週末の過ごし方

巨匠・黒沢 清監督の自由自在な映画作り、
今度はデジタル・ビデオ・トレーディング作品に挑む。

2024.08.01

巨匠・黒沢 清監督の自由自在な映画作り、<br>今度はデジタル・ビデオ・トレーディング作品に挑む。
黒沢 清監督

日本を代表する映画監督として、カンヌ国際映画祭をはじめ海外映画祭で高い評価を受ける黒沢 清監督。最新作『Chime』は、Roadstead(ロードステッド)という新しいプラットフォームのために制作された45分の中編作だ。Roadstead では、1回きりの鑑賞であるストリーミングとは異なり、DVDのように映像権利を購入して所有する、DVT(デジタル・ビデオ・トレーディング)というフォーマットで販売される。購入した映像権利は、視聴するだけでなく転売やレンタルすることができ、それによる収益の一部は製作者へ権利料として還元されるというもの。そのオリジナル作品第1弾が黒沢監督の『Chime』で、本年4月12日に世界に向けて999個限定発売(1個99米ドル)された。

これに先駆け、本作は今年2月にベルリン国際映画祭のベルリナーレ・スペシャル部門で上映され、話題を呼んだ。大学での自主映画制作で映画愛に目覚めた黒沢監督は、約40年前に日本映画界が危機に瀕していた時代にピンク映画で長編デビューを飾った。以後社会派作品から文芸作品、学園ものスリラーやホラーまで幅広いジャンルで手腕を振るい、映画監督として国内外で人気と地位を確立した。これほどまで息の長いキャリアは、自由な発想と融通性に裏付けられたからではなかろうか。

世界にファンを持つベテランの黒沢監督だが、今回通常の枠からはずれた自由な発想の本作が国際映画祭で上映されたことに驚いたという。そんな監督にベルリンで話を聞いた。

まずはRoadstead オリジナルの作品に挑戦したことについて。「予算や日数の制約はありましたが、かなり自由でした。ただ、ほかでは絶対に見られないプレミアが付くようなものを作ってほしいとリクエストされました。普通の映画では考えられない奇妙なものであるほうが、このフォーマットであえて見てみたい思わせることができ、そこに価値が生まれるということでしょうか」

本作の製作は初心に戻ったようで楽しかったとも打ち明ける。

「制約なしでやりたいことをどんどんやってくださいと言われました。作った後のことをほとんど考える必要がなく、作ることそのものが目的になるという環境は非常に楽しく、健全な気持ちがしましたね」

これまでに作品を製作してきたなかで、やりたかったけれどできなかったことを本作でやれた、と感じたということだろうか?

「言ってみればそうですね。通常は商業映画を撮ると、やりたいことが実現できる一方で、やれなかったことや、やろうとして失敗したことが山のように残ります。今回はそういうことがあまりなかったですね。昔8ミリ映画を撮っていたころはそうだったんです。ただ完成することが目的で、“こんなもの作っちゃった”と仲間内で見て“ナンダコレ!?”みたいな感じで盛り上がる(笑)。それで終わりだったんです。そんな感覚で作ったこの映画が、ベルリン映画祭であんなに大きなスクリーンで上映することになるなんて、正直まったく想定していませんでした」

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『Chime』場面写真 ©Roadstead

料理教室の講師をしている主人公が、ある日突然罪を犯し、3つの罪悪感の間に追い込まれるというホラー・コメディー。心理的恐怖や人間の不可解な行動など、見る者を不安と問いかけで導いていく刺激的な内容だ。

「身のまわりで起こることって当たり前ですが突然起きて、“なんであの人があんなことを?”みたいにわからないことが多い。映画にする場合は、それが起こった理由や背景に何があったとか、後にこうなってこうなったとか、さまざまなドラマ的要素を付け加えることが必要になってきます。今回はそれが要らず、脚本を書いていて不自由を感じることもありましたが、心のおもむくままに物語をポンポン作っていったという感じです」

料理教室の講師という主人公の設定については「料理教室は場所が面白そうで刃物がずらっと並んでいるからです(笑)。僕自身が大学で教えていたから最初は主人公を大学の先生にしていたんです。でもその設定ではあまりにも露骨なのでどうしようかと考え、“料理教室だったら殺人事件に発展するな”と安易に発想しました。当時自分がアーティストと教師の間で引き裂かれているような気持ちを感じていたこともあり、同様にこの主人公は強気と弱気の間で引き裂かれている。強気のときには妙に強気なのに急に弱気になるという、差が激しい男として表現したんです」

今回はデジタル媒体において自由で大胆な中編作を製作する機会であったわけだが、ストリーミングやVODなどが普及し、現在では映画の見方も変わってきた。映像の作り手としてその状況をどのように感じているのだろうか?

「僕自身ストリーミング作品なども手がけてきましたが、今のところは楽天的に考えています。映画って昔からテレビや、VHSなどDVDなど、いろんなものに脅かされてきたじゃないですか。にもかかわらず、幸い無くならずにいまもある。ストリーミングはストリーミングとして、YouTubeはYouTubeとして見て楽しんでいる若者たちが映画館にも行きますものね。そして2時間半ほどあるようなハリウッド映画を堪能して、興奮しながら映画館から出てくるみたいな、そんなことがいまだに続いている。そう信じていているので、まあ映画はまだだいぶ大丈夫かなと」

最近、東京藝術大学大学院の教え子である濱口竜介監督が世界的に活躍し、ほかにも深田晃司、山中洋子や、今回ベルリンで同作と共に上映された『August My Heaven』を手がけた工藤梨穂など、若手監督が活躍し日本映画界に希望の光が差してきている。黒沢監督はその光がよりまぶしく輝けばと願っているという。

「濱口に限らずいろいろな若い方が増えて、それは素晴らしいことです。ただみんな往々にして作家なんですよ。濱口は濱口映画で評価されていてなんの問題もないですが、本気の娯楽映画を作ろうとする若手はなかなか出てこられない。もちろん作家性のある人にも出てきてほしいのですが、彼らは映画祭を中心としたあるシステムの中にいるんです。だから日本のメジャーなプロダクションのお金のかかった娯楽作を、彼らに撮らせようなんて動きはほぼなくて、完全に隔絶しているんです。なんだかすごく面白い映画を作る、個性的で若い娯楽映画の作り手が何人かワーっと出てきてほしいと願っています」

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©Roadstead

『Chime』
8月2日(金)より Strangerほか全国劇場で上映開始。
※劇場情報は公式HPをご確認ください。
配給/Stranger
料理教室の講師として働いている松岡卓司。ある日、レッスン中に生徒の1人、田代一郎が「チャイムのような音で、誰かがメッセージを送ってきている」と、不思議なことを言いだす。事務員の間でも、田代は少し変わっていると言われているが、松岡は気にすることなく接していた。 しかし別の日の教室で、田代が今度は「僕の脳の半分は入れ替えられて、機械なんです」と言いだし、それを証明するために驚くべき行動に出る。田代の一件後のある日、松岡は若い女性の生徒・菱田明美を教えていた。淡々とレッスンを続ける松岡だったが、丸鶏が気持ち悪いと文句を言う明美に、彼は――。 松岡の身にいったい何が起きたのか。料理教室で、松岡の自宅で、ありふれた日常に異様な恐怖がうごめきはじめたのだった…。

Interview & Text:Yuko Takano

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