旅と暮らし
ノルマンディー、ロマンチックが止まらない日記
第2回 ル・アーヴル編:戦火からよみがえった街の建築美に、とてつもない衝撃を受ける
2018.08.16
延泊したいほど気に入ったルーアンの街をあとに、次に向かったのは、ル・アーヴル。ルーアンからクルマで西に1時間ほど走ったところにある港町です。きっと日本人にとってはマイナーな街でしょう。私も、名前すら聞いたことがなかった。
というわけで、横着にも情報ゼロのまま、クルマがル・アーヴルの街に入ります。すると、そこはさっきまでいた木組みのかわいい家が並ぶルーアンとは一変し、四角いコンクリートのビルが並ぶ街。正直、おとぎの国から現実に戻ったような気がしました。
しかし、第一印象で味気なく感じたル・アーヴルこそ、のちに今回の旅最大の感動を体験する街となったのです。車中からはその後の展開を知る由もありませんでした。
73年前、ここは完全な更地だった
ル・アーヴルにはヨーロッパのさまざまな街で見られるような旧市街は存在しません。街全体が戦後に造られた近代都市です。なぜならル・アーヴルは、第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦を契機とした砲撃と空爆によって、街の8割が破壊され、8万人もの市民が住居を失った場所。1944年の9月にはル・アーヴルの中心市街は廃墟となり、その被害はヨーロッパ最大級とも言われます。
そんな悲劇の街が、戦後、ひとりの建築家の手によって目覚ましく生まれ変わります。その建築家こそ、“コンクリートの詩人”と呼ばれたオーギュスト・ペレ。戦争が終わった1945年、ペレは復興計画のリーダーとして、街ごとの再建を託されたのです。
ペレは延べ133万㎡という広大な再開発地域を、コンクリートでよみがえらせます。一度すべてを更地にし、街が完全に再建されたのは20年後。晩年をル・アーヴルに捧げたペレ自身は再建途中で亡くなってしまったものの、その遺志は弟子の建築家たちに引き継がれました。
ここまでの知識を、街全体を見下ろす市庁舎の展望台にてガイドさんから教えてもらったんですが、このときはまだ教科書を読んでいる気持ちに近かった。コンクリートの謎は解けたものの、遠目から見る街は無機質な印象。“なんだか旧東ドイツっぽい”と感じました。
それが、展望台を降りて実際にペレが造ったコンクリートの住宅街を歩くと、これまでの街歩きでは感じたことのない、切ないような高揚するような気持ちが襲ってきたのです。
どこへ行っても、同じ四角い形をしたコンクリートの建物は退屈なものと思っていた。それが、ル・アーヴルのコンクリートのアパルトマンには心ひかれる趣がある。
光のあたり方で表情が変わり、特に西日や朝日が差したときが美しい! コンクリートって、普通、冷たいグレーじゃないですか。それが、ここでは黄色、白、ピンクとかすかな色彩があり、人の手がかけられているもの特有の温かみも感じるのです。
ペレはル・アーヴルの街のために、オリジナルのコンクリートを開発したのです。近づいて家の壁を見ると、表面は粗い砂利。これは砂利の入ったコンクリートの壁を造ったのちに、噴射の水圧で表面を除いて中を見せた仕上げ。だから、表情豊かな色合いの壁になっているんですね。
ペレが造った団地は、住んでみたいと思わせる快適空間だった!
いまもル・アーヴル市民が住むペレによるアパルトマンには、観光客が見学できる部屋もあります。
いざ、中に入ると、そこはめちゃくちゃおしゃれで心地よい空間! 1951年に入居された部屋だそうですが、「いますぐこんな家に住みたい!」と思わせるほどステキです。大きな窓から光がたくさん差し込み、窓を開ければ風通しもいい。
当時の様子をそのまま伝えるために、部屋には50年代の家具が置かれています。それらが驚くほど機能的に作られていて、実は家具もペレが選定したとか。
また、ペレは「女性がキッチンに追いやられないように」と、キッチンとリビングをつなげ、キッチンにも明るい光が差し込む間取りにしたそうです。埋め込みのクローゼットやバスルームもとても使いやすそうだし、ペレは女性に喜ばれるポイントを心得ているように感じました。
家を一周してみると、動線が秀逸かつ空気の通りがいい。それに部屋同士を隔てる壁が極力少なく、ここなら家族4人がまさに“ひとつ屋根の下”で仲良く住めそうです(将来の妄想)。
ほかの大きな特徴は、いちばん下の写真のように室内に柱がむき出しになっていること。柱を隠さないから余計な壁もない。そして、ペレが作るアパルトマンには、柱と柱の間の一辺が6.24mという絶対的な決まりがあるので、柱を省くことはありえない。その6.24m間隔の柱をタテヨコに発展させた住居の連なる街こそ、ル・アーヴルなのです。
歩いて初めて、私は整然と並ぶ柱に気持ちよさを覚えました。遠目では無機質だと思ったものが、いまはユニークに見えて仕方がない。ところで、なぜ6.24かといえば、2と3両方で割れる数字だから部屋を構成しやすいため。天才か!
