週末の過ごし方
ジャワの祈りとバリの緑。
思考に余白を取り戻す、アマンジウォ&アマンダリの旅
[後編]
2026.07.14
アマンジウォでの濃密な旅を終え、次に向かうのはバリ島にあたるウブドのアマンダリだ。ジョグジャカルタ空港からデンパサール空港までは直行便が就航しており、2つのリゾートをハシゴするアマンジャンキーは少なくない。
バリ海峡を挟み、最短距離でわずか2.5kmしか離れていないジャワ島とバリ島。しかし、両者は驚くほど異なる個性を持っており、その土地の魂に根差すアマンダリでも、当然これまでとはまったく違う体験が待ち受けているのだった——。
バリの精神をまとう、アマンダリのたたずまい
ジャワとバリ。隣り合う両島のアイデンティティを決定づけているのは、その信仰だ。島民の9割がイスラム教徒のジャワ島に対し、バリ島ではその大半をヒンドゥー教徒が占める。宗教がもたらす違いは、中庭でアマンダリのゲストを迎える伝説の守り神「石像の虎」を見れば一目瞭然。偶像崇拝を禁じるイスラム世界では決して出合えないたたずまいであり、神々が宿るバリ島ならではの光景と言える。
バリ・ヒンドゥー教の根本には、「神・人・自然の3つが調和して初めて幸せになれる」という「トリ・ヒタ・カラナ(三界調和)」の思想がある。これに基づき、アマンダリも自然をねじ伏せて完璧な形を作るのではなく、自然の地形に人間がそっと寄り添う設計を採用している。印象的な曲線のインフィニティ・プールはアユン渓谷の傾斜や、バリの伝統的な棚田のカーブに逆らわずにデザインされており、まるで豊穣の女神「デヴィ・スリ」への信仰と感謝を表しているかのようである。
ボロブドゥール遺跡へのオマージュから荘厳な石造りを選んだアマンジウォに対し、アマンダリは神の創造物たる深い森へ畏敬を捧げ、その大部分を木造としている点も興味深い。同じ国の隣り合う島なのに、そこにある2つのアマンが放つ空気感は驚くほど異なる。しかし、これまで述べてきたようにジャワとバリそれぞれの個性を調べれば、このデザインの乖離は必然の帰結だと気づくだろう。底流にあるのは、土地の魂への深い理解と敬意。両者の鮮やかなコントラストこそ、まさに「アマンがアマンたるゆえん」なのである。
自然との対峙からしか得られない安らぎ
アマンダリの誕生は1989年にさかのぼる。まだ世界がインターネットでつながる前、この隠れ家の魅力はホテルからのポストカードと、旅人たちの熱を帯びた口コミだけで広がっていったという。それが結果として、ウブドという土地の運命を変え、アマンの人気を不動のものにしたのだから、ここが今日まで紡がれるアマン伝説の、実質的な始まりの地と言っても過言ではない。
アマンジウォの旅を経て、私の頭はすでに心地よい思考の余白を取り戻しつつあった。しかし、ここウブドではさらに欲張り、この地の深い緑に包まれることを楽しみにしていた。なぜなら、生きとし生けるものは、すべて自然から生まれ、自然へと返っていく定め。どれほど美しく洗練されたリゾートに身を置こうとも、人間の本能が最後に欲するのは、圧倒的な自然の生命力と対峙したときにしか得られない、根源的な安らぎだからだ。
木々を揺らす風の音、優しく響くアユン川のせせらぎ、鳴きやむことのない鳥のさえずり、そして視界を埋め尽くす緑のグラデーション。そのすべてが、ウブドという聖地がくれた特別なギフトのように感じられる。ただそこにたたずみ、森の呼吸と自らの呼吸を重ね合わせていく。出国前、あれほど心身をこわばらせていた日常の凝りや緊張が、今では跡形もなく消え去っていることに気がついた。
心身を浄化する沐浴と祈り
大自然の次は、バリ固有の精神世界へも足を踏み入れてみることにした。アマンダリが導いてくれたのは、バリ・ヒンドゥー教に古くから伝わる浄化の儀式「メルカット(Melukat)」。朝7時、伝統的なサロンを腰にまとい、一般参拝客が訪れる前のティルタ・ウンプル寺院へ特別許可を得て入場する。誰もいない静寂と、柔らかな木漏れ日に包まれながら、荘厳な境内をゆっくりと進んでいく。
寺院名のティルタは「水」、ウンプルは「聖なる」を意味し、ここに湧き出る聖水には浄化や魔除け、無病息災の力が宿ると信じられている。日中は大勢の参拝客で行列ができる沐浴場も、早朝の時間帯は驚くほど穏やかな時間が流れている。沐浴は、ずらりと並んだ注ぎ口を左から順に浴びていくのが作法。あふれ出る聖水の前で静かに神への祈りを捧げ、顔や頭に3回ずつ水をかけて心身を浄化していく。湧き出す聖水は驚くほどに清らかで、ひんやりと冷たい。すべての行程を終えて水から上がる頃には、不思議なほど身体が軽やかになっていた。
沐浴後はさらに寺院の奥へ。濡れた髪に心地よい風を感じながら、祈りの儀式「スンバヤン」にも参加させてもらった。神様へ捧げるお供え物「チャナン」からは、エキゾチックな線香の煙がゆるやかに立ち上る。腰を下ろし、お祈りの作法に従って指で美しい花びらをつまむ。マントラ(祈祷)の祈りの声が低く響き、時折涼やかな鈴の音が聴こえる。バリ島らしい穏やかな空気があたりを満たしていく。
