お酒
男と酒。[前編]
俳優はBARにいる。
――岸谷五朗、新宿を呼吸する――
2019.11.19
ネプチューンより多くの男を溺れさせてきたバッカス。海の神の法力以上に酒の神がもたらしてくれる酩酊は、浮き世を忘れさせ、ひと夜の至福と微(かす)かな悔恨を残す。それでもバッカスは、今夜も杯の数だけ男たちに訪れる。
「魅惑の地で徘徊し酒(さけ)る」
作・岸谷五朗
30年前のこの街には、小便の臭いやら、底なしに呑のんだ人間の人生に落胆した「腐敗臭」やら、侠骨(きょうこつ)な一方通行のイデオロギーに包まれた勝手な「世直し臭」やら、兎(と)に角(かく)行き場に詰まった人間たちが途轍(とてつ)もないエネルギーと魅力を放って酒と戯れていた。短く狭い道での刃物のようなアイデンティティとのすれ違いに緊張が走り、そこで血を流し転がっている奴に自分もなりかねないと跼天蹐地(きょくてんせきち)、背筋が寒くなったものだ……。
そう、男にとって、この新宿ゴールデン街は「魅惑の危険な街」であった。厄介なのは単純な肉体だけのぶつかり合いでなく主義主張が縺(もつ)れに縺れて爆発すること。これでもかとぶつかり合うこと。現在この地では、すれ違う人々から世界中の言葉が飛び交い、カタコトの英語で皆が意思表示をし、笑顔の交流が交わされる。
モノクロの世界だった街の風景が8Kカラーで撮影された世界に変化したような錯覚に陥る。素晴らしき世界平和が凝縮された街となった。しかし……。カラフルな人種と色彩豊かな街並みにイデオロギーの欠片(かけら)もなくなった…… と寂しさは募る。
そんなこの街でいまだに店を構えていてくれている店主たちへは感謝の気持ちでいっぱいだ。
男の行ける店は3、4軒になっていた。今宵(こよい)も待っていてくれる、「人という友と酒という友」が。変わらぬドアノブをひねり6、7席のカウンターに座れば仕事上の大先輩だった顔が柔らかく浮かぶ。亡くなって8年……。仕事上の後輩になる、店を継承してくれている40代のマスターは、昔のボトルを用意して待っていてくれた。バーボンロック、アーリータイムズから懐かしい過去の味が喉(のど)を通過した。
男「閉めないね……、店」
マスター「え?」
男「やめないね、深夜+1(しんやプラスワン)」
マスター「…… ベテランのお客さんと、新たな若いお客さんが、ここで、映画や小説の話を肴(さかな)に、新旧時代を超えて酒と笑顔が飛び交っていると…… なんか嬉しくて……。次の日にはまた、店を開けているんです」
やめられない理由がゴールデン街らしく、何より彼は良い顔をしていた。
岸谷五朗(きしたに・ごろう)
1964年生まれ。19歳から劇団スーパー・エキセントリック・シアターに在籍し、1993年「月はどっちに出ている」で映画初主演にして多くの映画賞を受賞し高い評価を集め、以降テレビ・映画での活躍度を高める。94年に寺脇康文と演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成。出演以外に演出・脚本も手がけ、毎公演ともソールドアウト、2018年の作品「ZEROTOPIA」で動員数100万人を超えた。2020年には、ダイワハウスspecial地球ゴージャス二十五周年祝祭公演「星の大地に降る涙 THE MUSICAL」が控える。
「アエラスタイルマガジンVOL.45 WINTER 2019」より転載
本誌にはWebでは掲載していない岸谷五朗さんの写真も多数掲載!
Photograph: Satoru Tada(Rooster)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair: AKINO@Llano Hair(3rd)
Make-up: Riku(Llano Hair)
Text: Mitsuhide Sako(KATANA)