太陽と名建築が織りなす幻の光景を目の当たりにする
ル・アーヴルに到着して3時間後、私はすっかりペレの大ファンになっていた。そんななか、ガイドさんが夕方案内してくれたのが、ペレの最高傑作とも言われるサン・ジョセフ教会(1957年完成)。すでに魅了されているのに、さらに最高とはいったい……といった気持ちで教会に向かいます。
到着したのは市庁舎からも見えた街中で圧倒的に高い建物。コンクリート打ちっぱなしの天高くそびえ立つ塔は、一般的な教会とはまるで違う前衛的なデザイン。“20世紀で最も美しいコンクリート建築”と称えられるだけあり、圧巻のたたずまいです。
いざ、期待を胸に教会の中へ入ろうとしたところ、1匹の秋田犬が! 私は柴犬愛好家のため、しばし交流。
名前はナオミ。ナオミの後ろのコンクリートの壁も復興の一環で造られたもの。そんなこんなで教会に入ると……。
そこには、色とりどりの光のカーテンが!! 影となったコンクリートに夕日がステンドグラス越しに差し込み、心を奪う鮮やかさ。なんという明と暗! 太陽が生み出す天然のプロジェクションマッピングのようです。不意打ちの絶景に、ただただ感動します。
計1万2768枚ものステンドグラスは、すべて人が吹いて作った手製のガラス。外から見るステンドグラスには何の色もなかったのに、中はトリックのように色彩豊か。飾りはいっさいなく、あるのは色と影だけ。そして、礼拝堂には祈りを捧げる人々が集い、その空間は神聖そのもの。時が経つのを忘れます。
いつまででも見ていたかったけれど、日が沈むにつれ光の色は薄くなっていきました。太陽の光が強い日ほど色が濃く出て、30年間ル・アーヴルに住むガイドさんいわく、「こんなに鮮やかに見えたのは初めて」とのことでした。
10分ほどの出来事だったでしょうか。この時間を経て、ペレのル・アーヴルへの慈愛と、復興への情熱をいっそう感じました。サン・ジョセフ教会は、復興のシンボルであり、戦没者を慰霊するための場所。そして彼の最後の作品。それがここまで美しいことがドラマです。
興奮が冷めないまま、教会の隣にあるホテルへチェックイン
さて、ル・アーヴルで泊まったホテル「Hotel et Spa Vent d’Ouest」の紹介。このホテルのいちばんのメリットは、サン・ジョセフ教会のすぐ隣にあること。なにせ教会は夕刻の一瞬が最も美しいので、ここに泊まれば部屋で日の様子をうかがいながらすぐに教会に向かえます。「名建築こそ、違う時間帯に二度三度見に行くのが面白い!」と思う人にはとても便利ですよ。
料金は100〜130ユーロですし、ダイニングがとってもチャーミング。朝ごはんもここでいただくのですが、フレッシュオレンジジュースのマシンが置かれていて、自分でジュースを自由に作れるところが個人的に高ポイント! あと、この価格帯のわりにお風呂にバスタブが付いていたのもうれしいですね。
そしてル・アーヴルのディナーは、シェフとその奥さまが営む地元で評判のレストラン「Le Margot」へ。夜は29ユーロで前菜、メインディッシュ、デザートのコースを用意。メインディッシュはお肉料理のほうが豊富で、私はカボチャのソースが添えられた鴨を楽しみました。
ディナーを食べはじめた20時半ころはまだ空が明るかったのですが、ゆっくりと紺碧(こんぺき)になっていく様子がとても美しかった。一瞬だけディナーを抜け出し撮った写真がこちら。ル・アーヴルの夜は、深い青だった!