儀式のクライマックスで、聖水が頭上に注がれる。清らかな水が頭から肩へと伝うたびに、不思議と心が鎮まり、漠然とした不安や雑念が洗い流されていくようだ。儀式のあとに感じたのは、心と体がふっと軽くなるような離脱感。世界各地の聖地はそれなりに巡ってきたが、こうした深い感覚は初めてのことだった。沐浴と祈りの儀式を通じて、一歩踏み入れることができた世界。ウブドの神髄に、少しだけ触れられた気がした。
ウブドの町で、職人の手仕事に触れる
「芸術(アート)と手仕事」もまた、バリ島のウブドのアイデンティティを支える大切な柱だ。アマンダリでの滞在をより立体的なものにしてくれるのが、周囲の村々に息づく職人たちの現場を訪ねる「アルティザン・トレイル(Artisan Trail)」である。
アマンダリのヴィラのベッド頭上には、バリの伝統絵画が描かれている。ヒンドゥーの神話や豊かな自然をモチーフにしたその絵は、毎晩、まるでお守りのように滞在客を優しい眠りへといざなう。トレイルの最初の目的地は、まさにこの天井画を手がけたアーティストのアトリエだ。
のどかな風情が残る芸術の村の一角にあるアトリエは、まるで時間が止まったかのような空間。そこではアーティストが今も変わらず静かにキャンバスに向かい、ひと筆ひと筆に魂を込める見事な筆さばきを見せてくれる。綿やシルクに描かれているのは、王族の物語だったり、バリ島の美しい風景だったり、人々の生活の記録だったりとさまざまだ。
何世代にもわたり受け継がれてきた伝統技法を見学させてもらい、アマンダリ開業時のエピソードを伺う。いちばん大きい天井絵は、1枚を完成させるのになんと3カ月もの月日を要したという。ここで絵を描くことは単なる行為ではなく、神々への祈りであり、自然への感謝そのものなのだろう。
アルティザン・トレイルはさらに「布」の文化へとつながっていく。次に訪ねるのは、バリ島で最も古い歴史を持つ老舗織物工房「Pertenunan Setia Cap Cili(ペルトゥヌナン・セティア・キャップ・チリ)」。アマンダリのスタッフたちが腰にまとっていた、気品あるサロンのルーツをたどる旅だ。
バリ島の伝統手織り布「テヌン・イカット」を作りつづけている工房で、中からはカシャコン、カシャコンと織機の音が響く。模様の輪郭がにじんだような独特の立体感が美しく、製作には膨大な手間と時間がかかる伝統工芸。糸をセットし最初の2mを作り終えるまでが最も大変で、約2カ月半はかかるという。アマンダリのスタッフたちが身に着けているあの美しい布地は、職人たちの熟練の技によって、ここで一枚一枚丁寧に紡がれている。その緻密なプロセスを目の当たりにすると、リゾートで見かける何げない景色のひとつひとつが、どれほどぜいたくな文化の上に成り立っているのかを実感させられる。
アルティザン・トレイルを終えてリゾートへと戻ると、出発前とはまったく異なり、ベッド頭上の天井絵やスタッフがまとう織物の色彩が、確かな奥行きを持って目に飛び込んでくるから面白い。村の職人や芸術家たちの手仕事と深い結び付きによって成り立つアマンダリ。その美しき共生を知るにつれ、観光で訪れた私たちでさえもまるで「その土地の物語の一部」になったかのように感じられて、深い充足感を覚えるのだった。
結びに——強く刻まれるアマンの「人」の記憶
2つの異なる島、2つの個性が宿るアマンの旅は、どちらも息をのむほどに美しく、それぞれに深い旅の物語を感じさせてくれた。数々の体験は、日常の情報と速度に追われてパンク寸前だった私の脳内に心地よい「離脱感」をもたらし、みずみずしい「思考の余白」を取り戻させてくれた。
しかし、記憶として心に深く残りつづけているのは、建築美や大自然、貴重な文化体験だけではない。どちらのリゾートでも共通していたのは、「余白」を取り戻す時間を温かく見守ってくれていた存在、すなわちアマンで働く「人」の優しさだ。私が今も、真っ先に思い出すのは、このアマンのホスピタリティなのである。
アマンジウォでもアマンダリでも、ゲストを迎え、日々をもてなしてくれるスタッフの多くは、リゾートを取り囲む地元の村々から採用されている。彼らのサービスには、大都市のラグジュアリーホテルにあるような細かいマニュアルは存在しない。そこにあるのは、自らの大切な家に古くからの友人を招き入れるかのような、ごくごく自然体の温かさだ。
そばにいてほしいときには必ずそこにいて、静寂を求めればそっと引く。その心地よい距離感と細やかな気配りこそが、強張っていた感覚をゆっくりとほどいてくれたのだろう。早朝のエクスペリエンスへ向かう朝。日の出前の暗闇にもかかわらず、彼らは温かい朝食とともに穏やかな微笑みを運んでくれた。ゲストの目に見えない時間から紡がれるその優しさを想像するたび、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのだ。
せわしない日々のふとした瞬間に、今も目を閉じて旅の日々を思い出す。すると、気持ちがすっと穏やかになり、呼吸も自然と深くなる。アマンの記憶は心の拠り所であり、旅先で取り戻せた思考の余白は人生に余裕や豊かさを生み出してくれているように思う。もし、あなたが日常の容赦ない速度にのみ込まれそうになったら……、ぜひアマンを訪れ、“休暇以上の何か”を自身の心で感じてみてほしい。