018.09.14

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武蔵野で生まれ育った岸谷五朗にとって、新宿は憧れの街だった。

「いつか西新宿の高層ビルが見える部屋に住んで、バーボンを飲んでやるぞって思ってました」。芝居の道に入ったばかりの無名時代、同じ新宿区でも家賃の安い西武新宿線沿線、窓を開けても隣の壁しか見えないアパートに暮らしながら、そう心に決めていた。そして、当時は歌舞伎町の顔ともいうべき新宿コマ劇場の前を通りながら、いつかはその舞台に立つことを目標とした。

やがて俳優として売れるようになり、ふたつの願いをかなえることができた。もっとも「窓から見るビルの景色にはすぐ飽きちゃいましたけど(笑)」

遊ぶのももっぱら新宿で、頻繁に足を運んだのがゴールデン街。今回久しぶりに訪れた「クラクラ」もそのひとつだ。オーナーが演劇界の重鎮ということもあり、多くの役者やスタッフが集い、ここで杯を重ねたという。もちろん、満足な収入がなかった岸谷にとって、バブル期でも破格に安い飲み代はありがたかったが、理由は懐具合だけではない。

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「あのころ、役者のほかにも演劇や映画の裏方の人も来ていた。それから画家や文壇の人も。その人たちが語るいろんな言葉が空中に散らばっているんです。酒じゃなくて、そんな言葉を探しに来て、朝まで飲んでいた気がしますね」

狭い路地で日常茶飯事のように本気の殴り合いがあった。そんな時代だからこそ、恐らく語られる言葉も、抜き身で切り合う刀のようなものだったのだろう。

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演劇とは風に記された文字――そう語ったのはイギリスの演出家ピーター・ブルック。膨大な台詞も幕が下りれば過去のものだ。それでも、観る人の琴線に触れれば、記録ではなく記憶となる。

傍目には十分な成功を収めているように見える岸谷だが、自身は演劇人としてまだ発展途上と言い切る。新宿の片隅で紫煙とともに浮かんでいた言葉の数々も、「身についていますが、まだ血にも骨にもなっていない」と。

野心と向上心を持つ人にとって、新宿はいつでも帰る場所となる。そしてここでしか響かない言霊が、いまも見えない壁に刻まれている。

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<新宿とは?>
かつては甲州街道の最初の宿場町・内藤新宿があり、江戸の西端だった。宮内庁の植物御苑(現在の新宿御苑)が造られ、このあたりを境に以西はすべて「村」の呼称がついていた。宿場町からはずれるように新宿駅が造られ、下町に比べれば損害が少なかった関東大震災以降、現在の隆盛に至る発展を遂げた。昭和になると激増した乗降客をあてこみ、伊勢丹、三越、二幸などのデパート、高野フルーツパーラー、紀伊國屋書店など、現在も営業を続ける店舗が現在の新宿三丁目界隈に出店する。山の手空襲、戦後の闇市を経て、60年代には新宿騒乱事件やアングラ劇の聖地として反体制の象徴に。現在も歌舞伎町、ゴールデン街、二丁目のゲイタウンなど、ディープなエリアが点在している。

<訪れた店>
クラクラ
劇団椿組を主宰するほか、俳優、声優、演出家として活躍する外波山文明氏がオーナーを務める。開業当時は同じ劇団に所属していた女優の店舗だったが、40年前に経営を引き継ぎ、現在に至る。岸谷五朗も常連だったほか、歌人の俵万智が働き、元ボクサーのタレントたこ八郎の行きつけの店だった。2001年に空き家だった隣の店舗2階分を増築し、ゴールデン街ではいちばんの店舗面積となる。店名は坂口三千代(坂口安吾夫人)が銀座に開いていた同名のバーを、本人の了解を得て借用した。東京都新宿区歌舞伎町1-1-9 Tel 03-3209-3660 営業時間7時~翌2時 チャージ¥1,200
http://tubakigumi.com/kurakura/index.html

参考文献/「盛り場の歴史散歩地図」赤岩州五著(草思社)

<岸谷五朗(きしたに・ごろう)>
1964年生まれ。大学時代から劇団スーパー・エキセントリック・シアターに在籍し、1993年「月はどっちに出ている」で映画初主演にして多くの映画賞を受賞し高い評価を集め、以降テレビ・映画での活躍を広める。94年に独立後、寺脇康文と、演劇ユニット地球ゴージャスを主宰。出演以外に演出・脚本も手がけ、毎公演ともソールドアウト、今年の新作「ZEROTOPIA」で動員数100万人を超えた。2018年10月には、テレビ東京、BSジャパンで放送、Paraviで配信される『天 天和通りの快男児』にて主演を務める。

肩に掛けたブレザー¥240,000、シャツ¥125,000、トラウザーズ¥125,000、ブーツ¥158,000、ベルト¥44,000/すべてジョルジオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070

掲載した商品はすべて税抜き価格です。

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Photograph:Satoru Tada(Rooster)
Styling:Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair & Make-up:INOMATA(&’s management)
Text:Mitsuhide Sako (KATANA)

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