ル・アーヴルは“一日でいくつもの季節を感じられる”と言われるほど光の加減に幅がある。分単位で空のニュアンスが変わっていきます。あの画家のモネが5歳から18歳までを過ごした地でもあり、モネが光にこだわったのも、少年時代に美しい空の下にいたからかもしれません。
公共施設=巨匠建築だから散歩が楽しすぎる!
翌日も引き続き建築散歩。というのも、ル・アーヴルは、ペレ以外にも巨匠建築がそろう街なのです。
規則正しい四角い団地が並ぶなか、広場に正反対と言える曲線を描く建築が現れます。ダイナミックな曲線にピンと来た方もいるはず。そう、ブラジルの巨匠、オスカー・ニーマイヤーの作品です。その名も「ル・ヴォルカン(火山)」。白い火山とは、さすが鬼才。中は図書館、劇場、レストランが入った複合施設です。
何げに感心したのが、キッズスペースの椅子が子ども用ではなく、大人も座りたくなるような格好いい椅子であったこと。子どもに赤ちゃん言葉を使うのではなく、きちんと話すのと似たスマートさを感じました。
そして、ペレの超きっちりな直角とオスカー・ニーマイヤーの自由すぎる曲線のハーモニーが、何度見ても面白い。このふたりの建築が隣り合う街は、世界でここだけなのでは?
次は、現代を代表するフランス人建築家であるジャン・ヌーヴェルによるプール「Les Bains des Docks」へ。中心地からはクルマで10分ほどかかります。
天気のよさか、白い壁のせいか、水面の煌きがやけにきれい。そんなプールでル・アーヴル市民たちが本気で泳いでいます。さまざまなサイズ・深さのプールや、滝のようなシャワー、デッキチェアにキッズスペースも完備。さらにはスパやフィットネスもあり、半日はここで遊べますね。
入館料4.9ユーロで気軽にプールを利用できるのがうらやましすぎる! ル・アーヴル市民はみな健康なのでは?と思うほど、ここにいた人たちは気持ちよさそうにプールを楽しんでいたのでした。
https://www.vert-marine.com/les-bains-des-docks-le-havre-76/
最後に、港にあるというアートを目指します。
あ、グリーズマンだ!
通りを歩いていくと、その先にひと際カラフルなアーチが……。
フランス第2の規模を誇る港をもつル・アーヴルは、昨年が開港から500年の記念の年。その際には50人ものアーティストを招聘(しょうへい)した祭典が行われましたが、街は常にアートと深くつながっています。モネが青春時代を過ごした街ですしね。
例えば「アンドレ・マルロー近代美術館」には印象派のコレクションが450点以上あり、その数はパリの「オルセー美術館」に次いで2番目。モネの師であるウジェーヌ・ブーダンの作品も常設されているので、モネを巡る旅を予定している方はぜひ訪れてみては?
ホテルでのチェックアウトを終え、24時間に満たないル・アーヴルの滞在が終了。最後に見上げたサン・ジョセフ教会は、いっそう凛々(りり)しい存在感を放っていました。
オーギュスト・ペレ渾身のコンクリート建築と、次の世代の巨匠建築家の作品が入り交じるル・アーヴルを、第一印象からは考えられないほど好きになってしまった。世界遺産にも登録されている街と帰国後に知り納得(遅っ!)。
ここは、甘いだけのロマンチックではない。感じるのは復活した街の強さと美しさ。鮮烈に心に残る光景は、大切な人との共有を願わざるを得ないものでありました。
ではでは、次回はトゥルーヴィル&ドーヴィル日記です。また来週〜!
プロフィル
大石智子(おおいし・ともこ)
出版社勤務後フリーランス・ライターとなる。男性誌を中心にホテル、飲食、インタビュー記事を執筆。ホテル&レストランリサーチのため、年に10回は海外に渡航。タイ、スペイン、南米に行く頻度が高い。最近のお気に入りホテルはバルセロナの「COTTON HOUSE HOTEL」。Instagram(@tomoko.oishi)でも海外情報を発信中。
Photograph:Ryoma Yagi